第6話新人気象予報士とビジネス
展望台の中に入ったら再び強風が吹き始めた。
「この風はどれくらい続くの?」
「いつも通りだったら30分ぐらいで弱くなります」
「あっ、意外と短いのね」
「長いときは半日かかりましたが、それは滅多にないので大丈夫だと思います」
半日かからないことを祈ろう。
人がいるフロアに戻ると、みんなこの風の中出たくないのか、本を読んだりスマートフォンの画面を覗き込んでいたりしている。私たちはエレベーター近くのベンチに座り、風が止むまでぼんやりと過ごしていた。
「あの、すいません。もしかして日下部さんですか?」
灰色のスーツを着た男性が話しかけてきた。
七三に分けた髪に四角い眼鏡。いかにも勉強ができる優等生という雰囲気の男だ。
「私のことをご存知なんですか?」
この男の記憶はない。話を聞けば少しは私自身のことを思い出せるだろうか。
「やっぱり印象薄かったかな……。あなたにビジネスの誘いを受けた
ビジネス? なんの話だろう。
「あっ、すみません。風子さん、神風に巻き込まれた影響で一時的に記憶を失っていらっしゃるのです」
「えぇっ! そうなんですか! お体の方は大丈夫ですか?」
見ず知らずの人に心配されてしまった。あちらは私のことを知っているようだけど。
「体の傷は完治しました。酷い怪我だったみたいですが、適切な治療のおかげで不自由なく過ごせいています」
一昔前だったら足や腕になんらかの後遺症が残っていただろう。脳の障害に関してはまだ技術不足だけど、将来的には改善されると思う。
「ところで、ちょっとお願いがあるんですが……」
「何でしょう?」
「私まだ10歳の誕生日までの記憶しかなくて不安なんです。もし良かったら、難波さんに持ちかけたっていうビジネスの詳細を教えていただけませんか? もしかしたら記憶回復の手がかりになるかもしれません」
「わたくしからもお願いいたしますわ」
佳代乃が援護する。私たちの真剣な眼差しに、難波さんは深くうなずいて私との出会いを語ってくれた。
「あぁそうだ。僕のことは呼び捨てで構いません。敬語で話されるのは慣れてないのでタメ口でお願いします」
「分かった。お願いね難波……くん」
取ってつけたような『くん』がツボにはまったのか、笑いながら難波くんは語り始めた。
「まず、僕の職業なんですが気象予報士をやっています。まだ新人ですけど」
「へぇ、まだ若いのにすごいわね」
「毎日先輩に怒られてばかりですけどね。確か日下部さんの記憶は神風発生前までしかないんですよね。実は気象予報士は神風が発生してからグッと価値観が高まったんです」
神風が出てくる前でも十分すごい職業だと思うけど、今はさらに価値がある仕事になっているのか。
「そういえば、風子さんにはまだ気象予報士について説明していませんでしたね」
「じゃあ僕が気象予報士と神風の関係を説明しましょう」
難波くんの顔が輝き出す。人に教えるのが好きなのだろうか。
「神風発生日は宇宙にある気象衛星『太陽の花』の観測によってわかります。この太陽の花からのデータは最初に気象庁に送られます。気象庁で気象予報士たちが情報を分析して、神風のコースを予想します。分析が終わった後は、テレビ局や神風サービスを行っている企業へ予測データを送信します」
「テレビ局はともかく、企業は数が多いから漏れとかありそうね」
「昔はシステムの開発が遅れたので漏れがありましたが、今はコンピュータで管理しているので大丈夫ですよ。ただ、過去にハッキングされて大バッシングを受けたことがあります。おかげで信頼はガタ落ちで、今も気象庁に不信感を持っている人はたくさんいます。僕はそれを変えたい。今の気象庁は違うぞ! って胸を張って言えるようになりたいです」
一度信頼が落ちると回復は難しい。今の時代、何でもネット上に残ってしまうから、揉み消すのも容易ではないのだろう。
「ああでも、今はハッキングより気象予報士の採用の方に問題が出ています」
「採用問題ですか……そう言えば1ヶ月前にテレビでニュースになっていましたわね。今はあまり報道されていませんが」
1ヶ月前の出来事か、私の知らない話だ。
「採用された気象予報士が問題起こしたの?」
「ええ、気象予報士になるためには相当な知識が必要です。でも、頭が良いからなのか、私利私欲のためにデータを使う人が出始めました。例えば、外国にデータを売ったり、嘘のデータを企業に送ったりですね」
「気象予報士を真面目にやってるより、外国に売った方が金になると考えたのね。嘘のデータは……人が騙される様子を見たいとか、恨みがある企業を困らせたいとか、かしら?」
「理由はおおむねそんな感じでした。だから、今は採用基準に人柄も追加されました。ちなみに僕は人柄採用です。本音を言うと、賢さの方で採用されたかったかな」
人柄採用された人も不満があるようだ。
「まあ、悪いことはしない良い人ってお墨付きがもらえたからいいじゃない」
「そうですよね。知識は後から見返してやりますよ。僕は人柄だけじゃないんだぞ! って言ってやります」
うんうん。その意気だ若者!
