第28話
「俊介、俊介!」
「……んあ」
目の前で、誰かの手がぶんぶんと振り回されている。誰の手かなんて明確だ。
「母さん、どうしたんだ?」
「どうかしてるのはあなたよ、俊介。なんだかぼーっとしちゃって」
「ん、ああ」
「何か、悩みごとでもあるの?」
「いや」
俺は即答した。それでもお袋は、自分の指を胸の前で組み合わせ、不安げにこちらを見つめている。
「母さん、まさか俺が大学でいじめられてる、なんて思ってない?」
「そ、そうよ!」
お袋はテーブルに手をつけ、身を乗り出してきた。そんな余計な心配をかけるまで、俺はぼーっとしていたのか。アホか、俺は。
「大学戦線異状なし、葉山俊介軍曹は無事、存命であります」
おどけた調子で言ってから、俺は椅子を降り、さっと敬礼してみせた。戦争映画の観すぎかな、と思う。
だが、そのおどけた所作のお陰で、お袋はほっとしたらしい。
「よかったわ、あなたが元気で」
「何だよ、大袈裟だなあ」
そう、お袋は随分と熱心に俺を見つめていた。
「あー、えっと、何?」
するとお袋も立ち上がり、出口を塞ぐコースで俺のそばまで回ってきた。そして、思いっきり俺を抱きしめた。
「ちょっ、母さん! 俺は幼稚園児じゃないんだから、こんなこと止めてくれよ!」
狼狽する俺を無視して、お袋は涙ながらに訴えた。
「母さんにとって、あなたこそ生き甲斐よ、俊介。悩みがあったらすぐに言いなさい。電話でもいいわ。だから、だから……」
要するに、もう少し俺を引き留めておきたい、というわけか。俺はどこか安堵感を覚えながらため息をつき、
「じゃあ、母さんお手製のハンバーグでも作ってくれる? 久々に会ったんだしさ」
それを聞いて、お袋はようやく俺から手を離し、涙を拭って俯きがちに頷いた。
「材料、ある?」
「ええ、大丈夫よ」
「でも挽き肉って捏ねるの大変だよな。俺がやるよ」
「ありがとう、俊介」
油断すればまた泣き出しそうなお袋の前で腕を組みながら、俺は手近にあったエプロンをお袋に放った。
「ありがとう、俊介」
「さっきも言ったじゃないか、その台詞」
「だって私の生き甲斐だもの」
「それも言った」
恥ずかしくなるから、もう止めてくれ。そうは思いつつも、俺の安らぎは深まっていった。
晩飯が終わり、俺はいそいそと帰宅準備を始めた。できれば今日、いや、明日の未明にでもキラキラ通りを訪れておきたい。
「そんじゃ。また来るよ」
「うん。母さん、あなたを待ってるわ」
まだ微かに日差しが差し込む玄関で、俺はお袋に手を振った。
※
景色が俺の視界を流れていく。
帰りの新幹線では眠らなかった。高速で過ぎ去ってゆく森林の黒々とした影、住宅地の放つ淡々とした灯り、真っ暗な中に一線を引いたような海岸線。それらを俺は、何を考えるでもなく、ぼんやりと眺めていた。
ウォークマンを持参すべきだったと反省する。そうすれば、クラシックでも聞いて、より落ち着きを取り戻せただろうに。まあ、今日は我ながら、意外なほど冷静だったとは思うのだが。
いや、冷静だったのはお袋の方か。でなければ、俺はお袋と一緒に『大黒柱の喪失』という負のスパイラルに落ち込んでいたかもしれない。
ふと、先ほど食べたハンバーグの味が思い出された。親父も含めて、三人でよく食べたものだ。今はもう親父はいないけれど、お袋はいる。不思議な体験だが、俺はお袋のハンバーグの味を思い出すことで、『強く生きて』というメッセージを受け取ったような気がしていた。
これは勝手な憶測だが、それはお袋がくれた『思い』であって、お袋も何とか、自らを叱咤しているところなのだろう。
「降りるのは次の駅、か」
俺は小さく呟き、あと数分で到着するというアナウンスを聞きながら、座席に忘れ物がないか確認した。持ち運びに苦労するような荷物を持って出かけたわけではなかったけれど。
駅のホームに降り立ち、音のないため息をつく。少しは俺も元気になれたような気がして、発車する新幹線をぼんやりと見送ってから、階段を下りて改札を出た。
