第18話果たされる復讐
そして神風当日。この日まであっという間だった。
伊藤はわざわざ村に来た佳代乃を信頼し、1日だけ遅れる情報を信じて連れ出すことに成功した。強風が吹く前に連れ出したので、午後になるまでバレることはないだろう。今は難波が運転する車に乗せ、私が待機している草原へ向かっている。
ここまでは順調だ。トラブルで連れ出せなかった時の対処も考えたが、結果的にそれは不要だった。
こうもアッサリ引っかかると伊藤の罠を疑うが、佳代乃いわく「わたくしの持つお金に惚れていらっしゃるから大丈夫」とのことだ。何人もの金が目的の男を見てきた佳代乃だからわかるのだろう。
優秀だからまっとうに弁護士をしていても儲かるだろうに。悪事に手を染めてまで金を必要とする理由とは……。
「まあ、聞く時間はないしどうでもいいか」
遠くでは神風サービスの従業員が大量の荷物を運んでいる。今回もたくさんの壊れ物が預けられたようだ。運搬作業を眺めて時間を潰す。しばらくすると従業員が去り、車の音が聞こえてきた。
風は葉を揺らす程度の強さだ。数分で強い風に変わり、あっという間に神風へと変わる。
チラッと小さい洞窟を見やる。神風に切り替わるタイミングであの洞窟に逃げ込む。下見に行った時に見つけた小さい洞窟だ。風は洞窟内まで吹いてこないから、上手く伊藤だけを残して逃げ込めればこちらの勝ち。佳代乃と難波は洞窟の入り口で待機してもらい、確実に伊藤を逃さないようにするのが役目だが、もし私と伊藤が同じタイミングで飛び込んできた場合はどちらも入れないようにする。
佳代乃は反対したが、伊藤が仕留められないなら私が助かる意味はない。説得してなんとか納得してもらえたが、あの時は完全にへそを曲げてしまって機嫌を直すのが大変だった。頬へのキスでご機嫌になったが、これに味をしめて拗ねるのが癖にならなければいいが。
バタンと車のドアを開閉する音が聞こえる。視線をそちらへ向けると緊張している佳代乃と難波、そして怪訝な顔をして私を見据えている伊藤がいた。
「おや、これはこれは……日下部さんじゃないですか。お久しぶりですね」
警察署で会ったんだけどなぁ。まあ、あんな可愛らしい服は私らしくなかったか。今日は伊藤と出会った時と同じ服装だから気付いたのだろう。
「実は……あれから考えを改めて、私がヘマをした時のための弁護士になってほしいの」
「ほう。まあ、あれからそろそろ1年が経とうとしていますしね。冷静になるまで随分とかかりましたね。そんなんじゃあ、多種多様な人間を相手にするビジネスなんて成功しませんよ。ああ、だからわたしを味方につけてもしもに備えるのか」
好き勝手言ってくれる。
伊藤の意識が完全に私へと向けられたと察知して、佳代乃と難波はそっと洞窟の方へ移動し始めるのが視界に入る。私は極力そちらを見ないよう、伊藤にだけ視線を定めた。
「ええ、私は25の若造だし、優秀な弁護士がいてくれた方が助かっちゃう。もちろん報酬は私が出せる最高の額にするわ。どうかしら?」
「そうですね……」
ゴウッと一際強い風が木々を揺らす。髪の毛が口に入って不快な気分になる。
「さっきから気になってたんですが、神風って1日遅れるんですよね?」
「ええ、1日遅れた影響かしらね。今日は風が強めだわ」
「佳代乃さんが嘘をつくはずないよな……あの清純そうな彼女が……」
困惑した顔で小さく呟く。佳代乃は伊藤は金に目が眩んでいると言っていたが、もしかしたら本当に惚れているのかもしれない。
沈黙している間にもどんどん風が強まっていく。少しずつ、だが確実に立っているのが辛くなってくる。子供の体重であれば体が浮いてしまいそうだ。
