第3話 祖母の記憶
父さんの記憶から目覚めたボクが次に向かったのは、祖母の部屋。家の中で唯一の和室の部屋で、和一色の部屋は、日本人として心地よく感じる一方、所々に祖母の気配を感じて寒気がした。長年使用しているせいか、傷や凹みも目立つ。
小さい頃は畳の匂いが好きでよく入っていたそうだけど、今ではそんなこと全く考えられない。
ボクと祖母は仲が悪い。
祖母が一方的にボクを嫌っている。まぁボクも大して好きだというわけでもないのだけど。
ある時期を境に、とても厳しくなった。
きっかけなんて些細なことだろう。ボクと祖母は、血が繋がっていないのだから。
母さんが死んでしまってからも、あの人はボクに対して慰めの言葉なんて掛けずに、叱り続けるだけだった。
正直、この人の記憶も、思いも、感じ取りたくはなかった。この人を見て思い出すのは、辛いものばかりだからだ
でももしかしたら、と思う心がなくもない。
だから、痩せこけた体を布団で隠すようにして眠っている祖母を見下ろして、問いかける。
「どうして貴女は、ボクを嫌うの?教えてよ……」
鍵はプチっと鈍い音を立てて、祖母の胸へ突き刺さる。
溢れてくる光は暖かく、陽だまりの中にいるような錯覚がボクを襲った。
子供の笑い声と、おもちゃの音が鳴り響いてくる。
※※※
赤ちゃんのボクと、まだ今よりだいぶ若い祖母が、声を上げて笑っていた。今では考えられない姿だ。
「きょうちゃん。ほら、ガラガラよぉ。アヒルさんもいるわよぉ。あら、こっちのぶーぶの方がいいの?」
赤ちゃんであるボクに向ける優しげな眼差しは、確かに本物だった。ならなぜ、今はあんなにもボクを嫌うのか。この時点では、血が繋がっていないことを知らなかったんだろうか。
(……まさか、
ボクを腕であやしながら、そんなことを考えている。訳あり、とはなんだろう。ボクは一体、どういう経緯で、誰の子供として生まれたのか。どうして、本当の父親と離れなければならなかったのか。
その全てを知っているであろう祖母は、笑顔でボクをあやす。
しかし突然、笑っていたボクが泣き出した。祖母の顔が、恐怖で硬直する。
(また、来た……!)
赤ちゃんのボクをぎゅっと抱きしめ、恐る恐る後ろを振り返り、後悔してサッと前を向き、ボクを守るように覆いかぶさる。
祖母の後ろは庭に通じる格子窓で、外からの侵入しようとするなら、その格子を壊さなくてはならない。そして先程までは、カーテンで締め切られていた。しかし、締め切られていたはずのカーテンは、ほんの少しだけ、隙間が空いていた。
その隙間から、顔を血で汚した男が覗いていた。
「なんだよ、この人……!」
「帰れ帰れ帰れ!ここにお前のものなんて、何一つないのよっ!この子は、うちの孫よ!!帰れっ、帰れっ、帰れっ!」
困惑して、思わず声を出したボクに覆いかぶさるように祖母が叫ぶ。どうやら祖母に声は聞こえないらしくて安心したけど、格子の外にいる男が、一瞬だけこちらを見たような気がした。もしかしたら、ボクの気のせいかもしれないけど。それになんとなく、顔に見覚えがあるような気がした。
(ボク、この人を、知ってる……?)
「帰れっ、帰れっ、帰れっ、帰れっ……」
念仏を唱えるように、祖母は叫び続ける。ご近所づきあいを重んじる祖母が、こんな大声を出すなんて。
鬼気迫る祖母の顔は、ようやく見覚えのあるものになった。時折、ボクのことをこうして睨みつける時があったのだ。
でも、もしかしたら。
その時後ろでは、この血みどろの男がこちらを覗き込んでいたのかもしれない。祖母はずっと、ボクを守っていたのかもしれない。
幼い頃から、魔法や幽霊だなんていないと、厳しく躾けられてきた。そういう類の本は、うちにはおいていない。
世界的に有名な童話などを知ったのも、小学生に入ってからだった。
やがて血みどろの男が居なくなり、ボクが再び笑い出した時、今度は祖母が、安堵から涙を流し始め、泣き崩れる。
顔を覆う祖母の手を赤ちゃんのボクが弱々しく掴み、何が面白いのか声を上げて笑う。その様子を見て、祖母も再び笑顔を見せる。
(この子は、渡さない。私が、守るのよ。たとえこの子に嫌われようが、厳しく育てて。
祖母の顔は決意に満ち、ボクをさらに強く、抱きしめる。廊下から射してくる夕日が、まるで血のように見えて、先ほどの血みどろの男を思い出させて虫酸が走った。
世界が再び、暗転する。
現実へと再び、帰っていく。
その暗転する世界の中、一瞬だけ、あの血みどろの男の顔が見えた気がした。その顔は、笑っていた。
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