屋上の幽霊の噂

「ねぇ知ってる? 屋上にいるっていう幽霊の話」

「知ってる知ってる。最近よく噂になってるもんね」

「昔、あの屋上から飛び降り自殺したっていう女子生徒の霊が出るっていうもんね」

「満月の夜になると出るんだっけ?」

「そうそう。なんか髪の毛が長くて、目が合うと手招きしてくるんだって」

「いやーん、こわーい」

 数人の女子生徒達が教室の隅に固まって噂話をしている。とはいえ結構離れている僕のところまで話の内容が聞こえてくるのだから、なにも隅っこに固まって話す必要はないと思う。

 この神蔵中学に入学して早一年。

 この噂はゴールデンウィークが終わった後から急に広まった比較的新しい噂話だ。確かこの前は生徒会室には秘密の地下室へと続く階段があるという噂が広まり、その前は学校の前にある定食屋にはある特定の時間にしか売られないメニューがあるという噂が広まった。

 根も葉もないこんな噂話をいったい誰が広げているのかいつも疑問に思っている。だけど、今回は少しだけ真実味がある噂話だ。

 なぜならこの学校の屋上には実際に『いる』からだ。

 それは幽霊かもしれないし、幽霊ではないかもしれない。詳しい事は分からないが、僕は幼い頃からそういう、人にはみえないものをみることができる能力がある。それは実際に死者の念であったり、もしくは生きている人の怨念や無念であったり、生霊であったりする。

 僕はそういうのをひっくるめて、残留思念と呼んでいる。

 その残留思念がこの学校の屋上にいる。

 噂では満月の夜に出るというが、実際には満月の夜だけではなくいつも屋上にいて、フェンスから校門の方を見下ろしていることが多い。さらに髪が長いと噂されているが実際には髪は短めの小柄な可愛らしい女子生徒で、目が合っても手招きはしてくれない。

 まぁ所詮、噂は噂。話したい奴は話せばいいし、興味がないなら聞き流せばいいだけ。僕には関係がない話だ。カバンに教科書を詰めこみ、帰宅の用意をする。

「ハルト、今日はもう帰るの?」

 頭上から声をかけられた。頭上とは文字通りの頭の上、つまり天井だ。天井を見上げる。ソイツはフワフワと天井近くを浮遊していた。長い黒髪を後ろで束ねていて、紅白の巫女服を着た女性。その女性と目が合う。女性はニコリと可愛らしい笑顔を見せた。僕は恥ずかしくなって視線をそらすと、何事もなかったかのようにカバンを持って席を立った。

「ふふっ、ハルトは本当にカワイイなぁ」

 女性は嬉しそうに笑うと、僕の後をフワフワとついてくる。僕は黙って生徒用玄関を目指して階段を下り始める。あたりをキョロキョロと見渡して誰もいないことを確認した後、宙に浮くソイツへと視線を上げた。

「まつりさん、人がいるところではあまり話しかけないでって言ってるじゃないですか」

「ゴメンゴメン。そう怒らないでよ、ハルト」

「別に怒ってるわけじゃないです」

「そう? 怒ってるハルトもカワイイから、たまには怒って欲しいんだけどなぁ」

 二ヒヒと悪戯っぽい笑顔を見せるまつりさん。まったくもってタチが悪い。

 浮遊しながら僕の後をついてくるまつりさんは、簡単に言ってしまえば幽霊だ。去年、とある事がきっかけで僕へと取り憑いてしまい、それから一緒に行動するようになった。取り憑くといっても悪さをするわけではなく、このように僕をからかってばかりだが。

「今日はまっすぐ帰るの?」

「そのつもりですけど」

「えー、どこか寄って行こうよ」

「じゃあ、小湊こみなと神社はどうですか?」

「またあそこ? ハルトはあの神社が好きなんだね」

 そんな会話をしている間に、玄関へと到着した。靴へと履き替え、玄関を出る。校門を出たところで、学校へと振り返り、屋上を見上げる。屋上には女子生徒が一人立っていた。フェンスを掴み、校門を見下ろしている。

