APPRECIATION

Winter Princess 182頁 第19章より


「すまないマービル、今日は俺の家で2人でゆっくり飲もうと言ってただろ?」

「どうした、ダメになったのか?」

ダンとマービルは夕暮れのオフィス街を並んで歩いていた。夏になると日暮れは遅くなり、丁度帰宅する頃に空は赤色に染まってゆく。低い太陽は街路樹を合間を縫うように2人に光を浴びさせた。2人の背中は、赤く、赤く染め上げられていた。

「本当に申し訳ない。俺の姉貴が緊急の用事とか言ってこっちに来て家に入り込んで来やがったんだ」

「いいよ。構わないさ。一緒に飲もうじゃないか」

「それが、姉貴は勝手に来たくせして、人に会うのが大嫌いなんだ。もしも突然連れて来たらどうなることか。そりゃあいつは女だ。でも昔から怖いんだよ…姉貴は!」

ダンは頭を何度も振り下ろしながら必死に訴えた。

「そ、そうか…まあそこまで言うのなら仕方ないな」

「なあ、お前の家でやらないか?」

ダンはマービルの両肩をガシリと鷲掴みにし、大きく目を見開いて言った。

「そ、それは…」

マービルは尻込みした。しかし、ダンの耳には入らず、相変わらずすがって来た。

「頼むよマービル。俺は姉貴が好きじゃないんだ。そりゃ弟だもんな。言う事はなるべく聞くし、好きなフリもする。でも嫌なんだ。帰りたくない!只でも仕事で疲れてる。なんで態々もっと疲れなきゃならんのだ!」

ダンの怒りは頂点に達したようだった。手に持っていた缶を地面に叩きつけ、そのままヘナヘナと膝から崩れ落ちていった。そして屠殺を待たされている動物のような目で彼はマービルを見つめた。

「なあ頼む。頼むよ…」

いつも凛々しくしているダンの姿を思い出したマービルは、流石にいたたまれなくなった。溜息をついて今度はマービルがダンの肩に手を優しく置いた。

「分かった、分かったよ。君のそんな姿は見たくはない。仕方無いな。今回ばかりは俺の家でやろうか」

ダンは

「ありがとう!流石俺の親友だ!」

と言って、マービルの手を握り、立ち上がった。


マービルの家は大きな住宅街の端にあった。その通りには似たような家が立ち並び、1つくらい消えてしまっても、誰も気付きそうになかった。しかし同じような家だからと言って見窄みすぼらしい訳ではなく、黄色い漆喰の見える、赤い屋根を被った家々は、むしろ立派なたたずまいである。

「ここの家はいいね。俺もこんな感じの場所に住みたいな。バス停から徒歩15分か。いや満足だね。高くないのかい?」

ダンはクルクルとその場で回りながら家を眺めていた。

「まあね、そこそこ高かったよ。俺の親父が死んだのは知ってるだろ?」

「ああ、両親ともいないってな」

「遺産が結構入ってきてさ。俺は仕事あるから生活はできるし、特に趣味みたいなものも無かったからね。親がいなくなった家をいつまでも持ってるのもあんまり気分の良いものじゃなかったんだ。それでこの家を買ったんだよ」

「そうなんだな」

「ここが俺の家さ」

「なるほどね。ここなら安心だね」

ダンは目を薄めながら頷いた。

「なぜだい?」

「端だから他の家と間違えないだろ」

「確かにね」

マービルは鍵を差し込み回した。扉を開けると大きなリビングが見えた。中は比較的さっぱりとしていて、余計なものはほとんど置かれていなかった。棚に時々置かれている小さな観葉植物は、その無機質な部屋にちょっとしたアクセントを与えており、気分の良い空間を作るのに一役買っている。テレビは大きくて壁にはめ込まれていた。その上にはスクリーンが垂れ下がる場所もある。映画も見られるようだ。