さて。身軽な俺は、このままキラキラ通りに向かうことにした。
正直、麻耶に会いたかったのだ。これが恋なのか何なのか分からない。しかし、とにかく今の俺は、熱烈に麻耶の気に留まることを望んでいた。
会いたい。そして今の俺が元気であること、麻耶にも未来が開けていることを伝えたい。駅の構内から外に出た俺は、思いっきり伸びをし、パチンと両頬を叩いて気合いを入れ、キラキラ通りのある北側へと足を伸ばした。
勾配のキツい坂を登っていく。このあたりは住宅街で、街灯や監視カメラが市民を守るべく、その目を光らせている。
できるだけカメラには映らない方がいいんだろうな。そう考えた俺は、通い慣れたこの道を、足早に通り過ぎていこうとした。
その時だった。俺の視界で、誰かが地面に倒れているのが見えたのは。
「だ、大丈夫ですか!?」
俺は慌てて駆け寄った。街灯の光で、その人物が何者なのかを確かめる。
「っておい!」
俺は愕然とした。何故なら、今俺の腕の中で荒い息をついているのは、誰あろうアキだったからだ。
俺は手を震わせながら、アキをそっと仰向けにした。一体何があったんだ?
「おいアキ! アキ!」
頬を叩いてみるが、アキの意識は戻らない。街灯の下で、アキの顔が真っ白になっていることを俺は見て取った。しかも、アキの身体はホログラムのように、明滅を繰り返している。
「少し離れてくれるかい、葉山俊介くん」
淡々とした、聞き覚えのある声が、俺の鼓膜を震わせた。
俺が慌てて振り返ると、街灯の光の中にその人物が入ってきた。
「は、長谷川先生……」
僕は馬鹿みたいに塞がらなくなった顎を動かし、彼の名を口にした。
長谷川亘教授。俺がアキと出会う前、夜中の未明にも関わらず、俺のレポート提出を催促してくださったありがたい先生だ。結局レポートは提出できなかった、というよりしなかったのだけれど。
これでは会わせる顔がないが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「長谷川教授、これは一体どういうことです!?」
ぼさぼさの髪に少し白髪交じりで、かと言って歳をとっているようには見えない、すっと伸びた長身の背筋。フレームのない眼鏡をかけ、半袖の白シャツにジーパンという、ありきたりな服装をしている。
「その前に私が訊きたいのだが……。葉山くん、怪我はないか?」
「あ、俺は大丈夫です。膝を擦りむいたくらいで……」
と言って、俺は自力で立ち上がり、教授と目を合わせた。
気づけば、教授以外にも人間がいた。黒服にサングラス姿の男性数名が、俺とアキ、それに教授を囲んでいる。次にもたらされたのは、質問の十字砲火だった。
「君の名前は?」
「どこの学生かね?」
「AIと出会った経緯は?」
そんな彼らに、僕はマスコミにたかられる政治家よろしく、『えー』だの『あー』だのと繰り返していた。脳が質問を処理しきれない。現在の状況もだ。
しかし、そこに救いの手を伸べてくれたのは教授だった。
「彼は私の知人だ。大学に戻るついでに、私の方から事情聴取しておく。君たちは、アキを研究所へ送り届けてくれ」
「了解です、長谷川チーフ」
黒服たちはそう言って、アキを慎重に担架に載せ、運んで行った。その先には救急車のような車が見えたが、それも黒かった。いかにも隠密任務向き、といった印象を受ける。
教授はこちらに手招きをしながら、白いセダンの方へと俺を誘った。
「君は確か、葉山俊介くん、だね? 私の講義を受けていた」
「あ、はい」
「ああ、プログラミングⅢのレポートが未提出だったよ。まだ期限は延ばせるから、無理のない範囲でやってくれ。身体の健康が第一だ」
「はい」
歩きながら、他愛もない会話を交わす。だが、今やレポートの催促をシカトしてしまったことはどうでもよかった。アキの弱り切った姿を思い出すと、いろいろと尋ねずにはいられなかったのだ。
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