第16話事故の真実

 佳代乃を味方につけた夜、テレビのニュースでは黒岩が逮捕された話題で一色になっていた。固く口を閉ざしていると報道されているから、黒岩はまだ私のことを話していないようだ。

 私たちは疲労回復のため短い睡眠を取り、最低限生きていくのに必要なものを荷物に詰め込んでいた。


「風子さん、父は納得してくれました」

「そっか、悪かったわね」


 そんな中、佳代乃は実家に連絡をしていた。黙って逃げたら大規模な捜索隊が結成されていただろう。お金持ちは便利ではあるが、連絡を怠ると非常に厄介な存在になる。一人娘となるとなおさらだ。


「お父さんにはなんて言ったの?」

「風子さんと日本一周の旅に出ると。最初は渋っていましたが、随時連絡はすると言ったら納得してくれましたわ」


 私たちはこれから身を隠さなければならない。

 黒岩がいつ私の話題を持ち出すかわからないから。最後まで黙秘する可能性もあるが、もしもの時のために今から逃げておくのが最善だ。

 そして、何よりの問題は次の神風がいつなのかだ。なるべく早い方がいい。伊藤さえ殺してしまえば目的が達成されるので、逃げ回る理由はなくなるし、べつに逮捕されてもいい。達成するまで逃げられればいいが……とても不安だ。

 最初の3ヶ月は九重家が所有する別荘を転々とする予定だが、警察の動向には注意しなければならない。黒岩が私のことをバラすタイミングによっては、早々に別荘を離れる必要もある。報道されたら佳代乃の父は全力を尽くして私たちを探すだろう。娘が悪事に巻き込まれるのだから。



 ピピピピピ!

 ポケットに入れていた電話がけたたましく鳴る。ディスプレイを見ると、『難波』と表示されていた。結論が出たのだろうか。


『もしもし日下部さん。決心しましたよ』

「早かったわね。数日はかかると思っていたんだけど」

『僕もそう思っていました。でも、一人になると余計な雑音がなくなるので、じっくり考えられたんですよ。そしたら意外と早く結論が出ました』

「まあ深くは聞かないわ。私が聞きたいのは……」

『協力するか、しないかですよね。協力しますよ。気象予報士として』


 本人も言っていたが、難波がこんなにも早く結論を出したのは意外だった。神風がいつ吹くかわからない今、彼の存在は心強い。私の計画に無理に絡まなくても、気象予報士としての仕事を全うしてくれるならそれでいい。難波が出した結論に安堵する。


「私たちもう少しでマンションを出るんだけど、一度合流してこれからのことを話さない? あと、私の味方になってくれてありがとね」

『それなら僕の家にきませんか? それと礼には及びません。僕が好きでやっていることですから』

「本当? じゃあ今からそっちに向かうわね。住所教えてくれるかしら」

『そういえば教えていませんでしたね。僕の家は……』


 難波の家の住所を教えてもらい、佳代乃と一緒にマンションを出る。


「風子さん、難波さんは協力してくれると言っていましたが大丈夫なのでしょうか」


 佳代乃は自身の不安を吐露した。積極的に人を疑いたくはないが、本心から自分たちに協力してくれるか不安なのだろう。確かに難波の家に着いた途端、警察に取り囲まれるということもありえるだろうが、電話の声から察するにそんなことはないと思う。


「その時はその時よ。私の運もこれまでだったってこと。大人しく捕まるわ。生きていれば伊藤を殺す機会はいくらでもあるわよ」


 伊藤が事故か病気で死ななければ。

 佳代乃は不安が拭いきれないのか、しきりにキョロキョロと周囲を見渡している。まるで初めて庶民の街にやってきたお嬢様だ。


「佳代乃、そんな不自然な態度だと目立つわよ」

「あ、はい……平常心、平常心……」


 今度はブツブツと呟きながら真っ直ぐ前を見て歩く。まだ不自然さが残っているけどさっきよりはマシだ。佳代乃の動きに注意しながら歩を進める。つられて私まで変な行動をしてしまいそうだ。



 住所を確認して辿り着いたのは、何十年も前に建てられたであろうおんぼろアパートだった。難波が住んでいる部屋は1階のA号室だ。ドアに書かれたアルファベットを確認してチャイムを鳴らす。


「ようこそいらっしゃいました。ささ、早く上がってください」


 難波は私たちを隠すように部屋に上げる。周りを見ても警察らしき人はいない。

 難波の部屋は必要最低限な物しかなく、いつでも引っ越しできそうなくらいこざっぱりとしていた。


「古い座布団ですみません」


 出されたのはぺちゃんこになっているせんべい座布団。くたびれ具合から何年も使っているのがわかる。カバーは定期的に洗濯しているのか、シミ一つない。

 私たちは座布団に腰を下ろし、三人で輪になってこれからの行動について協議を始めた。まず、私と佳代乃の滞在先である九重家の別荘がある地域を難波に伝える。


「私は神風の発生地域近くにいたいと思っているんだけど、気象予報士的にこの場所はどうかしら?」


 最初の滞在先は神風が吹くことが多いこの街の周辺だ。


「大丈夫だと思います。ここ最近の神風はこの地域でしか発生していません。次の予想も前回同様この街だそうです」

「それは良かった。神風は大事だからね」

「あの、ちょっと気になったんですが、黒岩が日下部さんのことをバラしたらまずいから逃げるんですよね? それなら神風にこだわらずもっと遠くに逃げたら良いのでは?」


 おっとそうだった。佳代乃には話したが、難波には一言も話していないんだった。

 事情を知らない人からすると、逃げることより神風を優先する理由がわからない。私は1回誰かに話すと安心するのか、誰にどこまで話したか忘れる傾向がある気がする。そんな自分を反省しつつ、難波に記憶をすべて取り戻したことと、伊藤との確執を話す。


「なるほど。伊藤が日下部さんに喋ったんですね。「案内をしてやったのはわたしだ」って」

「ええ。あれほど腹が立つこともなかったわ。だから私のビジネス最初のターゲットは伊藤よ。佳代乃は覚悟を決めて協力してくれると言ってくれたけど、難波は今の話を聞いても協力してくれるのかしら?」


 私が難波の方へ視線を向けると、佳代乃も同じように難波を見る。


「おお、呼び捨ては新鮮ですね。大丈夫、僕の決心は揺らぎません。僕は今の仕事が続けられれば良いんです」

「逮捕されても難波のことは伏せておくわ。あなたは何か聞かれても自分は騙されたんだって言い張れば大丈夫なはずよ」

「そこは僕の演技力次第ですね。世間の同情を買うくらいの名演技をしてみせますよ」

「そんな素晴らしい演技見たくないわね」


 肩を竦める。

 気象予報士の味方ができたとなれば、神風が吹くタイミングの心配はしなくて済む。


「ではお話を戻しましょう。わたくしと風子さんは別荘に行きますが、難波さんはここに住み続けるということでよろしいでしょうか?」

「そうですね。僕まで姿をくらましたら怪しまれます。仕事もしにくくなるので、必要な情報を連絡する係になります」

「うん、わかった。お願いするわ。あと決めることは……」


 私たちは1年先の予定まで立て、トラブルが起きた時の対処法など細かく決めた。つい数日前まで一般人として生活していたのに、殺人と逃走の計画を立てるなんて、随分と様変わりしたものだ。



「あっ!」

 話がまとまったところで難波が急に大声を上げた。


「どうしたの? びっくりするじゃない」

「思い出しました! 僕、最初の神風があった日に伊藤と日下部さんの家族を見かけました!」

「は、え?」


 突然の情報に戸惑う。


「話を聞いてからなんか引っかかっていたんですよ!」と、難波は興奮した様子で語り始めた。

「あれは、念願だったマイカーを買ってドライブをしていた時でした。史上稀に見る強風が吹くって言われても我慢できなかったんですよ。それに、愛車と死ねるなら本望ですし」


 難波が指さした方向を見ると、ボロボロなアパートには不釣り合いな高級車が見えた。


「確かあれは道の駅に寄った時でしたね。喉が渇いたので缶コーヒーを買ったんですが、パリッとしたスーツを着た男がいたんですよ。こんな場所、こんな日に高いスーツ着て珍しいなって」

