MISCALCULATION
烏頭は部屋を片付けた。今までにそんな事をしようと思った事など無かった。ゴミ屋敷になっていた訳では無い。ちゃんと捨てるべきものは捨てていたし、最低限の整理はしていた。しかし、部屋のあちこちに仕事で使っているものや、使用後に片付けるのが「またすぐに使うから」と面倒になってしまったものなどが散乱していた。誰が来る訳でも無いから困る事は無かったが、そうも言えなくなってしまった。数日前に友人の渋谷が来てしまったのだ。あの時は急な事で、部屋の汚さという比較的どうでもいいものに考えは及ばなかった。しかし、彼が去った翌日に冷静になって思い出してみれば、なんだか
「しかし、どこから手を付けたものか」
とりあえず人を通す応接間に入った。
気にしなければ普通の部屋であっても、いざ片付けようと思って見てみると、あちこちに様々な物が散らばっているものである。
「なんだか…面倒になってきたな……」
と入口から後退しかけたが、今やらないと永遠にやらない事が分かっていたから、留まるに至った。
「とりあえずテーブルの上か…」
長テーブルの上は書類が両端に積まれ、どことなく閉塞感を与えていた。それはそれでいい、と思い込んで片付けを後回しにしていた。烏頭はそれら全てに目を通し、必要なものかそうで無いかを見ていった。最終的に必要だったものは部屋から持ってきたボックスに入れ、残りはゴミ箱に放った。やろうと決めれば振り向く事は無い烏頭は、躊躇をしなかった。次に壁際の棚である。中には昔から趣味にしているスクラップ帳が所狭しと置かれていた。元々は烏頭の部屋に置かれていたが、2年ほど前にそのスペースが全て埋まってしまった。とりあえずスクラップ作業は部屋でやらざるを得ない為、それらは空いてる棚を見付けてそこに保管することにしたのだ。それがこの棚であった。
「流石にこれは捨てられないな」
烏頭は開けた棚の扉を、そのまま閉めた。
次に棚の上に置いてある小説を見た。烏頭は小説も好んで読んだ。ミステリーの大ファンで国内作品はもちろん、数々の海外作品も読んだ。日本語、英語、ドイツ語、イタリア語、フランス語、中国語、タガログ語を喋る事が出来る烏頭は原書で読んだ。その上、読むスピードも比較的早く、暇な時間も多い。今まで読んだ本の数は星の数ほどである。そして、その本は読む度に彼のコレクションとして飾られる運命を辿り、2度と市場を出る事は無い。烏頭はこの収集癖を満たす為に、書斎には漫画の世界で出てきそうな天まで登る本棚を数年前に作った。収納場所には困っていなかった。
ところが、問題はしまうのが面倒な事であった。烏頭は座り心地の良い応接間でしばしば本を読んだ。そして読み終わると部屋まで行かずに、棚に置いた。最初はすぐに片付けるつもりだったが、2回3回と行ううちに、それは当然の行動となるのだ。
「斯くなる上は…仕方ないな」
烏頭は数十冊の本を抱え部屋へ戻り、本を籠に入れ、それを持って梯子を登り、1番上の空き棚へ飾った。
「い、いかん。なかなか疲れるな…」
動かない日々が作った貧弱な体は、すぐに音を上げた。
烏頭は一旦休憩する事にした。椅子に座りパソコンをつけて、動画を垂れ流しにした。ユーチューバーのくだらないコントに鼻を鳴らしていると、ピンポーンとチャイムが鳴った。
「はいはい」
烏頭は重い腰を上げて玄関へ行くと渋谷が立っていた。
「直樹じゃないか。久し振り」
「言うほどじゃないだろう。今いいか?」
「もちろん」
烏頭は応接間へ通した。
応接間は片付け中であった為、テーブルの上を除いて他の部分は普段よりかえって汚くなっていた。
「すまないね、丁度片付けをしていたとこれだったから散らかってる」
「いいや、気にしなくていいさ。幸一のロッカーやら机やらが整頓されてた記憶が無いからね」
烏頭は目を細めながら部屋を出て行き、コーヒーを淹れて戻った。
「ありがとう」
「どういたしまして。で、何しに来たんだ?もう俺が恋しくなったか?」
「まあね、そんな感じだな。A大に聞き込みに行ってたんだ。ついでにね」
「そうだったか。事件はまだ解決しないのか」
