DIVISION

柴又珈琲店は隅のテーブル席を除いて、誰もいない。午後4時からは大体こんなものである。客がいない店内は、普段よりも暗く感じられた。天井で回っているファンが時折きしむ音を立てる。木下は酒原達が座っている隅のテーブルの対角に位置する席から、順にテーブルを拭いて回っていた。酒原は続く沈黙の中で目のやり場を失っており、仕方なく彼女の方をボンヤリと眺めていた。しかし、カフェオレに口を付けた所で遂に我慢出来ず、渋谷に話しかけた。

「あ、あの…それでお話というのは?」

渋谷はハッとして顔を上げ、失礼、と軽く頭を下げた。

「鹿崎くんってどんな人だったのか聞きたくて来たんですよ。すみません、取り乱してしまって」

「ああ、そうでした。鹿崎くんですか…」

酒原はうーん、と唸りながら腕を組んだ。

「学年が違いますからね。学部も。ほとんど普段の学校生活には関わり合いが無いんですよ」

「そうですか…」

渋谷は少し声を落として言った。

「いえ、とはいえ彼は熱心なサークル員でしたから、結構うちには来てたんですよ。授業が入ってない日でもサークルだけに来る事もありましたし。それに、鹿崎はいつも原稿は鉛筆で原稿用紙に書いてたんですが、鉛筆の減りの速さと言ったらかなりのものでしたよ。文具屋で売ってるダース入りの鉛筆ケースをそのまま持って来ているんですけど、数日したらまた新しいのも開けてましたから。鞄から原稿を出してる事もあったし、多分家でも書いていたと思いますよ」

「ほう。どんな小説を?」

「その時書いていたのは恋愛、というよりかはヒューマンドラマでしたね。でも結構色んなジャンルが書けるんですよ、鹿崎は。高校時代も文芸部だったらしくて、長編小説を9本書いてましたね。長編が好きらしいです。正直、高校時代に1年3本のペースで書いてるってかなり凄いですよ。どれも250枚は超えてましたからね。10万字以上でしたよ。それに結構作り込みが緻密なんですよね。自分で言っちゃうと自慢に聞こえるかもしれませんが、流石A大に受かる人だなって。1浪はしたらしいので、年齢は同じですけど、小説に関しては僕より上じゃないかな、と」

「ほほう。サークル長よりね…」

「ええ。実はうちのサークル長は毎年3年生がやってたんですよ」

「4年じゃなくて?」

「ええ。あまり外部には言いたくないんですが…」

「いや、無理に理由なんか」

渋谷がそう言うと、酒原は手を振って否定した。

「いえいえ。別に大した事じゃ無いんですよ。それにずっと前の話だし。何年も前なんですが、文芸サークルが大量に4年生から留年生を出してしまった時があったんです。それも、1年だけならまだしも、3年間くらいかな?連続だったんです。そうしたら流石に大学側も怒っちゃって圧力で潰されかけたんですよ。その時サークル長をやっていた人がなかなかの交渉人だったんです。後輩が自分達のせいで活動できなくのは可哀想だ、と。それで、留年生を大量に出した理由を就職活動が嫌だったが、勉強ではなく小説活動へ逃げたと説明したんです。その上で4年生はこれから毎年強制的に退会させる事を条件にサークルの存続を守ったんですよ。今もその名残で4年生はいないんです」

「しかし、小説家になりたいと思う人だっているんじゃないんですかね」

「書類上の話ですよ。実際に退会届も出して名簿からは抹消されます。でも基本的に活動はしてます。さっき部屋にいた人の中で2人は4年生でしたし。でも、役職につけるのは3年以下なんですよ。活動費用なんかも、4年生は応援費、なんて適当な理由を付けて徴収されますからね。それに、大会とかに応募する時も普通にサークルの名前出してますから、殆どこの制度は機能していなと言えばそうなんですけどね。まあ伝統ですよ」

「ほほうなるほどね。そう言えば、文芸サークルってもっと人気があるイメージですけど少なくないですか?」

「文芸サークルって言っても、実際は小説サークルなんですよ。それも人間系の。似たようなサークルがA大にはいくつかあるんです。和歌サークル、小説サークル、SFサークル、あと絵本サークルもあった気がします。小説サークルは小説を書くというよりかは研究するサークルなんです。シャーロキアン(※シャーロックホームズの熱心なファンの事)とか、そんなイメージです。勿論、シャーロックホームズに限定している訳では無いですけど。分散してるんで、最終的にこの人数なんですよ。それに、少しだけ前にうちのサークルが分裂してるんです」

「分裂?」

「ええ。ちょっとイザコザがあって。ミステリー小説を書いてた人達の一部が活動を拡張したんです。そうしたら、当時のサークル長が文芸サークルとしての活動として認めないと言ったんです。4年生の殆どもサークル長に同意でした。まあここだけの話、私からすればサークル長は4年生の言いなりだったんじゃないかな。日本史の言葉を借りれば白河上皇の院政です。それで、反発組は新しく活動範囲を広げたサークルを作って文芸サークルから独立したんです」

「酒原くんは文芸サークルに?」

「ええ。まあミステリーは書きますけど、私は小説が本当に好きでして。反発組は最後の方は小説なんて全く書いてませんでしたからね。当初は私も活動範囲に関してもう少し寛容でも思いましたが、いくらストライキとは言っても、小説書かないのに文芸サークルっていうのは頂けなくて。結局分裂したんですよ」

「で、分裂したのは今も残ってるんですか?」

「ええ勿論。恥ずかしながら我々よりも人気のある人達になってしまったんですけど」

「ほほう。新人賞でも取ったんですか?」

「いえいえ、それは私です」

「え?」

渋谷は驚いて聞き返した。酒原は恥ずかしそうに鞄から文庫本を取り出した。

「これ、私の作品なんです」

隅手理央すみてりおって、本当ですか?てっきり名前から女性かと」


隅手理央は岸川文庫のミステリー新人賞を見事勝ち取った事で有名な作家である。学生である事を理由に、しばらくは顔を見せないようにしたいという理由からその素顔を知る者は酒原本人の一部の友人を除いて、親族すらも知らなかった。受賞作である〈禁忌の呪縛〉は若年層のミステリーファンの間で大きな話題となった。


「これは失礼。まさかそこまで凄い方だとは。私も読ませて頂きましたよ。いや、感激です」

「そうですか。ありがとうございます。まあそんな訳で2年だけど指名でサークル長に就かせて頂いたんです。おっと、閑話休題てすね。なんの話でしたっけ」

「ええと、分裂したサークルですね」

「ああ、そうだ。実はそこの今のサークル長は文芸サークル時代からネタ提供者的な役割てあまり本は書かなかったんです。詩はよく書いてましたけどね。不気味なやつを」

酒原はそう言って笑った。

「それで、そのサークルは?」

渋谷が顔を近づけた。

「謎解きサークルですよ」

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