 まつりさんも僕の視線の先を見上げた。

「ああ、あの子か。なんか最近、噂が広がっているみたいだね」

「ええ。噂では満月の夜に飛び降り自殺した髪の長い女子生徒で、目が合うと手招きしてくるって話みたいですけど」

 屋上の女子生徒と目が合った。女子生徒はペコリと会釈をしてきたので、僕もペコリと軽く会釈を返す。

「実際にはあんないい子だもん。アタシ、会いに行ったことがあるけれど、小柄でカワイイし、艶ほくろがとってもチャーミングな子だったよ」

「つやほくろ?」

「口元にあるほくろのことだよ。そのほくろのことを艶ほくろって言うの」

 そう言って自分の唇の下あたりを指さすまつりさん。あの女子生徒を近くで見たことがなかったので知らなかったが、どうやら艶ほくろがあるらしい。

「ねぇ、まつりさん。あの子は幽霊なのかな?」

「いや、違うよ。あの子は幽霊じゃない。きっとあの場所に強い無念があるんだろうね」

「ということは残留思念なんですね」

「だね。アタシも何回か話しかけたんだけど、何もしゃべってくれなかったよ」

 もう一度、屋上の女子生徒を見上げる。女子生徒は風でなびく髪を押さえながら、じっと校門を見つめていた。

「……いったいどんな無念で、あそこにいるんだろう」

「ハルト、また首を突っ込むつもりなの?」

「いえ……ちょっと気になっただけです」

 僕は学校へと背を向ける。後ろでまつりさんのウフフという笑い声が聞こえたが、聞こえない振りをして歩き出した。

 

 

 翌日の放課後、帰り支度をしている僕の元へとまつりさんがやって来た。まだ他の生徒が居るからか、話しかけてこない。

 カバンを持って席を立った時、ポンと後ろから肩を叩かれた。振り返ると同じクラスの友人、駿しゅんが立っていた。

「よう春斗はると、ちょっといいか?」

「どうしたの?」

「これから暇か?」

 今日はこれからまつりさんと一緒にゲーセンに行くという約束がある。まつりさんも駿の後ろで両腕をクロスさせて大きくバツ印を作り、断れと促している。

「うん、暇だよ」

 数秒迷った後、そう答えた。まつりさんは「なんでさ!」と叫んでいるが、その叫びは僕にしか聞こえていないはずなので、僕が無視をすれば何も問題はない。

「じゃあ、ちょっと行きたい場所があるからさ、付いてきてくれよ」

「うん、わかった」

「こっちこっち」

 持っていたカバンを机のフックにかけると、歩き出した駿の後を追う。駿は校舎の西棟へと向かうと、階段を上り始めた。この先には屋上しかない。ということはつまり。

「もしかして屋上に行くの?」

 そう訊くと、駿が振り返った。

「正解! 春斗も噂は聞いてるだろ?」

「屋上の幽霊の話?」

「そ! 次の学校新聞のネタになるかと思って。だけど一人で行くのは正直怖くてさ、一緒に行ってくれる人を探してたんだよ」

 そう言って恥ずかしそうに笑う駿。

「相変わらずシュンは正直だね。ハルトもこれぐらい正直だと……いや、でもウブな反応で否定するハルトの姿も捨てがたいし……」

 急に腕を組んで悩みだしたまつりさんを無視し、駿の後を追う。すぐに一番上、屋上へと続く扉の前へと到着した。

「よし、じゃあ行くぞ!」

 駿が扉を開け、屋上へと出ていった。僕も扉をくぐり、屋上へと足を踏み入れる。夕日が照らす屋上は、野球部がボールを打つ音や吹奏楽部の演奏が聞こえてきた。五月の爽やかな風が吹き抜けていて、とても気持ちがいい。辺りを見渡してみるが僕達以外、生きている人は誰もいなかった。