「その頃からお高いスーツだったのね……ああ、いやそれはどうでも良くて、ドライブレコーダーに動画残ってるかしら? 自白したから伊藤が犯人なのはわかってるけど、ちゃんとした映像や音声も確認しておきたいの」


 伊藤のことを詳細に調べても、案内した時の様子はわからなかった。家族が乗っていた車のドライブレコーダーはなぜか消去されていた。弁護士の権力を使ったのだろうか。悪事に手を染めていても、伊藤は優秀な弁護士に変わりはないから警察の信用も厚かったに違いない。


「ドライブの後はパソコンに動画を保存しているから、探せば残っていると思います。ただ、最近は容量が圧迫してまして、いらない動画を削除しているんです」

「なかったら諦めるわ。見ようが見まいが、伊藤を殺すことに変わりはないもの」

「わかりました。ちょっと待っていてくださいね」


 難波はノートパソコンを持ってきて、該当のフォルダを探し始めた。


「あっ良かった。ありましたよ」


 5分もしないうちに15年前の2月9日のファイルを見つけて再生する。シークバーを動かし、道の駅に行った時の場面にする。そこにはスーツ姿の伊藤と、私の家族や親戚が乗った車が映っていた。


「あの人、僕が缶コーヒー飲んでる間ずっとあそこにいたんですよ」

「そもそもなぜ道の駅にいたのでしょう?」

「あいつの考えてることなんてわからないわよ。ま、よからぬ企みをしていたのは間違いなわね」


 私の家族が道の駅に来たのは偶然だ。もし、方向音痴でなければ立ち寄らなかったし、寄ったとしても誰かに道を聞くことはしないはず。

 だから伊藤は道の駅かその周辺に用があった。そして、たまたま道を聞かれたので答えたにすぎない。神風が吹く道を教えた理由はわからないが。



 三人で映像を確認していると、伊藤はスーツケースを地面に置き、手の平サイズの機械を取り出した。


「あら? なんでしょうかこの機械」

「遠くてよく見えないわね」


 伊藤が機械を見てじっとしている間、缶コーヒーを飲み終えた難波が車に乗車した。

 エンジン音が響く。映像が動き出し、少しずつ伊東に近づいていく。


『し……こ……運が……だ。…………例の……ハハハッ』


 すれ違いざま、伊藤が何事か呟いた。最後の笑い声だけはハッキリと記録されていたが、その前に言った言葉はノイズが酷くて断片的にしか聞こえなかった。


「残りはドライブ映像だけです」


 ドライブレコーダーの確認は終わった。


「見せてくれてありがとう」

「いえいえ! 役に立てたのなら光栄です」

「あの、最後に何事か呟いていましたわよね。難波さんのパソコンにノイズを除去するソフトはありますか?」

「あるにはありますが……」

「わたくしノイズの除去できるので、ちょっと試してみたいです」

「私も最後の言葉は気になるわ」

「わかりました。えーと……確かここに入れたはず」


 難波が記憶を頼りにフォルダを開く。ソフトを起動させ、パソコンの操作を佳代乃にバトンタッチすると、彼女は手際よく余計な音を小さくし始めた。


「これで大丈夫なはず……。はい、準備が整いました。再生しますね」


 カチッとマウスをクリックする音が鳴る。


『……しっかし、ここで道に迷うなんて運がない奴らだ。さて、例の強風の威力はどんなもんかなぁ。……ハハハッ』


 聞かなければ良かったと、今さら後悔した。

 強風の威力だって? ということは、伊藤が持ってるのは風速計だ。見たことないモデルだから型落ち品だろう。15年前の映像だから当然だが。

 あいつは偶然やってきた私の家族を実験台にしたのだ。史上稀に見る強風の強さ、それだけを知るために。


「……あまり、気分はよくありませんね。あの時、この言葉を聞いていたら掴みかかったかもしれません」

「…………」

「風子さん?」


 静かに立ち上がると、佳代乃は心配そうに見上げてきた。


「大丈夫よ。それより早くここから離れましょう」

「あ、はい。難波さん今日はありがとうございました。今後もよろしくお願いしますわ」


 佳代乃は丁寧にお辞儀をして私の後を追ってきた。遠くから「また連絡しますねー」と、難波の声が聞こえる。

 私はイライラを誤魔化すために、手を上げて答えた。

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