第5話神風の威力
朝日が目に入り、眩しさに目を細めながらゆっくりまぶたを上げる。
昨日は神風サービスを一通り見て疲労困憊だったから、買ったばかりの布団に入ってすぐ寝てしまった。
時計を見るとあと15分で8時だ。リビングの方から無機質なニュースキャスターの声が聞こえるから、佳代乃はもう起きているのだろう。
「おはよう」
寝室の扉を開けて挨拶をする。
「おはようございます風子さん。朝ごはんを作る準備は整ってますので、お顔を洗ったら一緒に作りましょう」
「ありがとね。本当は居候の私が早起きして用意しなきゃいけないのに……」
「今日はたまたま早く起きれただけですわ。それに、元からお世話を焼くのが好きでして」
「お世話か……私はすぐ匙を投げちゃうからすごいよ」
「お褒めに預かり光栄ですわ」
こんなに優しい人が私の世話をしてくれるなんて、記憶を失う前の私はどんな善行を積んだのだろう。甘えちゃえって思った自分が浅ましい。
半年の眠りからまだ3日も経ってないが、早く記憶を取り戻したい。言語系はまったく問題ないのに、思い出だけがなくなるなんて、自分が空っぽみたいで気に食わない。
『神風情報をお伝えします。本日の午前10時頃から徐々に風が強くなる予定です。付近の住民は飛ばされないよう、厳重注意をお願いします。該当地域は……』
どうやら神風が吹くようだ。
「ここから近いですわね。朝食を食べましたら電車に乗って展望台へ行きませんか? 神風の様子が見られますよ」
「展望台から見れるのね。この辺はよく神風が吹くの?」
「ええ、発祥の地は別ですけどね。今日は外れましたが、今年中には直撃すると思います。外れた場合は、今回のように周辺地域で吹くことが多いのですよ」
私たちが住んでいるこの街も神風に襲われる危険があるのか。こんな大きい街で吹かれたら多くの人が亡くなりそうだ。
「避難場所はどこにあるの?」
「避難に関しては問題ありませんわ。今は建物そのものが頑丈になったので、家の中に籠もっていれば被害には遭いません」
「あっ、そうなの。じゃあ前日に少し買い溜めしておくだけで大丈夫なんだ」
なんだ、それなら全然心配しなくてもいいじゃないか。
「ただ、お金がなくて家の改築が出来なかった人や、ホームレスの人たちは避難施設へ行かないと巻き込まれてしまいます。家は破壊されても直してくれるので、そのまま放置ですね」
家の補強をしなくてもいいなら節約になりそうだ。『改築するのは時代遅れ! 今は神風に直してもらうのがトレンド!』みたいなキャッチコピーがありそう。そのかわり、自分は避難しなくてはならないが。
「展望台に行く途中に避難所がありますので、見に行きますか?」
「あらいいの? 避難所暮らしが気になるから行ってみたいわ」
避難を余儀なくされた人たちの話を聞いてみたい。
電車に乗って1時間。もう10時になっているから風が強くなってきている。10時頃から徐々に強くなっていくと言っていたから、これからさらに強くなるのだろう。
髪がパサパサと顔を打ち、手に持ったカバンが暴れている。たまに体に当たって痛い。これでスカートを履いていたら、捲れ上がって大変なことになっていただろう。
「直撃コースじゃない展望台付近でもこんなに風が強いなんて……現地はどうなってるのかしら」
「まだ本番ではありませんから、足が少し浮く程度だと思います」
「えぇ……足が浮くとか……それでまだ本番じゃないって神風はどんだけ強い風なのよ。あっ、私は神風に巻き込まれて記憶喪失になったんだっけ……」
向かい風に逆らって歩みを進める。目を細めながら移動しているせいで距離感が掴めない。かれこれ15分は歩いている気がする。
「風子さん、避難所が見えてきました。もう少しですので頑張りましょう!」
あぁ、ようやく避難所だ。そこから展望台までどれくらい距離があるのだろう。
避難所は軽く1000人は収容できそうな大きさで、みすぼらしい格好をした老人、たくさんの子供を抱えた女性など、いろいろ事情を抱えた人が身を寄せ合っていた。
「こんにちは。すごい風ですけど、不安はありませんか?」
私は近くにいたホームレスと思われる男性に話しかけた。
「ああ、確かに今回もすごいがまだマシさ。酷いときはこの避難所がガタガタ揺れるからね」
「神風じゃないのに揺れるなんて……いつ壊れるか怖いですよね」
「まったくだ。普通の強風に壊されたら「この建物を作ったのは誰だっ!」って、建設会社に怒鳴り込んでやるよ」
男性はヘラヘラと笑ってファイティングポーズを取った。
「そうならないことを祈ります」
その建設会社のためにも。
「おおい! 誰かもっさん見てねぇか!」
男性の話しを聞いた後、しゃがれた声の老人がこちらに近づいてきた。
「あっ、あんたら今来たのか? もっさんつうのは俺の友人なんだが、そいつがまだこっちに来てねぇんだ。途中で俺ぐらいの年齢のやつ見なかったか? 赤のニット帽が特徴なんだが……」
