HINT
学校祭は2日目の終盤に差し掛かっていたが、やはり賑わいが止む事は無かった。全ての階で人が出入りし、往来していた。出店も、各店舗が1日目の状況から材料の緊急確保を始めたのが功を奏し、売り切れ間近ながらも、まだ開店し続ける事が出来ていた。
この喫茶模擬店も、満席とまではいかないにしろ、半分以上の席は埋まっていた。宮野と烏頭が入ると、宮野の友人が駆け寄って来た。
「いらっしゃいませー。あら、櫻じゃない。もしかして彼氏さん?」
友人は烏頭の方を見て首を傾げた。
「まさか。ちょっと上すぎるわ。私の守備範囲外よ。この人は私の好きな作家さんよ」
烏頭は「守備範囲外」という判定に、
友人はポンと両手を叩いて合わせた。
「ええ、凄い!作家さん?サイン貰おうかしら。で、何書いてるの?」
「ああ…」
烏頭は答えようとしたが、宮野が
「いいから早く私たちを案内して」
と阻んだ。
「忘れてたわ。こちらへどうぞ」
と、2人は1番角の窓のすぐそばに案内された。
「ご注文は?」
「じゃあ、私はモカにするわ」
「私はブラックのエスプレッソ」
「かしこまりました」
友人は宮野に小さく手を振った。
「悪いね、付き合わせてしまって」
「いえいえ、寧ろ素敵です。もっと外のお店の方が良かったかしら?」
「いやいや、数年振りに来たんだ。というより、学生時代以来だな」
「そうなんですか。当時は何してたんですか?」
「ええとだな…」
烏頭は思い出してみたが、どうにも何をやったかいまいち覚えていなかった。当日、行こうか悩みながらも足を運んだ
「実はね…私はあまり社交的な人間ではなくてね。こういうのは嫌い、というか苦手だったんだ」
「それなのに来てくれたんですか?嬉しです!」
「ああ。小坂くんが私に連絡をくれてね。せっかく招待されたんだ。行かない訳にはいかない。それに社会に出てから数年経てば、嫌でもある程度人とは交わらねばならないんだ。好きではないが、不快とも思わなくなったね」
「そうだったんですか。ちゃんと有名人を招待してたみたいで安心しました。そうだ、話したい事って、鹿崎くんの話でしたっけ」
「ああ、これだよ」
烏頭は鞄から原稿用紙を取り出した。
「実に面白い作品だね。A大の謎解きサークルを名乗るだけあるね」
「ええと、彼はサークルじゃないですよ」
「そうなのか?」
烏頭は意外な言葉を聞かされたように顔を引いた。
「じゃ、じゃあ彼は?」
「文芸サークルなんですよ。小説書く人はあまりこっちには入って来ませんね」
「どうしてだい?」
「文芸サークルと謎解きサークルは兼部しないんです」
「何か理由があるのかい?」
「実は、つい1年前の事だったんですが、文芸サークルと謎解きサークルの分裂事件があったんですよ。文芸サークルに入ってた内の何人かが、執筆をやめて謎解きの制作の方に力を注いでたんです。私も当時は謎解きを目的に入会したんですけどね」
実際は香坂に近付く為であったが、言う必要は無いと判断した。相槌を打つ烏頭に、宮野は話を続けた。
「それで謎解き組が講演をしたいって時に、一部の文芸サークルが『小説書かないのに文芸サークル名乗るな』って怒りまして。売り言葉に買い言葉といった感じで分断する事になったんですよ」
それを聴くと烏頭はハッハッハと笑った。
「そうですか、そんな事が。いやいや、心配しなくても問題ありませんよ。そんな仲が悪いなんてのは数年後には無かった事になって、仲良く兼部してる人も沢山いる事でしょう。A大は本当に賢い人が多い。小説を書く能力と謎を考える能力、その両方を充分に兼ね備えた人間は沢山います。彼もまたその1人ですよ。鹿崎くんも」
「そうですか…」
宮野はちょっと困った顔で頷いた。
「お待たせしました。モカとエスプレッソです」
「ありがとう」
烏頭はそういうと、一気に半分ほど飲んだ。
「ううん、学祭の味だね。マズいがウマい。これを大学時代に経験するんだった」
そして残りの半分も飲み干した。
「そうしたら、謎解きサークルに来ても読んだ人がいるかは怪しいものでしたね。あそこにいたのが読んでいたあなたで助かった」
「は、はあ」
宮野が力ない返事で返すと、烏頭はグイッと身を乗り出して尋ねた。
「で、感想は?」
「え?」
「だから、あの小説の感想だよ」
「ああ、まあちょっと変わった舞台設定だったけど、普通じゃないですかね」
