第6話 大人の恋の作法
それがわかれば、人はこんなに苦労なんてしない!!!
◇◇◇
6月の最後の研究会は土曜日の午後に設定されていた。
いつも日曜午前が多かったというのに、土曜の午後に設定されたのは運良く会場が予約できたということもあるし、酒好きの師匠が、研究会のメンバーと飲みに行きたいとかねてから口にしていたことにもよる。
師匠に負けず劣らず酒好きの私は、会のみならず夜の親睦会にも参加するつもりだった。
「6月は私たちの誕生月だから、このときの飲み会は誕生日会もかねてね〜!!」なんてことを姉弟子が大声で叫ぶ。
姉さんやめてー!!この年でお誕生日会なんて恥ずかしい。恥ずかしすぎるっ!!!
しかし、問題は彼だ。
それこそ。
未だプライベートは謎だが、付き合いの悪さだけはこれまでの研究会で気づいていた。
その彼が来てくれるなら、これはきっとチャンスだ!!
はたして、彼は来た。
私のとりあえずの目的は、まずは自分が圏内か圏外かを確認すること。
あわよくば、個人的にメールをやりとりできる口実を得ること!!
そのためには、彼の隣の席をねらうべし!!
ところが、だ。
師匠のおすすめのお店がまた、学生むけのにぎやかなギャースカした店ときた。
確かに味もコスパもいいが、ムードのかけらもなければ落ち着いて話せやしない。
隣にいる人にすらガナルように話さないと会話すらままならないときた。
なんとか隣の席にはつけたが、会話することが疲れるくらい周囲がうるさい。
それでも、こちとら必死よ。この機会を逃せない。
「一ノ瀬さんは、どうしてこの学問をめざされたんですか?」
「どうしてフランスに留学されたんですか?」
「一ノ瀬さんはお休みの日は何をされてるんですか?」
服はあいかわらずださかったけど、照れたような仕草、お酒のせいだろうほんのり赤い顔、にぎやかな店内に反比例していつもと変わらない淡々とした語り口。
彼はやっぱり彼のまんまだ。
「この前は、忙しいなか研究会に来てくださってありがとうございます。拙い発表で恐縮ですが、いかがでしたか?」
「私には畑違いな領域ですから、やっぱりちんぷんかんぷんなところはありましたけど、研究会で一ノ瀬さんが翻訳されたアガンベンの書籍の骨子はうかがっていたので、その部分はわかりましたから興味深かったです。質問に対する一ノ瀬さんの切り返し方は、神谷さんもおっしゃっていましたけど私もすごく勉強になりました!」
ほめなれていないんだろうな〜。
ほんのりだった顔がみるまに真っ赤になる。
妙にそわそわしだして落ち着かず、手元のおしぼりをいじりだし、残りが少ないビールをいっきに飲み干す。
「そういえば、一ノ瀬さんって小田急線沿線でしたよね?」
「経堂です」
「でも経堂だと職場の大学からはかなり遠くないですか?先日も、通勤が大変って島谷くんたちと話してましたよね」
「あいつらからは大学の近くに住んだらって言われてますけど、今のところは期限つきなんで。いつまであの大学にいられるかもわからない分、引越ししてもな〜と。樹さんはどちらなんですか?」
「私は、用賀です」
「それじゃ、同じ世田谷区ですね。用賀は実家ですか?」
「いいえ。実家は新潟ですよ。一ノ瀬さんは?」
「僕は、実家暮らしです……」
実は、そのことは知っていた。
先日の研究会の帰り、たまたま島谷くんと帰り道が一緒だったときに、こっそり彼に聞いたのだ。
一ノ瀬さんが実家を出ない理由は、仕事が忙しい姉夫婦に変わって小学生前の甥っ子さんの面倒をみているのだとか。
実家暮らしという点にまたも女っ気のなさを感じてしまうのだが、それは私の偏見だろうか。
島谷くんは、甥っ子の世話とか単なる口実だ!とそのときは笑っていたが。
「え?一ノ瀬に彼女?……いやぁ〜、そんなプライベートな話、最近はしてないけどいないんじゃないんですかね〜。あいつ、ヘタレだし」
……ヘタレっすか。
そのキーワードが気になる。
やっぱり、今も気になる。
「実家暮らしはダメですか?」
「え?」
「あ、いえ。そう思っていないのならいいのですが……なんだか返答を詰まらせていたので……」
「ああ。……なんかダサくないですか?この年で実家暮らしって。自立できていないというか……」
「そう……ですか?実際はどうなんです??」
「自立はしているつもりですが、『生存能力』はかなり低いと思っています。フランス留学で懲りました」
思わず、ぷっと笑ってしまう。
恐縮しまくりながらそう答える老け顔で年上にみえる彼が、まるで高校生の男の子のように可愛らしく見えた。
確かに一ノ瀬さんは、お勉強ばっかりしてて寝食を忘れそうな印象がある。誰かが世話をやかないと汚部屋まっしぐらって感じだ。
……かたや私のたくましいことよ。
早くに親元から離れずっと一人で暮らしてきた私。
望んでもいないというのにやたらと生存力だけはついてしまい、ちょっとやそっとのことではビビらなくなった。
くすくす笑ってしまう私に、彼はただひたすら困惑していた。
「そんなに面白かったですか?」
「ごめんなさいね、違うの。一ノ瀬さんがおかしいんじゃないの。なんか私と正反対だな〜って思って。初めて一ノ瀬さんが年相応に見えたというか……」
「え?今までは何に見えてたんですか?」
「お兄ちゃんかな〜。ほら、私の兄弟子だし!」
◇◇◇
帰りは必然、二人きりとなった
そりゃそうだろう。
エリアは違えど同じ世田谷区なのだ。渋谷までは一緒となるのは当然だ。
喧騒著しいあの居酒屋での会話以降、心なしか、彼の雰囲気が少し砕けた気がするのは気のせいだろうか。
迫るなら今しかない!!
「あの!市民公開講座の件ですが。生命倫理つながりで一ノ瀬さんと一緒になりましたよね?私、理論はそれほど詳しくないので、今度、個人的に教えていただけませんか??」
それこそ一瞬は驚いた顔をみせていたが、ついで照れたような笑みをみせ「僕でよければ」と彼は言った。
「いつがいいですか?」
そう彼に言われたとき、これって圏内にいるって判断していいのかな〜なんて、思ったりした。
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