「さて、幽霊はいるかな?」

 駿はキョロキョロと首を動かす。その駿の様子を、屋上の女子生徒が興味なさそうに見つめていた。

「うーん、やっぱりいないか……」

 ガックリと肩を落とす駿。実際にはバッチリいるのだが、それは黙っておこう。

「やっぱりシュンは見ていて飽きないな。噂では満月の夜に出るという話なのに、まだ明るいうちから屋上に来るとは」

 まつりさんがクックック、と笑う。

「そっか。そういえば満月の夜にしか現れないって噂だったっけ」

 独り言のつもりだったが駿には聞こえてしまったようで、僕の左肩にポンと手を置いた。

「そうなんだよ。でもな、とある筋の情報で、とある儀式をするといつでも会えるという話を聞いたんだ」

「とある筋のとある儀式?」

 なんとも胡散臭い話だが、駿は大真面目にうなずいた。

「そう。その儀式とはな……」

 駿は屋上の真ん中へと立つ。一度咳払いをした後、その場に跪き、オペラ歌手のように左手を胸に当て、右手は四五度の角度で掲げて見せた。

「ああ、ハニー! 待たせたね! さぁ、出てきておくれ!」

 さながらジュリエットがいるバルコニーへと語りかけるロミオのようだった。だが、傍から見ると屋上でただ一人、空に向かってキザなセリフを吐いているイタイ男子学生にしか見えないが。

「……それが儀式なの?」

 笑いをこらえながら訊くと、駿はパチリとウインクをして見せた。どうやらまだ動いてはいけないようだ。

「あははははははははは! シュンは本当にバカだね!」

 まつりさんはお腹を抱えて笑っているし、屋上の女子生徒は、こいつ何やってんだ? という冷ややかな視線を向けている。

 駿はロミオのポーズを一分ほど続けた後、何事もなかったかのように立ち上がる。

「ダメだな。諦めよう」

 切り替えが早い。

 それから駿は部室から持ってきたというカメラで適当に写真を撮っていた。僕は特にやることがなくなってしまったので、屋上から校門を眺めてみた。待ち合わせでもしているのだろうか、校門の端に女子生徒が一人だけ立っている。それ以外の生徒は次々と校門から出ていく人ばかりで、入って来る生徒は誰もいない。

 女子生徒の隣に移動すると女子生徒と視線が合い、軽く会釈をしあう。女子生徒はこの学校の制服を着ているので、この学校の生徒なのは間違いない。昨日まつりさんが言っていたとおり、小柄で可愛らしく、艶ほくろがとてもチャーミングだ。まつりさんの言葉が本当なら、この女子生徒は生霊。まだ生きている人の無念がここに残っているわけなのだが、問題は誰の、そしていつの人の無念なのだろう。現在の生徒の無念なのか、それとももう卒業してしまった生徒の無念なのか。

「キミはいつからこの屋上にいるの?」

 女子生徒へと話しかけてみる。女子生徒はキョトンとした顔をした後、困ったように首をかしげてみせた。

「ハルト、残留思念はしゃべれないのに、なに質問しているのさ」

 まつりさんが言うように、残留思念はしゃべらないし、無念がある場所から動くことはない。動き回り、僕にちょっかいを出してくるまつりさんは残留思念ではなく、幽霊だからだ。

「いえ、もしかしたらと思って」

「幽霊だったなら、アタシが話を聞いてあげているよ。これでも一応、巫女なんだから」

「えっ、それコスプレじゃなかったんですか?」

「ハルト、もしかしてアタシのことバカにしている?」

「いえいえ、とんでもない! ちゃんと巫女さんだって知ってますよ」

「ならいいんだけど」

 まつりさんはムスっとした顔で屋上の床へと沈んでいった。幽霊だけあって、まつりさんは壁や床をすり抜けられる。しばらく待ってみたが、まつりさんは戻ってこない。きっと飽きて散歩にでも行ってしまったのだろう。

