神風が吹く世界で
涼風すずらん
第1話目覚めたら記憶喪失になっていた
最初に目に入ったのは、シミ一つない真っ白な天井だった。
ここはどこだろうか? まったく見覚えがない。
……そもそも私は一体誰なんだろう?
ズキズキと痛む頭を手で押さえ、ミシミシと痛む上半身を起き上がらせる。
「風子さん! 目を覚ましたのですね!」
ふうこ?
視線を右に移すと、ツインテールが似合っている、10代半ばくらいの女の子が嬉しそうな顔をして微笑んでいた。手にはりんごと果物ナイフが握られており、さっきまで剥いていたのか、りんごの皮がぷらぷらと垂れている。
「ええと、あなたは一体……」
「わたくしは
佳代乃と名乗った少女は慌てて呼び出し機のボタンを押す。
お医者様ということは、ここは病院なのか。そういえばピッ、ピッと、規則的な電子音が聞こえる。腕には点滴もされているので、私は病気か怪我で入院をしているのだろう。辺りをキョロキョロと忙しなく見渡していると、白衣を着た初老の男性が病室に入ってきた。
「
「はぁ、体調は問題ありませんが……ちょっと混乱しておりまして、自分が何者なのか思い出せないんです」
医者の表情が驚愕に変わる。
彼にとって想定外の事態なんだろうか。ふと反対側を見ると、佳代乃も同じような表情でこちらを見ていた。
「なんと……一時的な記憶障害でしょうか。念のため検査をしましょう。佳代乃さん、日下部さんに関する資料を用意しておいてください。記憶を取り戻す鍵になるかもしれません」
「はい、分かりましたわ」
私の返事も聞かずにあれよあれよと事が進められる。
記憶障害か――私はどこの誰で、どうして入院しているんだろう。
こんなところにいる場合じゃないのに。
医者と佳代乃が慌てる中、私は早くここから抜け出したい衝動に駆られていた。
「うーん……特にこれといった異常はありませんね」
検査をした結果、いたって正常。
生活をするのに支障はないし、過去の記憶がないだけで言葉は普通に話せるから、ゆっくり療養することを勧められた。
そして、検査をしている間に集めた佳代乃の資料によると、私は日下部風子という名前で、『神風かみかぜ』と呼ばれる風に巻き込まれて大怪我をしたことがわかった。
私を見つけたのは佳代乃で、止血や病院への連絡も彼女がやってくれたらしい。傷は最初の止血が功を奏したおかげで綺麗に塞がったが、意識だけはどうしても戻らなくて半年ぐらい眠っていたそうだ。
「全身が血だらけで驚きましたわ」
今となっては良い思い出になったのか、佳代乃は笑い話のように話す。医者いわく、彼女の処置がなければ死んでいたとのこと。
資料を一通り見た後、私と佳代乃は気分転換で病院の外に出た。病室に籠もっているより、外の空気を吸った方が何か思い出すかもしれないと医者に言われたからだ。
ピンク色の花があちこちで見かけるから、今は春なのだろう。暖かな陽気が起きたばかりなのに眠気を誘う。佳代乃は眠そうな私を気遣って「木陰で休みましょうか」と言ってくる。
「あのさ、気になったんだけど私と佳代乃って友達だった?」
他人だったら世話をする理由がないから友達だろうと思ったが、佳代乃は少し申し訳なさそうな顔をして「いえ、わたくしたちは友達ではありませんわ」と小さく呟いた。
「えっ? じゃあ苗字は違うけど実は家族とか?」
「……友達でも、家族でもありません。わたくしが一方的に慕っているだけですわ」
空気が重くなる。
友達でも家族でもない関係ってなんだろう。
一方的――過去に困っている佳代乃を助けて、そのお礼にお世話をしているとか? それなら友達や家族じゃなくても私の面倒をみる理由にはなる。
「あっ、そうだ家族。お父さんとお母さんはいつお見舞いに来るんだろう。仕事が忙しいから無理かな?」
見せてもらった資料によると、家族構成は父、母、私の3人家族だ。一人娘の私が入院したと聞くと、あの両親は心配するだろうな。
私の両親は似た者夫婦で、家の鍵をかけたか揃いも揃って心配したり、二人とも方向音痴なおかげで遠出をした時はいつも迷子になったりしている。そんな両親の間に生まれた私も、さぞ心配性で方向音痴かと思いきやそんなことはなく、何かと目が離せない両親の世話を焼くことがよくある。
親のことを思い出していると、佳代乃が小さく私の名前を呼ぶ。どうしたのかと思って彼女を見ると、口元に手を当ててびっくりしていた。今日だけで何回目だろう。私はそんなに人を驚かせるようなことを言っているだろうか。