「くそっ、やっぱりおかしい! この風の強さは神風の前触れだろう! あの女騙しやがったな! 単純そうだったからちょっと優しくしてやれば金の融通が利くと思ったのに!」
前言撤回、やはりこいつは金の亡者だ。大方、金の力で裁判を有利に進めていたのだろう。
さてと、そろそろ逃げないとまずいか。風はどんどん威力を増していく。1、2分もしたら神風へと変わるだろう。
地面を見ると黄緑色の粒子がポツポツと現れ始めている。私は伊藤には目もくれず、一直線に佳代乃と難波が待つ洞窟へと走り出した。
「あっ、テメェ!」
一歩遅れて伊藤もこちらへ駆け出す。
私が身を挺してまで計っていた神風の威力。伊藤も風速計で計っていたはずなのに、それを利用せず宝の持ち腐れにした。風が弱い場所、威力が強くなる場所、それらを把握していれば適切な場所へと逃げられただろう。
彼は怒りで周りの状況が見えていない。私が洞窟に入れば力を合わせて伊藤だけを入れさせないことが可能になる。無理やり押せば入れるかもしれないが、伊藤はどう見ても力が強そうには見えない。余程のことがなければ大丈夫だ。
そして、この草原は風の障害となる木がとても少ない。洞窟に入りそびたら逃げ場はない。障害物がないということは、神風の力は最大限に発揮される。それが伊藤を直撃するのだ。
走れ。
走れ!
風が強すぎて思うように進めない。徐々にまぶたが下がってくる。完全に目を閉じたらペースダウンしてしまう。そうなったら神風に巻き込まれて、今度こそ私の命はなくなるだろう。
ボヤけた視界の中、洞窟らしき穴をめがけて前進する。微かに2つの肌色が見えて安堵する。
あと、もう少し。
ホッとしたのもつかの間、後ろからしっかりと足を踏みしめている音が聞こえる。もちろん伊藤の足音だが、私より歩くペースが早い。
追いつかれる。
私は前方へ腕を伸ばした。佳代乃か難波、どちらかが私の手を掴めば引っ張ってくれるはずだ。
やがて、手と手が触れ合う。
「捕まえた」
後ろから、声。
思わず振り向くと、伊藤が上着の裾を掴んでいた。
まずい!
このまま引っ張られたら――私の体は洞窟内へと引っ張られる。伊藤も負けじと服を掴んで離さない。膠着状態が続くのは良くない。私は絶対に伊藤を殺めたい。
「手を、離しっ――!?」
風がピタリと止まって全員がバランスを崩す。
「うわっ」
誰かが声を上げる。
私の体は勢いよく洞窟内へと引き込まれたが、柔らかいものに受け止められたおかげで痛みはあまりなかった。
背後から先ほどの強風より遥かに強い風の音が聞こえてきた。神風が発生したのだ。
「あいつは……!」
後ろを確認すると伊藤の姿はなかった。
「彼は、バランスを崩した時に服を離してしまいました。もうとっくに巻き込まれて、ここからでは確認できません」
外を見ていた難波が答える。
伊藤は神風に巻き込まれた。
「そっかぁ……」
仇は、取れた。
「あのぉ……風子さん。そろそろ避けてくれるとありがたいのですが……」
下から声が聞こえたので目をやると、頬を染めて困っている佳代乃がいた。
「えっ、ああ! ごめん!」
柔らかい感触は佳代乃だったのか。手が彼女の胸の上にあるから鷲掴みしてしまったかも。痛かっただろう、本当に申し訳ない。
佳代乃から離れて改めて神風の様子を見る。黄緑色の粒子が勢いよく回っている。ソファや冷蔵庫など大きな物は見えるが、人間サイズの物は豆のように小さいので判別がつかない。
あの中の何処かに伊藤がいるのだろうか。復讐は実に呆気ないものだった。
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