第2話マンションにて

 佳代乃が住むマンションは想像以上に大きかった。外観も真っ白で汚れ一つ見当たらない。よく見れば清掃業者の人が作業用のゴンドラに乗って丹念に磨いている。共用スペースも小石やほこりがなく、外から中までとんでもなく清潔だった。これだけ豪華だとセキュリティも想像以上に強固だろう。

 家賃は、考えたくない。


「ここにはプールがありまして、24時間いつでも泳げます。今度一緒に参りましょう」


 佳代乃はウキウキしながら水着はどうしましょうやら、フリフリな水着も可愛らしいですわねなどと呟いている。フリフリは恥ずかしいから勘弁してほしい。水着選びは佳代乃に主導権を握られないようにしよう。

 部屋に着くと、寝室や風呂場などを案内される。ざっと見た感じ、二人で住んでもまだスペースが余るくらいの広さだ。


「風子さん、日用品を買いに行きませんか? ここにはわたくしの持ち物しかないので、下着や歯ブラシなどを買わなくては」

「そうね。さすがに借りるわけにはいかないし」


 病院から持ってきた荷物を置いて買い物の準備をする。私は持ち物がないので、佳代乃の準備が整うまでふかふかのソファで寛ぐ。


「あっ、お金の心配はご無用ですわ。わたくしが全部払います」


 ドアの隙間から佳代乃が顔を出す。着替えの途中なせいでブラジャーの紐が僅かに見える。同性だから良いが、もし私が男性だったら目のやり場に困っていただろう。

 しかし支払いまでやってくれるとは、何から何まで本当にありがたい。躊躇いなく出せるということは、やっぱり良いとこのお嬢様なのだろうか。このまま甘えていたらヒモになりかねないし、せめて家事だけはやらせてもらおう。

 それが今の私にできる恩返しだ。


 買い物はマンションの隣りにあるコンビニで済ますことにした。もちろんデパートの方が種類が豊富だが、最近ではコンビニも負けず劣らずの商品数らしい。

 私の記憶では、コンビニは最低限の食料と生活必需品しかなかった。商品数の増加はここ最近の出来事だという。

 コンビニに入ってすぐ気になったのが、化粧品や下着の種類だ。ここは本当にコンビニなのかと疑うほど、たくさんのブランドが商品棚の取り合いをしている。

 次に気になったのは食料だ。もうスーパーと言っても良いぐらいの量が並んでいる。ちゃんと捌けているのか、コンビニの経営者でもないのに心配になる。

 あまりの商品量にニ階にまで売り場が伸びている。さらに驚くことに、三階まであるコンビニも存在するとか。ここまでくるとコンビニという名前に違和感を持ってしまう。


「あら、どうしました風子さん。ちょっと顔色が悪いみたいですが……お手洗い行きましょうか?」

「えっ、ああ。ちょっと、私の記憶とだいぶ違っているからギャップについていけてないだけ。せっかくだからトイレに行って頭の整理してくる」

「でしたらわたくしはここ、化粧品コーナーで待ってますわ。……無理はしないてくださいね」

「ええ、心配しなくても大丈夫よ」


 佳代乃と別れてコンビニの奥にあるトイレに入る。

 鏡の前でゆっくり息を吐いて、改めて自分の容姿を確認する。どう見ても地味、しかも童顔。フリフリな服やかっこいい服よりも、牧歌的な風景が似合う服装の方がしっくりくる。肩甲骨ぐらいまで伸びた髪は黒く、少し重たい印象を受ける。佳代乃のグレーアッシュの髪色が羨ましい。

 二人で並んでいると貴族と一般人にしか見えないし、周りの視線が妙に気になる。「不釣り合いだ」そんな声が聞こえてきそうだ。記憶を全て取り戻せば、こんな不安も消えるだろうか。

 パチンッと頬を軽く叩いて気合を入れ直す。ここでぐずぐずしていても仕方ない。一刻も早く記憶を取り戻すために、もっと色んなことに触れていこう。何か一つぐらい引っかかるものがあるはずだ。

 例えば、何回か聞く神風。私の記憶に神風という単語はない。でも、私の家族や親戚は15年前に神風に巻き込まれて亡くなっている。ということは、私の誕生日の後に発生した現象だ。