「お前、誰と話してるんだ?」

 写真を撮り終えた駿がこちらへと戻ってきた。

「なんでもないよ。ただの独り言」

「ずいぶんデカイ独り言だな」

「それより、写真はどうだった?」

「何も映らなかった。ま、そんなに甘くないよな。屋上の女子生徒、見たかったなぁ」

 駿がフェンスへと寄りかかりながら座った。その場所は偶然にも女子生徒の隣だった。

「ロングヘア―の女子生徒……しかも噂ではめっちゃカワイイらしいぜ。あーあ、一目でいいから見てみたかったよ」

 その女子生徒、駿の隣にいるんですけどね。

「そういえば、女子生徒は飛び降り自殺したって話だったけど、なんで飛び降り自殺なんかしたんだろう?」

「なんだ春斗、知らなかったのか。なんでも彼氏にフラれたのが原因らしいぞ」

「そうなの?」

 それは初めての情報だった。

「フラれたのがショックでそのまま飛び降り自殺したとか。しっかし、なーんでロングヘア―のカワイイ女の子をフッちゃうのかね? 俺だったら即オーケーなんだけど!」

 どうやら駿はロングヘア―の女性が好きらしい。それはさておき、そう力説する駿の隣で、女子生徒が悲しそうにうつむいた。もしかして、フラれたというのは本当のことなのだろうか?

