第29話
「教授、あなたがアキを開発したんですか?」
「いや、私じゃない。私はただチーフという立場にあっただけで、開発は私の元で働く研究員たちがやってくれたよ」
そういえばある先輩が、人工知能の開発が難しいだの何だのと愚痴っていたことを思い出した。その時は、ロボットコンテストに応募でもする気なのか、くらいにしか思わなかったが、まさか本当に人工知能に携わっていたとは。
「乗ってくれ、葉山くん」
律儀なことに、教授はセダンの助手席のドアを開けてくれていた。
「あっ、どうもすみません」
俺はヘコヘコと頭を下げながら、ゆっくりと乗り込む。反対側から運転席に教授が乗り込み、緩やかにセダンは発進した。
「葉山くん、こんな時間だから送っていこうと思うんだが」
「えっ、そんな! 申し訳ないですよ!」
「申し訳なくなんかないさ。我々の開発した人工知能は、まんまと君を利用していたんだ。お詫びする必要があるのは、こちらの方だ」
教授はつと、人差し指で眼鏡のフレームを押し上げた。
車内は冷房がかかっていたが、教授と対照的に俺は落ち着かず、背中を汗が伝っていくのが感じられた。
その時、助手席と運転席の間に、一枚の写真が貼りつけられているのが見えた。仏頂面の教授と、その前で椅子に腰かけ、大きくなったお腹に手を当てている女性が写っている。
「私の妻だ」
俺の視線の先を読んだかのように、教授は呟いた。
「奥様がいらっしゃったんですね」
てっきり未婚を貫くのかと思っていたが。
「正確には『元』妻だな。娘の出産時に、二人そろって天に召されてしまった」
「!?」
いや、普通なら謝るべきところだろう。悲しいことを思い出させてしまったのだから。
しかしここ数日、人の死というものに触れてきた身としては、とても落ち着いて無礼を詫びることなどできなかった。あまりに衝撃が大きすぎたのだ。
俺が正気に戻ったのは、次に教授が俺に声をかけてきた時だ。
「すまないな、急に暗い話をしてしまって」
「あっ、いえ……」
教授の表情を窺うことはしなかった。窺うことが、できなかった。本当は自分が一番辛いはずなのに、どうして俺のような駄目学生に謝ろうとするのだろう。
それから、教授はぽつりぽつりと話を始めた。
胎児死亡の可能性が高かったこと。
医師には、妻と娘の片方を諦めるよう宣告されたこと。
どうにか二人とも助けてくれと懇願し、結局二人とも喪ってしまったこと。
「それでも人は生きていくものだ。時間の流れというものは、ありがたいようで恐ろしい。意識しなければすぐに過ぎ去っていくし、忘れようとすればするほど、その経過は遅くなる」
『いやはや、まったく恐ろしい』と言って、教授は口を閉ざした。
「もしかして、アキのモデルって……」
「別に似せて創ったわけじゃない。無意識のうちに、と言えば逃げになってしまうが、どうしても似通ってしまうんだよ。在りし日の妻にね。妻とは大学で出会ったんだが、自分が小さい頃の話をするのが大好きだったんだ。写真もよく見せてもらっていた。だから、人工知能のフォルムと、幼少時からの妻の写真の姿とが似通ってしまったのかもしれないな」
『命名権は私にはなかったようだがね』と、教授は肩を竦めた。
帰りがけの主な話題は、アキの身に何が起こったのか、だった。
「アキは一体どうしたんです? 何故あんなところで倒れていたんです?」
「君がアキと名付けたAI――我々もアキと呼ばせてもらうが、彼女は暴走していたんだ」
「暴走?」
ハンドルを握りながら頷く教授。
「そこで我々は使ったんだ。暴走した人工知能を駆逐するための、最終兵器を」
最終兵器。その言葉に、俺は唾を飲んだ。コンピュータウィルスの最新バージョン、とでもいったところか。
「これから人工知能はどんどん普及するだろう。生活、娯楽、情報通信、その他未知の領域の開発。だが、もし『彼ら』が『我々』に対して反旗を翻すようなことが起こったらどうなる?」
それこそSF映画の話じゃないか。俺は、普段だったら一笑に伏すであろうところを、しかし無視できずにいた。それだけ教授の言葉は重かったのだ。
「そんな事態に備えて、対AI用の人工知能を同時開発しているのさ。毒を以て毒を制す、とでも言うべきか」
と、いうことは、ウィルスのバージョンアップはまだまだ続くというわけか。
「だがこれ以上、君たちのような一般人に迷惑がかからないよう、アキは完全な警備・管理下に置く。今さら信じてくれとは、自信を持っては言えないがね」
それ以降、教授の車が俺のアパート前に停車するまで、会話はなかった。
「教授、ありがとうございました」
降り立った俺が頭を下げると、教授は
「アキの件は心配しなくていい。我々が総出を上げて修復する」
『修復』……。元に戻るのか?
その言葉に、俺の胃袋から一気に心配事が溢れだした。
「俺、またアキに会えますか?」
俺の降りたドアを閉めようと腕を伸ばしていた教授は、上目遣いで俺を見た。
そして目線を下げながら、はっきりとこう言った。
「あまり期待はしないでくれ」
『そんな!』とか『また会わせてください!』とか、言いたいことはたくさんあった。否、言いたいことはたった一つで、そのバリエーションがあっただけだ。しかし、俺はそのいずれをも、言葉にすることができなかった。
俺は肩をガクッと落とし、遠ざかっていくセダンのテールランプが見えなくなるまで、ずっと頭を下げ続けた。どうか、どうかアキを直してやってください。
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