「風子さん、もしかして思い出されたのですか!?」
ガクガクと肩を揺らされて、佳代乃の顔がずいっと近付く。
「思い出すって…………あっ、ああ! そうだ! 私は日下部風子で、今日が誕生日……ってあれ?」
記憶が戻っている。さっきまで何も分からなかったのに、今は自分や両親のことを詳細に話せるぐらいには思い出している。
いや待て、今日は私の誕生日じゃないことは病室のカレンダーで確認済みだ。
視線を彷徨わせながら、両親との思い出を順に思い出していく。
最後の記憶――私は両親と一緒にケーキを食べている。ケーキにはロウソクが10本立っているから、私が10歳の誕生日を迎えたときの記憶だろうか。
その先の記憶は思い出そうとしても何も出てこないし、頭が拒否するかのようにピリリと痛みだす。
先ほど見せてもらった私に関する資料には25歳と書いてあった。つまり、思い出した記憶は10歳の誕生日までということだ。何も思い出せないよりマシだが、全ての記憶が戻らなかったことに落胆する。
「何がきっかけだったのか分からないけど、10歳までのことは思い出せただけマシか……ってあれ? どうしたの佳代乃」
佳代乃は沈痛な面持ちで私を見ている。
「あの、記憶を取り戻せたのは嬉しいことですが、風子さんの両親は……」
言いにくそうに唇をまごまごさせている。両親の話題でこんな悲痛そうな表情をする理由は一つしか思い当たらない。
「もしかして、お父さんとお母さんはもう……?」
「……ええ、15年前の神風に親戚の皆様と一緒に巻き込まれまして」
「そっか、言いにくかったでしょう。ごめん」
「そんな、風子さんが謝ることはありません。資料を見ている時に言っておくべきでした」
場の雰囲気が少し重くなる。
佳代乃は悪くない。誰だって両親が亡くなっていることを告げるのは勇気がいる。
「少しだけど記憶、取り戻せたからお医者さんのところに戻ろうか」
「……はい」
しんみりとした空気の中、私たちはゆっくりと病院内へと歩き始めた。
風に揺られただけで散る桜の花びらがどこか物悲しく見える。
病院に戻って医師に記憶が回復した経緯を話す。
「なるほど、きっかけは『家族』という言葉でしょうか。声に出したおかげで思い出したのかもしれませんね。どうでしょう日下部さん。今から退院して普通に暮らしてみませんか? 日常生活をしていた方が思い出しやすいと思いますよ」
魅力的な提案だ。入院しているだけではきっかけは舞い込んでこない。自分から探すべきだと思う。
しかし――。
「そうしたいのは山々ですが、私が住んでいた場所が分かりません」
そう、記憶を失う前の私がどこに住んでいたのか、皆目検討もつかないのだ。実家の場所はわかるが、今もあの家に住んでいるとは限らない。
両親や親戚が亡くなったのは10歳の頃だったから、孤児院に引き取られている可能性の方が高い。ただ、私はもう成人しているからどこで暮らしているかまでは、孤児院の施設スタッフにもわからないだろう。
市役所に行けば教えてくれるだろうか。
そもそも私は近くにある街に住んでいたのか?
「でしたら! 思い出すまでわたくしのマンションで暮らしませんか? 広い部屋ですから風子さんが住んでも余裕ですわ」
私が困っているのを見かねて佳代乃が提案を出す。
「えっ、でも迷惑じゃない? 佳代乃の家族にまで私の面倒を見てもらうわけには……」
「わたくし、自立のために一人暮らしを始めましたの。それに、困っている人を助けるのは当たり前でしょう?」
佳代乃の部屋に住めるのはありがたい。
渋る私に「お構いなく!」と答えるその顔には、私のお世話をしたいと書いてあるように見える。
「でも市役所に行けばわかるかもしれないし……」
「引き払いましょう! 今の風子さんは回復したばかりですし、家賃を払うための労働は荷が重すぎます。無理はさせられません!」
グイグイ来る子だ。よっぽど私に恩を返したいのだろう。彼女に甘えて生活するのも悪くないかもしれない。ちょっと邪な考えが頭をよぎる。
「とにかく、風子さんは記憶の回復に専念してください!」
記憶喪失の人間なんて面倒だろうに。雰囲気的に断ろうとしても引き下がらないだろう。
私は仕方ないと言わんばかりに右手を出して、佳代乃と握手を交わした。
「佳代乃、これからよろしくね」
かくして、私は記憶を取り戻すため佳代乃のお世話になることにしたのだ。
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