 扉の開く音がした。僕と駿は屋上の入り口へと視線を向ける。

「あ、まだ誰かいたのね。ほら、もう鍵を閉める時間だから、こっちに来なさい」

 スーツを着た女性が手招きしている。今年から入った新任の先生だろうか、僕はその女性に見覚えがない。

「あ、今行きます!」

 駿は立ち上がると、扉へと駆け出したので、僕も駿を追う。

「キミ達二人だけ?」

「はい、そうです」

 駿が答えると、スーツの女性は持っていた鍵を見せた。

「そう。じゃ、扉に鍵をかけちゃうから、キミ達はもう帰りなさい」

「はーい、それじゃあさようならー」

「ええ、さようなら」

 笑顔で手を振るスーツの女性。僕もペコリと会釈をしたら、女性は満面の笑みで答えてくれた。

 階段を駿と一緒に下りながら、さっきの女性のことを聞いてみることにした。

「駿、さっきの人って誰?」

「そっか、二組はまだ知らないのか。あの人は堀川先生って言って、教育実習で来ている先生だよ」

「あ、そういえば先週から教育実習の人が来てるって言ってたっけ。確か、堀川先生と、長沢先生だっけ?」

「そ。堀川先生がさっきの人で、長沢先生は男の人だ。二人ともこの学校の卒業生で、同じクラスだったみたいだぜ?」

「さすが新聞部。詳しいね」

「まあな。堀川先生も長沢先生も、どっちも生徒に人気みたいだぞ。長沢先生はイケメンだし、堀川先生はさっき見たからわかると思うが、美人だっただろ?」

「そうだね。大人の女性って感じがした」

「口の下にあるほくろがエロイって、男子の間で大人気。俺も正直あのほくろ、イイと思います」

「うん。艶ほくろがあったね、堀川先生」

「艶ほくろ?」

「口の下にあるほくろのことを艶ほくろって言うんだよ」

「へー、そうなのか。あ、俺は部室に寄って行くよ。春斗はもう帰るのか?」

「うん。じゃ、また明日」

「付き合わせて悪かったな、じゃ!」

 駿は手を振りながら新聞部の部室へと向かっていった。僕は一度、カバンを取りに教室へと戻った。二年二組の教室へと入ると、僕の机にまつりさんが座っていた。

「おかえりハルト」

「まつりさん、ここにいたんですね」

「うん。さ、これからゲーセンに寄って帰ろう!」

「いや、さすがにもう遅いですし、今日はまっすぐ帰ります」

「えー! 約束してたのにー!」

「また連れて行ってあげますから、今日は帰りましょう」

「むー、残念……」

 頬を膨らませるまつりさん。僕はカバンを持つと、生徒用玄関へと向かった。玄関で靴へと履き替え、校門へと向かう。

「ねぇ、まつりさん」

「ん、どうしたのハルト?」

「まつりさんは知っていたんですよね、堀川先生のこと」

「もちろん。だけど、すぐに教えたら面白くないだろう?」

「……そんなことだろうと思いました」

 ため息を吐きながら、校門で屋上へと振り返る。屋上には、あの女子生徒がいた。

「あの残留思念、堀川先生の無念ですよね?」

 化粧をしているために少し印象が変わっているが、あの女子生徒は堀川先生の面影がちゃんと残っていた。そして何より、印象的な艶ほくろも一緒だった。

「だったらどうするんだい?」

「できることなら、無念を晴らしてあげたいです」

「そっか。ハルトは本当に優しいね」

 まつりさんが微笑んだ。時々、不意打ち気味に見せるその笑顔を、僕は直視できない。その笑顔を向けられるとドキドキしてしまい、すぐに視線をそらしてしまう。

「と、とにかく! 今日はもう帰りましょう!」

「そうだね。じゃ、途中まで一緒に帰ろうか」

 フワフワと僕の頭上を飛ぶまつりさん。フワフワと宙を舞う巫女服の赤色が、夕日で紅く染まる街並みにとても映えていた。



「春斗、残念なお知らせがある」

 翌日の放課後、帰る準備をしているところに沈んだ顔をした駿がやって来た。

「どうしたの? もしかして転校でもするの?」

「ちげーよ! 屋上の幽霊の話なんだけどさ、昼休みに教頭先生にインタビューに行ったんだよ。そしたら、この学校で飛び降り自殺なんてなかったって言われちまったんだ」

「そっか。この学校で飛び降り自殺した生徒がいないということは、幽霊の噂は嘘ってことになっちゃうね」

「そうなんだよ。だからこれから図書室に行って過去の新聞を調べてみることになったんだよ。新聞部の部員全員で」

「あらら、それは大変そうだね」

「今月のメイン記事予定のネタだったのに……ガセネタだけは勘弁してほしいよ」

 駿はガックリと肩を落としながら教室を出ていく。その背を生温い目で見届けた後、僕はカバンを持ち、屋上へと向かった。

 屋上への扉を開ける。昨日と同じ場所に、残留思念の女子生徒が立っていた。

「やぁ、こんにちは」

 手を挙げて挨拶をしてみると女子生徒はペコリとお辞儀をしてくれた。屋上は昨日と同じように野球部と吹奏楽部の練習音が聞こえてくる。僕は女子生徒へと近づくと、彼女の隣に腰かけた。

 何か目的があったわけではなく、ただ何となく残留思念の顔を見にこようと思ったからだ。隣に立つ残留思念を見上げるが、堀川先生と同じ場所にあるほくろが一番に目についた。おそらくこの女子生徒は堀川先生だ。この場所に残った強い思い、残留思念。いったい堀川先生はこの場所にどんな無念を残したのだろうか。