 私は神風について知らなすぎる。買い物を早く終わらせて佳代乃に聞いてみよう。今の私は佳代乃だけが頼りだ。私は彼女の待つ化粧品コーナーに戻ることにした。


「神風ですか」


 買い物の帰りに問いかける。


「そう、神風は15年前に発生してるけど、私の記憶には一切ないの。いつ発生したのかしら?」

「風子さんの誕生日は1月9日でしたね。その一ヶ月後、2月9日に人類が今まで経験したことがない突風が吹いたのです」


 誕生日の一ヶ月後だったのか。私は誕生日当日までの記憶しかないから存在を知らなかったわけだ。


「数日前に強風が吹くと予報されていましたので被害は最小限でしたが、それでも巻き込まれた方は数名おりました。……風子さんの血縁の方たちですね。でも、犠牲者より人々が関心を持ったのは『壊れた物を修復する現象』だったのです」

「壊れた物を修復する?」

「神風によって巻き上げられた様々な物――家、車、電子機器などが完全に直っていたのです。バラバラに壊れていたのに、神風が通過したら元の形に戻っていました。これはおかしいと思って検証した結果、神風が壊れた物を修復していると実証されたのです」


 風が壊れた物を直す、そんな馬鹿みたいな話があるのか。私は神風に巻き込まれて重症を負ったから、ただのとんでもない強風というイメージしか持っていなかった。

 それなのに、壊れた物を直す風?

 そんな奇跡的な現象だったなんて!


「詳しいお話はお部屋に戻ってからにしましょう。神風については立ち話で終われるほど短くありません。夕食後にゆっくりお話しますわ」


 佳代乃に促されて歩を進める。

 神風、単語を聞いただけでは記憶に変化はなかったが、何だろう、重要な現象のような気がする。


 半年の眠りから目覚めたばかりのせいで、重たいものを食べるのは気が進まない。そんな気持ちを察してくれたのか、佳代乃はおかゆを作ってくれた。本当なら今日の夕食から私が作ろうと思っていたが、佳代乃に無理をしてはいけないと窘められてしまった。


「明日からお願いしますわ」


 笑顔で言われてしまったので、大人しく手料理をいただくことにした。私は佳代乃の笑顔に弱い。

 簡素な夕食を食べた後は、改めて神風によって生まれたサービスや犯罪を聞いた。


「……というわけで簡単に説明しましたが、実際に見てもらった方が理解できると思います。そろそろ神風が近付いてくるので、明日は神風サービスを見に行きましょう。きっと盛況ですよ」


 話を聞き始めて30分、ちゃんと頭に入っているか怪しかったのでこの提案はありがたい。聞くのと見るのとじゃあ理解に差が出る。近い内に神風も見れるようなので、今日はゆっくり眠ることにした。


「あっ、すみません風子さん。ベッド一つしかないから狭いかもしれません」

「住まわせてもらってるから私は床で大丈夫よ」

「それはいけません! 風子さんは病み上がりです。心身ともに健康なわたくしが床で寝ますから、ベッドをお使いください!」


 寝る前に押し問答が始まってしまった。私は居候の身だから床でも良いんだけど、家主である佳代乃が許してくれない。


「でも、二人で寝るには狭いよね」

「わたくしが横を向いて寝ます。寝相は悪くないので安心してください」


 絶対に私を床に寝させない気だ。そんな強い意志が声色でわかる。

 明日は朝から出かける予定だから、いつまでも言い合って睡眠時間を削る訳にはいかない。私がベッドで寝ないと気が収まらないだろうし、ここは私が妥協して佳代乃と一緒に寝るべきか。


「わかった、わかったわよ。狭いけど今日は二人で寝ましょう。明日は自分の布団を買ってそこで寝るわ」

「はい!」


 犬の耳と尻尾が見えそうなくらい喜んでいる。一人暮らしだったから人肌恋しかったのだろうか。

 佳代乃は宣言通り横を向いて、私が寝るスペースを作る。空いたスペースに入ると、佳代乃は何が楽しいのかニコニコとこちらを見てくる。

 すごく、寝にくい。寝顔を見られるのは嫌じゃないが、こうも見られていると落ち着かない。もしかして、私が寝るまで見張っているつもりか。佳代乃の視線を感じながら、ゆっくりと目を閉じる。

 早く寝れると良いなぁ。

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