「近付いたり遠のいたりだね。ちょっと複雑になって来たが、面白い事も分かったりね。久し振りに難事件といったところかな」
「で、どういう事件なんだ?」
「絶対に漏らさないって言えるか?」
渋谷は指を突きつけ、強く言った。
「もちろん。言わない。前も言ったろ?」
「そうだったな。話そう」
渋谷はずっと話したくてウズウズとしていたのだった。それが許された今、口は止まる事を知らなかった。
「数日前に水方というA大の少女が失踪した。つい5日前の事さ。彼女は友人が少なく、社交的とも言い難かった為にその発覚が遅れてしまった。届出は出たものの、そもそも彼女はもう18歳だったし、大学1年生。ある程度は自分で生きていける能力があるし、それほど真面目に警察も考えていなかったんだ」
「そりゃまずいだろうよ。高校出たばっかりだし、そうは言えないんじゃないか?」
「まあそうなんだけどね。この時期は大学生とか、社会人もいなくなるんだよ。大学や会社に来ないとか、ネットカフェに入り浸って帰らないとか」
烏頭は少し頭を揺らした。そして言った。
「ああ、五月病か」
「ご名答。それに、新年度早々に誘拐なんて起こす人もあまりいないんだよ。まあ誘拐自体減ってるのもあるしな。ところが深く調べてみると奇妙な事が同時に起こっていた。それが…」
「男2人の失踪ってか?」
「お見事だね」
渋谷はニヤリとしながら首を縦に振った。
「その男っていうのが、鹿崎樹というのと香坂新賀っていうのだったんだ。2人は捜索願は出ていなかったがね。大学への聞き取りでしばらく来てない生徒がいないか聞いた時にいくつか上がったんだ。どれもこれも所在が確認できた。この2人を除いてね。そしてある日、水方が失踪した日に電車で1人の男と待ち合わせをしているのが発覚した。防犯カメラでは、顔はマスクとサングラスでよく見えなかったが、背格好は大学側から得た情報と見事一致した。高身長な点は一致として大きかったな」
「だが、それだけで彼かどうかは分からないだろう」
烏頭はコーヒーを啜りながらいった。
「まあ、話は最後まで聞くんだ。彼らの足取りを追うと、田舎に辿り着いた。東京からは出ていたね。そこで2人の居場所は完全に分からなくなってしまった。ところがこの駅が、実に面白い場所だったんだ。鹿崎の前の本籍地だったんだ。鹿崎は大学入って早々に本籍を東京に変えていた。その前はその田舎だったんだ。彼の元々住んでいた家を訪ねた。しかし、当然身寄りがない為、その家は誰も居なかった。ここでそれ以上何も得られなかったんだ。ところがだよ、今日極めて面白い情報を掴んだんだ」
「面白くなってきたね」
「鹿崎の住んでいたアパートからA大に向かう途中でも聞き込みをしてたんだが、そこで香坂が鹿崎の部屋に入る所を見たという証言があったんだ。これでほぼ確定、ストーリーも見えてきたと思った矢先だったんだ」
「どんでん返しの連続じゃないか」
ハッハッハと烏頭は笑った。
「笑い事じゃない。人の命がかかってるかもしれないんだ。さっき色々あって喫茶店に行ったんだ。そこでまさかの真実発覚さ。香坂が水方と一緒にいたと思われてた時、彼はこの街の喫茶店にいたんだ。最悪さ」
烏頭は更に大きな声で笑った。
「天下の警視庁も大変な誤算って事か。ハハ」
「本当に元気無くすね。そういえば、その喫茶店で話してた人から鹿崎が書いたミステリー小説を貰ったんだけど、お前も読むか?」
「証拠じゃないのか」
「なんの証拠にもならないし、もし必要になったらまた話してた人から貰うよ。コピーしてるそうだからね。まあ鹿崎が所属していた文芸サークルのサー長なんだけどさ。誰かと思ったら隅手理央だった」
「本当か?あれ現役大学生の書いてた本だったのか。信じられない出来栄えだな」
「全くだ。じゃあ、これ置いていくよ」
そう言って渋谷は鞄から出した原稿用紙のコピーをテーブルに置いて帰って行った。烏頭は渋谷が出るまでの間、早く片付けたいな、と思いながら、顔には出さないようにそれを見つめた。
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