「……なにジロジロみてるのさ?」

 足元から声が聞こえてきたので視線を落とす。すると床から上半分だけ頭を出した女性の顔があった。その女性はうつろな目で僕をじっと見つめている。

「うわぁぁ!」

「あ、驚いた驚いた! ハルトの驚いた顔、やっぱりカワイイよ」

 フワリと顔が浮かび上がる。床から姿を現したのは、まつりさんだった。

「ま、まつりさん! ビックリさせないでくださいよ!」

「だって、ハルトったらアタシをほったらかして他の女性の所に行っちゃってさ……」

「変な言い方はやめてください!」

「アタシに何も言わずにこの子の所に行っちゃうんだもの。少しはその子に嫉妬しているんだよ?」

「それは……すみません」

「ふふっ、でもさっきの驚いた顔で帳消しにしてあげる」

 まつりさんは残留思念に「こんにちは」と挨拶してから僕の隣に腰かけた。

「まつりさん、何か情報を仕入れましたか?」

「うん。教育実習で来ている堀川先生と長沢先生は学生時代に付き合っていたんじゃないかって噂が生徒達に広まってるみたいだね」

「二人は同じクラスだったって駿が言ってましたね。それならそういう噂が立つのは仕方ないかもしれません」

「今日も二人で楽しそうに雑談している姿を見たよ。実際、仲は良いんだろうね」

 まつりさんはウフフと意味ありげに笑った。

「他には何か情報ありますか?」

「アタシが聞いたのはそれぐらいだね。ハルトは何か聞いた?」

「駿がこの学校で飛び降り自殺した生徒はいないみたいだって言ってました」

「そうだろうね。この学校で死者の霊は見たことないし」

「そうなんですか?」

「そうだよ。この学校は残留思念はいるけど、幽霊はいないよ」

「トイレの花子さんもですか?」

「そんなのいないいない。ただの噂だよ」

「走る人体模型は?」

「模型が走るわけないじゃない」

 学校の七不思議がいとも簡単に否定されてしまった。残留思念の女の子も七不思議の話に興味があるようで、僕とまつりさんの話を目を輝かせながら聞いていた。僕とまつりさんは辺りが夕焼けで染まるまで、学校の七不思議の話で盛り上がった。

 扉が開いた。僕とまつりさん、そして残留思念の視線が一斉にそちらへと向く。

「あら、あなた、たしか昨日もいたわよね?」

 屋上へと入ってきたのは堀川先生だった。昨日と同じように鍵を持っているところを見ると、鍵をかけにきたのだろう。

「今日は一人なのね。もしかして、屋上好きなの?」

 堀川先生がこちらへと近づいてくる。

「えっと……はい、好きなんです」

 答えに困ってしまい、愛想笑いを浮かべながらそう答える。

「そうなのね。でも一人で屋上にいるなんて、何か悩み事でもあるのかな?」

 堀川先生が僕の顔をのぞき込んでくる。どうしても艶ほくろに視線がいってしまった。

「いえ、そういうわけでは……」

 恥ずかしくなって視線をそらす。それをどう取ったのかわからないが、堀川先生はうんうん、とうなずいた。

「年頃の男の子だもんね。どんどん悩むがいい、少年!」

 堀川先生がポンポンと僕の肩を叩く。僕はもっと恥ずかしくなってしまい、赤くなった顔を見られないようにうつむいた。

「ちょっとハルト、なにデレデレしているのさ! アンタも、ハルトをからかっていいのはアタシだけなんだからね!」

 僕の顔を見てまつりさんが頬を膨らませながら堀川先生へと絡んでいる。当の本人の堀川先生には見えていないのだから、絡んでいるというのは少し違うかもしれないが。

「そうだ。堀川先生は、屋上って好きですか?」

 ふと、思いついた質問をしてみる。すると堀川先生は少しだけ困ったような顔をした後、答える。

「そうね……私も好きよ、屋上。風が気持ちいいものね」

「本当ですか?」

「……ごめんね、本当は嘘」

 堀川先生は風で揺れる髪を押さえると、フェンス越しに校門を見下ろした。

「私ね、ここの卒業生なんだけど、学生の時、ここで告白しようとしたことがあるんだ。しようとしただけで、できなかったんだけどね」

「できなかったんですか?」

「うん。相手が来てくれなかったんだ。フラれちゃったの」

 校門を見る堀川先生の目は、とても悲しそうだった。

「でもね、それも今ではいい思い出よ。淡い青春の一ページ、かな」

 そう言って笑顔を見せる堀川先生。だけど、たぶん嘘だ。残留思念が悲しそうな顔で堀川先生のことを見たから。

「ふーん、それがこの子の無念なわけだね。伝えられなかった思い、か」

 まつりさんが残留思念と堀川先生の顔を交互に見ながら微笑む。

 思いを伝えたい人が来ない。

 それはいったい、どれほどの無念なのだろう。

 きっと堀川先生は、この屋上でずっと待っていたはずだ。来るはずの思い人を待って。フェンスに寄りかかりながら扉が開くのをじっと待ち、時には相手が来るかもしれない校門を見下ろして。