「いいなあ。本当に羨ましい…」

ダンは歩き回りながら、テレビの前にあるテーブルをコンコン叩いた。

「綺麗な一枚板のテーブルだね。ウォールナットかい?」

「ああ、そうだ。よく分かったね」

「当てずっぽうさ。実に高そうだね」

そう言いながらずっと撫でている。一通りなで終わるとテレビを向いて置かれた革張りのソファーに寝転がった。

「いいね!本革じゃないか」

「ダンは見る目あるね。家具が好きなのかい?」

「俺のお婆ちゃんがね。凝り性だったもんだから色々持ってたんだ。西はカナダメイプル東は日本の竹や松。色々な国の名産品を飾ってたんだよ。しかも使わなきゃ可哀想って言って俺たちの生活スペースに置くのさ。それの値段を知った時にはもうビクビクしたものだよ」

ダンはソファの香りをクンクンと嗅いで、ハァッと溜息を漏らした。

「とても良い家じゃないか。なんで連れて来てくれなかったんだい?」

「ほら、女がいたからよ。俺あまり人には見せたくないんだ」

「なら仕方ないな。じゃあお前に彼女が出来ないこと祈るぜ。また来たいからな!」

「やめてくれよダン」

マービルはコーヒーとケーキを2つずつテーブルに置いた。

「わあ、2個もくれるなんて気前いいな。惚れそうだよ」

「バカ1つは俺のだよ」

「惚れずに済んでよかった」

ダンはケーキを食べ始めると同時にテレビを付けた。すると、大音量で女の悲鳴が鳴り響いた。

「うわあああ!」

ダンは慌てた拍子にリモコンを落とした。マービルは慌ててテレビの主電源を落とした。

「勝手にテレビつけるなよ!」

「おいおい、なんだよ今の。暗くてよく見えなかったぜ」

「う、うるさい!」

「あ、ああすまない…」

ダンは目を丸くしながらソファにチョコンと座って。口をすぼめた。マービルはハアハアとひとしきり深呼吸をすると、落ち着いて言った。

「いや、すまない。昨日映画を見てたんだよ。映画館にいる気分になりたくて大音量でね。すまない、忘れてた」

「あ、ああ。俺も勝手につけて悪かったよ。なんて映画だい?サスペンスか?」

「いや、まあそんなところかな。結構リアルな描写が多くて気持ち悪くなっちゃってね。さっきのところで見るのやめてしまったんだ。マービルはテレビの下の棚を開け、コンセントを抜いた。テレビを再びつけると、真っ暗な画面の上に「入力なし」と出ている。

「ダン、入力設定変えてくれ」

「任せろ」

ダンは音量を十分にさげてから、入力設定を変えた。するとテレビが映った。

「ふう、心臓が止まるかと思っちゃったぜ。今だにバクバクしてるよ」

「悪いな」

マービルも落ち着いた様子で、隣でケーキを食べ始めた。

「おっと、トイレに行こうと思ってたんだ。マービル、トイレ借りるぞ」

「おう。そこの先を右に曲がるんだ。そしたら突き当たりにあるよ」

「了解」

ダンは言われた通りの道を行った。


途中に奇妙な扉があった。いや、扉かどうかも怪しい。というのも、ドアノブが全くついてないのだ。その扉らしきところには黒人が何人かいて、皆何かしているようだ。結婚式を挙げていたり、芝生でのんびりしていたり。

「な、なんだか気味の悪い絵だな」

ダンは軽く扉を押してみたが、予想通りピクリともしなかった。

「何をしてるんだい?」

突然の声にダンはギョッとした。

「な、なんだマービルか。ちょっとここをね、見てたんだ。気味の悪い絵だな。扉だろ?どうなってるんだ?」

「ああ、そこは扉じゃなくて壁の絵だよ。俺の友達が芸術のアーティストやってるんだが貧乏でね。そいつは買ってあげて飾ってるのさ」

「そうだったのか」

「トイレはそこだよ」

「ああ」

ダンはトイレへ入った。そしてトイレの中で思った。マービルの声が少し震えているような気がした、と。




ここで鹿崎が書いた小説は終わっていた。読み終わった烏頭はふふっと笑った。

「どれどれ、A大生の賢さを見に行きますか」

烏頭は帽子掛から帽子を外し、ヒョイと頭に被り家を出た。

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