鹿崎樹1

文芸サークルの部屋は、いつも静かに保たれている。各自が本を読んだり、小説を執筆したり、時に居眠りをしたり。時々響く音は扉の開閉音だけであった。

この部屋で数時間ぶりに人の声が響いた。声の主はサークル長の酒原さかはらだった。

「ちょっと出るよ。何かあったら連絡入れて」

メンバー達は静かに頷くに限り、特に声を出すわけではなかった。また部屋に静寂が訪れた。


酒原が向かった先は謎解きサークルだった。軽く引いても開かない。鍵がかかっていた。ノックをしたが返事はない。

「あれ…いつもいるはずだけどな…」

酒原は香坂のスマホにメッセージを送った。すると数秒して鍵が開く音がした。中から香坂が顔を出した。

「すまない。ちょっと夢中になっていたものでね。聞こえなかったんだ」

「いや、構わないんだ。大したことではない」

「ならわざわざ来なくたっていいんじゃないか?」

「俺が訪れるのは嫌か?」

「まあ、入って」

中はカーテンが閉められており、暗かった。

テーブルの上の閉じられたスケッチブックを見て酒原は言った。

「カーテンを閉めて…新作を作っていたって所かな?」

「うん、まあね。個人作品だから他のメンバーには見られたくなかったんだ」

「そうか。ちょっとした相談なんだけどさ…」

「私で力になれれば」

「うちのサークルの後輩の鹿崎って知ってるか?」

鹿崎樹しかざきいつきくん、だったかな?」

「あいつがしばらく見当たらないんだよ」

「なんで私が力になれると?」

「あいつサークルにいる時はずっと小説書いてたんだよ。それがミステリー小説でね」

「それで謎解きサークル?安直にも程があるよ」

「いや、作中に謎解き要素とか入れていたらここでヒントや案を貰う為に来てたかもなと思ってね」

「残念だが、少なくとも私が把握する範囲では見てない。それに、たかが1人それも演劇サークルならまだしも文芸でしょう?いなくなったところで困るのか?」

「別に困りはしないというか…しかしあれだけ熱心に書いてた小説が部屋に置きっぱなしで。心配というかね。誰も連絡がつかないようだし」

「私は謎解き作家であって、探偵ではない。申し訳ないが、力にはなれないな」

「そうか。時間を取らせてすまない。何かあったら連絡を入れてくれ。あ、そうだ、これ鹿崎の書いてた本だ。気が向いたらで構わない。読んでくれ」

思ったより厚い原稿用紙のコピーの束に、香坂は少しばかり圧倒された。

「分かった。時間が開いたら読むよ」

「じゃ」

そう言って酒原は出て行った。


原稿用紙の頭には「Winter Princess」と書かれていた。

「ふーん。かなりの枚数だな」

香坂は自分の荷物をまとめるとそれを持ってキャンパス内にある図書館へ行った。


図書館は香坂が唯一A大学で好きな所だ。木材を基調にした館内にはいい香りが漂う。そして、流石日本一の大学である。所蔵されている本はかなりの量であり、壁一面が書籍という書籍で埋め尽くされている。騒ぐ者は誰一人としていない。皆、自らの世界、もとい、本の世界へ引き込まれていた。

香坂は館内の奥部にある一人掛けのソファ席へ腰を下ろした。そして原稿を読み始めた。



「新賀くん、おはよう!」

宮野の入った部屋には誰もいなかった。

「あれ?新賀くんがいないなんて珍しい…2人っきりの時間が楽しみなのに…」

宮野は仕方なくテーブルについた。

「あれ?ちょっと温かい?誰かいたね、これ」

宮野はそう言いながら自分の指を見ると少しばかり黒く汚れていた。

「なにこれ?」

扉の取ってに指を滑らせると、僅かに汚れた。

「鉛筆?」

宮野は少しばかり上を向くと文芸サークルの部屋へ歩いて行った。


ガラリと扉を開けると、メンバー達はギョッとして宮野の方を向いた。

「さっき謎解きサークルに来た人いる?」

「あ、俺だ。もしかして鹿崎がいたか!?」

「うん?よく分からないけど。さっき部屋で誰かと会わなかったかしら。特に新賀くんとか」

「しんが…ああ、香坂に会ったよ。見てたのか?」

「見なくても考えればわかるわ」

酒原は不思議そうに彼女を見た。

「まあいいわ。彼、どこに行ったの?」

「部屋にいないのか?」

「ええ。いなかったわ。てっきりここにいるかと思ったけどいないようね」

「あそこにいなきゃ…ちょっと分からないな。すまん」

「いいわ。じゃあもう一つ。彼に何をした?」

「ああ、うちのメンバーの居場所知らないかって聞いてたんだ」

「他には?」

「それだけさ」

「そんなことで新賀くんが動くわけがないわ。何か渡したりしなかったかしら?」

「ああ、そのいなくなったメンバーの書いてた小説を渡したよ」

「ありがとう。じゃあね」

「お、おう」

酒原はもう一度不思議そうに彼女を見た。

宮野の方はそれを気にすることもなく、またガラリと扉を閉め、歩みを進めた。

「酒原さん、お友達ですか?」

「いや。知らない。けどまあ謎解きサークルの人っぽいし。喋り方とか」

そう酒原が言った時から、また文芸サークルは静寂に包まれた。



原稿を読んでいると、突然後ろから肩を叩かれた。 ゆっくり後ろを振り向くと、面倒な笑顔があった。香坂は嫌がる素振り一つ見せず、それどころか嬉しそうな雰囲気さえ出しながら宮野の方を見た。

「何か用かい?」

「そうね。A大祭の会議をするんだからサボらないで来てちょうだい」

「よくここが分かったじゃないか。けてたのか?」

「人聞きの悪いこと言わないで。考えれば分かるわ」

「確かにね。それでこそ謎解きサークルだ。悪いが、今緊急で読まなきゃならない小説があるんだ」

「行方不明のお友達の?」

「そんなことまで分かるのか。凄いな」

「これは聞いただけよ。いいから来てちょうだい」

宮野は少し嬉しそうにしながら香坂の腕を引いた。

「分かったよ。じゃあ、この原稿のコピーだけさせて。すぐ終わる」

「すぐ終わる量じゃないわ。後にして」

「やれやれ…」

流石の香坂も遂に面倒そうな顔になってしまった。そして、宮野に腕を引かれながら、その後ろを静かに追った。


「さ!会議を始めるわよ!」

そう言って宮野が入った部屋には、やはり誰もいなかった。そして次にサークルのグループチャットに連絡が次々入った。


【追試やらなきゃ単位やばい。今日パス】

【すまん。別サーの飲み会誘われたパス】

【きょうねむいからあとはたのんだ】

【はえー、じゃ、俺もパス】


「もう何なのよ!」

宮野は少し怒りながら、いや、怒ったふりをしながら香坂の腕を引き寄せた。

香坂は面倒そうにそれを振りほどくと

「そういうことだそうだな」

と来た道を戻った。

「もう!新賀くんくらいは真面目にやってよ!」

「すまない。私にも優先順位があるんだ。そうそう、この小説あげるよ。もう読んだ」

そう言って持っていた原稿を宮野に押し付けた。

「なによ。小説はあまり読まないわ」

「謎解きサークル員を名乗るなら読みな。そしてそれを楽しめたら私を呼びにおいで」

「もう!バーカバーカバーカバーーーカ!」

日本一の大学に所属しているとは思えぬレベルの雑言を吐くと、宮野は家へ帰っていった。

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