 だけど、どれだけ待っても、その人はやって来ない。

 下校時刻になり、先生が鍵をかけるためにやって来る。もう帰りなさい、そう先生に言われて、気がつく。

 ああ、私、フラれたんだ。

 思いを直接伝えることもできず、ただノーという結果だけを理解する。それはいったい、どれだけ堀川先生を傷つけたのだろうか。

 僕は誰かに思いを伝えたことがないので、どれだけの無念であるかを理解することはできない。

 でも、堀川先生には残留思念を残してしまうほどの無念だったのだ。結果はどうあれ、ちゃんと思いを伝えたかったのだろう。

「あの、先生、もしよければ――」

 言いかけた時、扉が開いた。

「瑞希、他の所は見回り終わったぞー」

 屋上へと入ってきたのはもう一人の教育実習生である長沢先生だった。長沢先生は僕を見ると、驚いた顔をした。

「っと、堀川先生、あとはこの屋上だけですよ。あと、教頭先生が堀川先生のことを呼んでました。ここは閉めておきますから、教頭先生の所へ行ってください」

「わかりました。では、これを」

 堀川先生は鍵を長沢先生へと手渡すと、屋上から出ていった。

「あの長沢とかいう先生、ハルトを見て急に堀川先生への態度を変えたね。わかりやすい」

 まつりさんニヤニヤしながら言う。

「さて、そろそろ閉めるぞ。ほら、こっちに来い」

「あ、はい。わかりました」

 長沢先生の元へと向かい、一緒に屋上を出る。僕が出たのを確認した後、長沢先生は扉の鍵を閉めた。

「これでよしっと。じゃ、君も帰りなさい」

「あの、先生に聞きたいことがあるんですが」

「ん、どうした?」

「先生って、堀川先生と同じクラスだったんですよね?」

「そうだけど、それが?」

「堀川先生が学生時代、この屋上で何があったか知ってますか?」

「それ、瑞希……堀川先生から聞いたのか?」

 うなずくと、長沢先生は気まずそうに頬をかいた。

「知ってるよ。あいつ、寒い中この屋上でずっと待ってたんだもんな。悪いことをしたと思ってるよ」

「悪いことをした?」

 驚いたのは僕だけではなかった。僕の隣で浮いているみやこさんも、僕とまったく同じタイミングで同じ言葉を発していた。

「瑞希が待っていたのは俺なんだよ」

 気まずそうにうつむく長沢先生。

「なにこの男! 酷いじゃないか!!」

 プンプン怒っているまつりさん。長沢先生へと殴り掛かる勢いだ。

「あの、なんで屋上に行かなかったんですか?」

「……言い訳になっちゃうんだけどさ、瑞希は昼休みに俺の机の中に手紙を入れてくれていたらしいんだ。『放課後、屋上で待ってます』って書かれた手紙をさ。だけど、その手紙に気づいたのは翌日だったんだ。手紙を読んで放課後、屋上に行ったのに誰もいなくて……。下校時間まで待ったけど、誰も来ない。そりゃそうだよな、瑞希が待っていたのは昨日なんだから。しばらく経ってから瑞希の友人が俺に教えてくれたんだよ。あの日、瑞希が待っていたんだよ、って」

「すれ違いをしちゃったんですね……」

「瑞希とはもともと仲が良かったしさ、その事件の後も何事もなかったように普段通りに接してくれたんだ。謝ろうかとも思ったんだけど、下手に掘り返したら気まずくなるかもって考えたら怖くなっちゃって」

