FRUSTRATION
すぐ近くの大学は、類を見ない程に騒ぎ立てられていたが、柴又珈琲店は相変わらずの静けさを保っていた。渋谷と香坂は中へ入り、椅子に座った。木下はスタスタと彼らの元へ寄って来た。
「いらっしゃいませ。お飲み物はお決まりですか」
「エスプレッソを」
渋谷は即答した。
「私はアメリカンを。銘柄はオススメを」
「かしこまりました」
木下が奥へ行くと、渋谷はゆっくりと口を開き始めた。
「お前は一体どこへ消えていた」
香坂は応える事なく、渋谷を向きながらも虚ろな目をした。渋谷はその態度に少々ムッとしながらも、大人の対応として話を続けた。
「俺は1人の少女の行方を追っている。名前は水方彩子という。A大の1年生だ。この事について、何か知ってる事があるんじゃないのか」
香坂は虚ろな目を若干逸らし、仕方無さげに呟いた。
「申し訳ないですが知りませんね。水方という女性は1年生と言いましたね?私は2年生。彼女がうちのサークルか、そうでなくても文芸サークルにでも所属していれば別ですが、そうじゃない。知る由も無いですね」
そのあっけらかんとした態度に渋谷は怒りを徐々に徐々に募らせた。しかし、先に膨れては負けである。数年間刑事として果たした使命を胸に、怒りの熱を冷ました。
「
香坂はほんの小さく頷いて了承の合図を送った。
渋谷はテーブルの端に置かれた灰皿を目の前に置くと、器用にポンと煙草の箱の底を中指で蹴り上げ、一本剥き出しにした。オイルマッチを擦り上げて火を付けると、大きく一服をして、煙を吐いた。
「彼女は突然姿を消した。家にも帰らず、実家にも帰らない。当然学校にも来ないし、友人もいない」
「そのような女性はコミュニケーションに難がある場合が高いですね。おおよそ、五月病にでもかかったのでしょう」
香坂がそういうと、最後まで聞けと言わんばかりの目つきで、渋谷は睨みつけた。しかし香坂はそちらの方を見ようともしなかった。
「いい推理だね、サー長。立派だ。プロの刑事と同じ考えだからな。だがな、それは違う。彼女は誘拐された。俺の見立てでは、命がある確率は70%といったところだな」
「何を言ってるんですか。彼女は18歳。子供じゃないんですよ。東京の街なら、人知れず路頭に迷う方が難しい。A大に入る程の知能があるなら、そうそう馬鹿な真似はしないでしょう」
「なるほどね」
渋谷が吹かした煙草は既に半分まで短くなっていた。持ち手の部分はくびれ、口を当てる部分は噛み潰されている。
「その通り、その通り。しかしね、そのすぐ周りで同じような事が起こってるんだ。偶然で片付けるには少し怪しすぎるんだ」
渋谷は上目でちらりと香坂を見た。香坂は目を細め、じっと渋谷を見ていた。
「エスプレッソとアメリカンです。銘柄は…」
木下はコーヒーを置きながら言った。しかし、彼女の声は2人の間に現れた
木下はゾクリと寒気を感じ、それ以上関わる事をせずにその場を立ち去った。
「鹿崎樹と君だよ。それで調べて行くとね、丁度彼女が姿を消した日にね、彼女を連れていた男がいたんだよ。彼の素顔を確認する事は出来なかった。しかしね、体の特徴は丁度いなくなっていた君とそっくりだったんだ。君には、申し訳ないが、家族がいない。いなくなるには不謹慎かも知れないが好都合な環境さ」
「本当に不謹慎だ」
香坂は嘲笑うような顔で下を向いた。
「だから私が犯人。短絡的すぎませんかね。一言で言えば、頭が悪い」
香坂はコーヒーに少し口を付けてまた続けた。
「私のように天才でいて欲しいなんて思いません。世界中にはあらゆる頭を持つ者がいる。私より頭が良い人も、絵が上手な人も、お洒落な人も。彼らのようになれと言われても無理ですからね。だから私はあなたに私のように頭を良くしなさいとは言いませんよ。ただね…」
香坂は顔を大きくあげ、下目遣いで渋谷を睨みながら言った。
「あなたは刑事だ。あなたは国家の名の下に人を拘束する力を持っている。そのような立場にある自覚を持ちなさい。あなたのような方が短絡的な考えで行動に至るのは国民のとって極めて不愉快なんだ」
香坂は財布から千円札を出すと、テーブルに置いた。
「悪いが、その件について私が力になる事は出来なさそうだ」
「ま、待て。お前が犯人じゃない事は分かってるんだ。お前のアリバイはある。その上で相談してるんだ」
「それならそれを最初に言う事でしたね。刑事として成長出来る事を祈ってますよ」
香坂はドアを押した。渋谷だけがいるその店内には、鈴の小さな音だけが、長い間響いた。
「なんて態度の悪い奴なんだ。あれでも天下のA大生か。気分が悪い」
渋谷は残ったエスプレッソを飲み干すと、2本目の煙草を取り出した。火が付いた煙草は見る見るうちに黒く焦げていき、あっと言う間に吸いきった。渋谷は箱を取り出した所で、3本目を吸うのはやめて、早く帰る事に決めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます