邂逅相遇

奥から大きなグラスを載せたお盆を持った木下が現れた。

「お待たせしました」

テーブルに置かれたパフェは見事なもので、正に「パーフェクト」その物だった。

「わあ、凄い。こんなに美味しそうなの初めて見ました」

「この店はパフェが隠し名物なんだ。私も20代の頃は何度か食べたがね。どうも最近は胃の調子が間に合わなくって」

「あら、クロウヘッドさんはおいくつですか?」

「私は…その…30だ」

「ええ!」

宮野は思わず声を上げた。見た目はどう若く見積もっても30半ば。お世辞を抜いて良いのならば40代である。

「あ、すみません!」

宮野は思わず反射で謝ってしまったが、それはそれでどのような感想を持ったのか相手にバラしてしまうわけで、適切な行動とは言えなかった。

「いいや、謝らなくていい。今までにそれ以外の反応を見せた人こそいなかった」

「でも老けてるわけじゃないわ。とても渋いというか、カッコいいじゃないですか」

宮野は心に無い事を無理に言っている訳ではない。烏頭は自分の見た目が若くない事を承知していた。それ故、コーディネートにはある程度の配慮をしていた。お金も十分に持っていたから、持っているスーツは漏れなくオーダーメイドのブランド物だった。体躯も痩せている為、細身の部分がしっかりと出てなかなか様になるのである。

「嬉しいね、そう言ってくれると」

「ええ本当に。燻し銀は出そうと思って出る訳じゃないですから」

そう話しながら宮野はパフェの天辺てっぺんに飾られたアイスを長いスプーンで器用にすくってぱくりと食べた。

「うーん、甘いわ。久々のスイーツだわ。A大祭頑張った甲斐があったわ」

そう言って、周りのフルーツやチョコレートも次々と食べていった。烏頭はそれを、まるで小学生の娘を見守る父親の様に、じっと優しい表情で見守っていた。しばらくして、宮野は見られている事に気付いた。

「どうかしましたか」

「ああ、いや何でもないんだ」

ずっと見続けていた事を誤魔化そうと、烏頭は新たな話題を探した。

「そう言えば香坂くんは、あの小説の秘密に気付いたと言っていたね」

「ああ、そうでしたね。完全に分かってたかと言い切れるかと言われれば微妙ですが。でも私の予想では粗方の事は気付いていたと思いますよ。新賀くんは頭良いから。知識はブリタニカみたいに豊富だし、計算は電卓みたいに早いし。その上頭の柔らかさも随一なんだから誰も敵わないですよ。それこそ、クロウヘッドさんくらいしか戦えませんよ」

「ほう。そんなに彼は優秀なのか」

「ええ。あの小説だって、新賀くんが読んだのはせいぜい2時間か3時間だけだったはずだし。新賀くんは速読とか出来ないから1回しか読んでないと思いますよ。というより、全部を通して読んですらいないでしょうね。貰った原稿用紙、途中からピンと張ってましたから」

「それは凄いな」

烏頭は度肝を抜かれた気分だった。自分でもあの物語の秘密を知るのに6時間近く費やし、その上持っている速読の技術で何度も読み直した結果に得た回答だったからである。

「彼は昔からそうなのかい」

「それは…知らないです」

「なんだ、幼馴染じゃないのか」

「ええ。新賀くんと会ったのは去年ですから…」


1年生の初期の頃の事だった。宮野が講義室に入ったのは授業が始まるずっと前の事だった。

昔から席には早め早めに着いていた。友達と話す時も、自分の席の周り以外では人と話さなかった。何故かと言われれても特別な理由は無い。何となく、授業のチャイムが鳴る時には教科書やノートなど、必要なものは全て完璧に準備しておきたかったのだ。

この日の授業は1限の授業だった為、席は全て空いていた。たった1箇所を除いて。

1番後ろの席で本を読んでいたのは香坂だった。その姿と言えば、伸びた背筋といい組んだ足といい冷たい表情といい、「凛とした」という表現がぴったしと当てはまった。宮野は刹那も待たずに惚れてしまった。宮野は静かに香坂の隣の席へ行き、本を後ろから覗いた。全て英語で書かれた海外作品の原書であった。しかし宮野は一瞬にしてその本が何か分かった。丁度覗いたそのページに描かれていた挿絵は、中学の時にハマって以来、数え切れない程に読んだ本に描かれていた。

「最後の事件…ですか?」

「うん?」

香坂は表情を全く変える事なく宮野の方を向いた。

「英語が得意なのかい」

「いえ、挿絵です。私、シャーロキアンなので」

「Let me pay you one in return when I say that if I were assured of the former eventuality I would, in the interests of the public, cheerfully accept the latter…」

「君を確実に破滅させる事が出来るのなら、公共の利益の為に喜んで死を受け入れよう…ですか」

シャーロック・ホームズシリーズ「最後の事件」で登場する名言だ。探偵ホームズが宿敵モリアーティ教授に対し言った言葉だった。香坂は何度か静かに頷いた。

「何度読んでも興奮する。ホームズはこの言葉にどれ程の思いを載せているか。それを想像する事は宇宙の広さを体感する様だね。ただ売り言葉に買い言葉で言っただけなのか、ホームズは誰よりも頭が良いから天秤に命すらかけられるのか、モリアーティに特別な感情があったから言った言葉なのか…自分だったらこんな事言えるだろうかね。私ならモリアーティを調べ続ける内に、彼に感情を奪われそうだよ…」

そう言って香坂は静かにページをめくった。

宮野は2人きりである時間を少しでも過ごしたいと話題を探した。

「ええと、モリアーティはホームズを追いかけますよね。あれって、ホームズが追いかけさせたと思いますか。それともモリアーティが天才だったと…思いますか」

香坂はパタンと本を閉じた。宮野は怒らせてしまったかなと思い、縮こまりながら小さな声で

「ごめんなさい」

と呟いた。しかし香坂は怒った訳ではなかったようだ。

「私はホームズが掌で動かしていたと信じたいね。何と言おうか、ドイルならそこまで考えられそうな気がする。ドイルがただ追いかける方と追いかけられる方を逆転するだけに留めるとは思えない。ただ、そういう考慮の余地をあえて残していたとしたら…ドイルはやはり後世に残る、そして海外でも高い評価を受けるに当然値する。そう思うかな。君は随分とホームズが好きなですね。サークルは小説研究ですか」

宮野はサークルの事まではまだ考えていなかった。とりあえず

「考え中です」

と言っておいた。そしてどこに入るつもりか聞いてみようと思ったが、考えてみれば会ってから名前をかわしてすらいなかった。

「ええと、お名前は…」

「ああ、そういえばそうだね。香坂です。よろしく」

香坂は本をしまいながら言った。

「宮野櫻です。あの、香坂くんはどこのサークルに入るんですか」

「私は…文芸サークルかな」

「小説を書くんですか?」

「いや、あそこは小説を書く人達の他にもいてね。そっち側目的さ」

香坂がそう話しているうちにゾロゾロと人が入ってきた。宮野はそっち側が何なのか聞こうと思ったが、その暇はなさそうだったので、仕方なく自分のいるべき席へ行った。去り際に香坂の方を見ると、その日必要な本は全て出ていた。そしてそれらは全て使い込まれていた。貰ったからではない、使い込んだからであろう。どうしてか宮野にはそんな気がした。そして事実、それらは全て香坂によって使い込まれていたのである。

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