 長沢先生は大きなため息を吐く。

「あの日、ちゃんと手紙に気づいていれば……」

「長沢先生は、堀川先生のこと……」

 長沢先生は恥ずかしそうに視線をそらした。

「あらら。どうやら両想いだったみたい。それなのにちょっとしたすれ違いでこんなことになっちゃったなんて、悲劇だね」

 まつりさんはめずらしく悲しそうな声を出した。

 たしかに悲劇だと思う。ちょっとしたすれ違いで、こんなことになってしまったのだから。

「あの、先生。ちょっと鍵貸してくれませんか?」

「え? いいけど……」

 僕は長沢先生から鍵を受け取ると、鍵を開け扉を開く。屋上は夕日に照らされ、紅く染まっている。フェンスの前に立つ、堀川先生の残留思念も。

「ねぇ先生。先生はあそこに何が見えますか?」

 僕は堀川先生の残留思念を指さす。

「ハルト、いったいなにを言っているのさ。普通の人が残留思念をみれるわけないじゃないか」

 驚くまつりさんを無視し、僕は残留思念を指さし続ける。長沢先生は目を凝らして指の先を見つめている。

「……いや、何も見えないけど」

「そうですか。僕には、堀川先生がみえます。まだあそこで長沢先生のことをずっとずっと待っている堀川先生の姿が」

「瑞希が?」

「はい。あの、偉そうなこといってごめんなさい! それじゃあ!」

 僕は堀川先生へと鍵を押し付け、ペコリと頭を下げると、階段を駆け下りた。

「あ、ちょっと! キミ!」

 呼び止める堀川先生の言葉を無視し、階段を下りる。

「言い逃げって……カッコ悪いね、ハルト」

 隣を飛んでいるまつりさんも無視し、僕は生徒用玄関を目指すのだった。

 

 

「ハルト、聞いたかい? 堀川先生と長沢先生が付き合ってるって噂が広まっているみたいだよ」

 二日経った放課後、帰宅するために玄関で靴へと履き替えている時、下駄箱の上に腰かけていたまつりさんがそう言った。

「駿が言ってましたよ、その噂」

「なんでも、ずっと交際を否定していたのに、昨日から急に交際を認めたって話だよ」

「そうみたいですね」

「堀川先生ファンの男子生徒達は大ショックを受けたみたいだけど。あーあ、アタシも艶ほくろでも描いてみようかな。この辺とかに。そうしたらもっとハルトの気を引けるかしら?」

 手鏡で自分の顔を見ながら口元を指さすまつりさん。

「まつりさんなら似合うと思いますよ」

「そうかな? 似合うかな?」

 まんざらでもないようで、まつりさんは嬉しそうに手鏡をのぞき込んでいる。

 靴へと履き替え、玄関を出る。まつりさんも下駄箱から飛び降り、フワフワと浮かびながら僕についてきた。

 校門で立ち止まって校舎へと振り返り、屋上を見上げる。屋上には、校門を見下ろす残留思念の姿がなかった。

「またこの学校の残留思念が一人、減ってしまったわけだね」

 まつりさんが屋上を見上げながらしみじみとした顔をしている。

 昨日、屋上の残留思念が消えていた。それ自体はめずらしいことではない。残留思念は無念を晴らすと消えてしまう。幽霊でいう成仏と同じようなものだ。

 僕は校舎に背を向け、歩き出す。校門を一歩踏み出すと、まつりさんもフヨフヨとついてきた。

「無念が晴らされたんですから、良いことじゃないですか」

「今回、ハルトはほとんど何にもしていなかったけどね」

「最後にちょっと背中を押したじゃないですか」

「それにしても今回の残留思念は少し考えさせられたね。誰かに伝えたいことは、伝えられるときにちゃんと伝えておいた方がいい、てさ」

「なんか幽霊が言うと説得力がありますね」

「でしょ? じゃあハルト、アタシに何か伝えることはない?」

「まつりさんにですか?」

 少し考えた後、笑顔でまつりさんに訊いてみる。

「じゃあ今日、映画でも見に行きますか?」

「本当!? じゃあホラー作品がいい!!」

「幽霊なのにホラーが見たいんですね」

「ホラー映画に幽霊とか関係ないよ! ほら、早く行こう!」

 これが僕に取り憑いた幽霊のまつりさん。

 巫女服を着て、意地悪で、だけど僕のことをいつも考えてくれている、ちょっとおかしな幽霊だ。

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