「来る途中ですか……わたくしは見ていませんね。風子さんは?」
「私も見てないわ。風が強いからあまり遠くまで見られなかったけど、少なくとも私たちの近くにはいなかったと思う」
佳代乃が見ていなかったのなら、目を細めていた私なんか見えるはずがない。
老人はがっくりとした様子で私たちに礼を言い、とぼとぼと避難民たちの中へと消えていった。
「もっさんって人どうしたんだろう」
「明日、ちょっとだけニュースになるかもしれませんわね……」
神風の犠牲者としてニュースになるのだろうか。ちょっとだけということは、サラッと流される可能性が高いのか。
ほとんど誰の記憶にも残らず死ぬというのは寂しい。私の家族だけは、私自身がしっかり覚えていなくては。
絶対に、忘れはしない。
避難所で話しを聞いた後、私たちは展望台へと向かった。展望台は避難所から徒歩5分のところにあった。
とても近くにあったのに、目を細めながら歩いていたせいで気付かなかったのが間抜けだ。「展望台はどこにあるんだろう」なんて言葉を発しなくて良かった。こんなこと言ったら笑われてしまう。
展望台には受付の人が一人、客は私たちの他には3人だけだった。雰囲気はさながらミステリーの現場のようだ。
ここは密室、殺人事件が起きたらこの中に犯人がいるだろう。探偵役は、ベンチに座って外を眺めているハンチング帽をかぶった30代前半の男性、助手は隣りにいる20歳後半の男性だな。
殺される人は――ちょうど行方不明になっているし、もっさんにしよう。犯人はそうだな、私ということにしておこう。
佳代乃は……意外な設定にしたい。そうだ、私の恋人にしよう。なんと、犯人は同性愛者だったのだ!
ちょっとどころじゃなく不謹慎だが、我ながら楽しい妄想だ。
「風子さん? 顔がニヤついてますけど、何かありましたか?」
「あっ、いや、何でもないよ! 非日常みたいで楽しいなって思っただけだから!」
フロアに声が響く。こんなに動揺していたら怪しまれるから、私に犯人は向いていないかもしれない。せいぜい共犯者がいいところだろう。
「はぁ、それより風子さん。もっと見晴らしのいい場所に行きましょう。わたくし良いところを知っているのです。こっちですわ」
佳代乃に手を引かれて、私は人がいるエリアの反対側にある従業員室へと向かった。
「あっ、心配しなくても大丈夫です。許可証は持っていますので。風子さんの分もありますよ。はいどうぞ」
渡された許可証には昨日の日付が書かれていた。許可した日ということなのだろう。
佳代乃の手回しのよさは、実は良いところのお嬢様で、両親に連絡すれば簡単に手続きができるから――なのか?
聞いてみてもいいけど、はぐらかされそう。今度内緒で素性を調べてみよう。
従業員用の出入り口を抜けてさらに奥まで進むと、立ち入り禁止と書かれた扉があった。私たちは許可証を持っているので、そんな言葉を気にすることなく扉を開ける。
そこには3人入るのがやっとくらいの小さいバルコニーがあった。
「こんなところにバルコニーが」
「ここは重要な話があるときに使われる場所です。昔、父に連れられて入ったことがあって、ここから見た景色が大変素晴らしかったのをよく覚えています」
「へぇ……確かに見晴らしは良いわね。でも、風が強すぎる」
さっきよりも風が強くなっている。小学校低学年くらいの子なら飛ばされてしまうだろう。
「この強さ……神風に変化するまでもう少しですわ。見終わったらすぐに戻りましょう」
あまりの風に目が開けられなくなってくる。こんな状態で神風が見れるのだろうか。中に入って見たほうがいいのでは?
そんなことを考えていると、不意に風が止まった。
「え? なに?」
――ゴウッ!
大気を揺るがすような轟音が前方から聞こえてきた。そして、想像を絶するような光景が視界に入ってきた。
神風のコースとされている地域、そこに巨大な渦が出来上がっていたのだ。薄緑色をしたそれはキラキラと光る粒子を撒き散らしていて、ありとあらゆる物体を天高く舞い上がらせていた。
「机、車、屋根……いろいろ飛んでる……」
「いつ見てもすごいですわね」
佳代乃はうふふと、頬に手を当てて見ている。
「あんなめちゃくちゃに飛んでるのに、終わったら元の場所に戻ってるんでしょう? 神風って一体何なんだろう……」
「神風が作られる原理はまだ解明されていませんわ。まさしく神が遣わした風です」
今の科学でも難しいってことか。遠くで見る分には綺麗だけど、現場は地獄のような有様なんだろうな。
時間にして10分くらいだろうか、少しずつ渦が小さくなってきた。
「間もなく終わりますわね」
「神風の発生時間ってけっこう短いのね」
「これからまた風が強くなります。今のうちに中に避難しましょう」
また強風が吹くのか。
神風が完全に消えるまで見守った後、私たちはいそいそと室内へ戻っていった。
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