「それで?」
「それでって言われましても…」
「それだけかい?何か気づいた事は?ないの?」
烏頭の不満げな顔に宮野は少々焦りながら、内容を思い出した。しかし、何も面白かった所はなかった。
「はい、特には…」
「なんだ期待してしまったが謎解きサークルがそんなものか。君は見るからに聡明そうだったからね」
「そうですか?」
宮野はムッとしながら言った。
「そういえば君は私がクロウヘッドと気付いたね。私は顔出しをした事は無い。どうして分かったのだ」
宮野は応えた。
「それは…まずあなたは並んでいた時に岡部先輩と
宮野は止まる事なくスラスラと呪文のように答えた。
「素晴らしい、実に素晴らしいよ」
烏頭は目を丸くしながら拍手した。大声を出した為、周りの視線が彼に集まったが、烏頭は気にする事は無かった。
「君はまるでシャーロックロームズだね。さっきの言葉は撤回しよう。謎解きサークルにピッタリだ」
「あ、ありがとうございます」
宮野は顔を赤くした。
「昔からシャーロキアンで、小説研究のサークルに入ろうか迷ったんです。でも、こっちの方が楽しそうで」
「シャーロックなど所詮はストーリーの中の人間さ。憧れるのは程々でいい。君のような人が素晴らしいのだよ。分かった。君なら皆まで言わずとも理解するだろう。私からヒントをあげよう」
「ちょっと待ってください」
宮野は首を傾げながら下を向き、
「実は、香坂も同じような事を言ったんです。謎解きサークルを名乗るなら読みなさいって。でも、謎解き小説でもなければ、推理でもない。探偵も警察も金田一もモリアーティも出てこない。奇妙な点といえば、中途半端にストーリーが終わってる所です。でもそれは書いてる途中でいなくなったからだし。この小説はなんなんですか」
「そうか、香坂くんとやらは気付いたのか。素晴らしい。さぞ頭の良い人なのだろう」
「当然です。この大学に入った時は全教科満点で入ってるんです。クロウヘッドさんの再来と噂されてたほどです」
「なるほど、なるほどね。それならすぐ解けてもおかしくない。彼の想像力と直感力は私に迫るか場合によっては通り越すな」
烏頭は感心したように頷いた。そして、
「君は目に見える状況を事細かに把握し、推理できるようだ。その姿は私が読んだ小説じゃシャーロック・ホームズそのものだよ。感動した。しかしね、宮野さん。文を読む上では完璧にこなせていない。何故なら、文というのは
「悪魔、ですか?」
「そう。それは何か分かるかね」
「そうですね…」
宮野はじっと一点を見つめて、考えた。
「想像…かな」
「いいね。そう、想像なのだよ。そこには時に君の勝手な補正が入る。言葉尻で性別を決めてしまったり、出身地の証言から人種を決めてしまったりね。そういう勘違いや決め付けは、推理に大きなダメージを与える。自分の想像に疑いをかけ、もしやと仮説を立て、読んでみる。それが重要なんだ」
「なるほど…」
「だが、もしかしたらそれは難しいかもしれない。言ってしまえば、答えのない推理小説のような感じだ。というより、推理小説とすら述べてないからな。答えは見えないよ。私の予想ではね、彼はもう最後まで書いていてもおかしくない。それほどにまで、あの物語は終盤だったんだ。ヒント、欲しいかい?」
烏頭の問い掛けに宮野は大きな声で答えた。
「お願いします!…香坂の…新賀くんの考えてる事を少しでも共有したいんです…」
「そうか。皆まで言わなくてもいいよ。私も君の感情程度なら理解できるさ。じゃヒントはこれだよ」
烏頭は財布から紙を取り出して、その裏に万年筆で文字を書いた。そしてそれをテーブルを滑らせるように宮野に渡した。宮野はそれを抑えて手に取った。
「私の名刺だ。レア物だよ。私のファンでいてくれるというなら、是非持っていてくれ。君のように聡明な人になら力になりたい。何かあればその番号に電話をね」
そう言って烏頭は立ち去った。
「あ、ちょっと、あの、ありがとうございました!」
宮野が頭を下げると、烏頭は片手を上げて返事をし、そのまま帰っていった。
宮野は早速名刺を裏返した。すると、そこにはあの短時間で書いたとは思えない、美しい筆記体でこう書かれていた。
「MEMENTO MORI」
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