あっ、私も若者か。でもこの中だと一番年上のような気がする。難波くんからは成人したばかりの初々しさを感じる。
「で、気象予報士と私のビジネスはどう関係してくるの?」
「今の時代、神風を使った事業を立ち上げるには気象データが必須です。でも、データの受取日には優先度があって、大企業の壊れ物収集サービスはいち早くデータが送られますが、零細企業だと数日遅れます」
「どうして? コンピュータで管理してるなら一斉に送信すればいいのに」
「実は小さい企業であるほど倒産するリスク、犯罪に利用するリスクが高まる傾向があると政府から発表されたのがきっかけなんです。確かに零細企業ほどデータを持ち逃げされていましたよ。政府によって裏付けがされたので「しっかりと企業の内情を調査してから送りましょう」と、気象庁のお偉いさんの会議で決まりました。それからは零細企業、立ち上げたばかりの企業などは後回しです。そんな現状に不満を抱いた零細企業は、気象予報士を雇って情報を提供してもらおうと考えました。気象予報士は仕事のかけ持ちが許可されていますからね」
「私は難波くんに気象データを教えてほしいと持ちかけたとか?」
「はい、そうです。基本的に他国に売る、嘘を教えるなどのことをしなければ良いので、風子さんはそこに付け込んで「一緒にビジネスをやらないか」と持ちかけたのです」
付け込んだとは人聞きが悪いが、今の話を聞いたら記憶喪失中の私もいつかは同じことを考えそうだ。
「ということは、私は神風サービスをやろうとしてたってことね。どういう内容だったの?」
「それが……詳しいことは何も話してくれなかったんです。協力すると決めたら話すと言われてしまいまして。他の人にも声をかけると言っていたから、その人を見つけられたら詳細がわかるかもしれません」
「そっかぁ……」
「お役に立てず申し訳ありません」
「いや、すごく助かっちゃった。朧げだけど起業しようとしてた気がする」
まだ靄は晴れないが、何かのきっかけで全部思い出せそうなくらい薄まったと思う。ここで難波くんに会えてよかった。
気付けば30分はとうに過ぎていた。
「あ、風止まってるね。今日はありがとう。よければなんだけど、連絡先教えてくれないかな。全部思い出したらまた声をかけるかもしれないし」
「もちろんいいですよ。あの後、日下部さんのビジネスを手伝うのもいいかもしれないと考えていましたから」
「内容もわからないのに?」
「あなたにそう思わせる魅力がありましたので」
「ちょ、ちょっと! もしかして口説いていますの!? そんなのダメですわよ!」
私たちの話を聞いていた佳代乃が焦り始める。ただの社交辞令だと思うんだけど。
ぶすっと不貞腐れた佳代乃の手を握り、難波くんと別れた私たちはのんびりと帰路につくのだった。
夕方、テレビの電源を入れると、神風による犠牲者の情報が入っていた。
いつもは神風の翌日だったが、今回は亡くなった人が少なかったから早めに情報が入ったらしい。佳代乃が言うにはたまにあるとのことだ。
その犠牲者の中に、「茂助」という古めかしい名前の人がいた。
もっさんだろうか? 赤いニット帽を被っていれば確信できたのに。
犠牲者の情報は3分もしないうちに流されてしまった。
これでは多くの人が忘れてしまうだろう。
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