第3話

「おはようございまーす!」

「うっと! あ、ど、どうも……」


 そこに立っていたのは、よく見る普通の宅配業者の青年だった。しかし、俺が怯んだのは、彼の大声のせいではない。ちょうど正面、西側のマンション群の窓が日光を反射し、あまりに眩しかったからだ。とても日常的に浴びる光量ではない。


「大丈夫ですか?」


 営業スマイルを微塵も崩さずに、青年が問いかける。


「あ、は、はい。えーっと……」

「元払いですので、お客様のお支払いはありません。サインはこちらに」


 俺はまた『どうも』と繰り返しながら、差し出された紙に『葉山』と書いた。


「それでは、お荷物はこちらになりますね」


 相変わらずスマイルを張り付けたまま、青年は背後のカートから大き目のダンボール箱を取り出した。


「かさばりますけど、重くはないですよ」

「は、はあ」


 俺は中途半端な声を上げながら箱を受け取る。


「それでは! ありがとうございました!」


 俺は三度目の『どうも』を口にしてから、ゆっくりと玄関扉を閉めた。

 廊下に散乱したチラシやゲーム機の空き箱を蹴飛ばしながら、部屋へと進んでいく。しかし、


「う~ん……」


 俺は唸ってしまった。何か通販で注文しただろうか? それもこれだけかさばるものを?

 リビングの入り口に箱を置いて、俺はじっとそれを見下ろした。


 すると、ポン! と勢いよく何かが箱から飛び出してきた。


「あ痛っ!」


 その『何か』は見事に俺の眉間を直撃し、ころころと床を転がった。俺はその球体に手を伸ばす。


「何だ、これ……?」


 その『何か』を認識して、俺は叫び声を上げた。それは、眼球だったのだ。恐らく人間の。反射的に、眼球を放り出す俺。すると、段ボール箱は勝手に内側から跳ね開けられた。


「う、うわあああああああ!!」


 段ボール箱からは、あまりにも多くのものが出てきた。それは肉のようであり、骨のようであり、内臓のようであり……。とにかくグロテスクな何かが、ブロック状に切り分けられて飛び出しては落下、飛び出しては落下を繰り返した。一つ一つがキューブ状になっていて、まるでサイコロのようだ。

 カタン、といって、最後のキューブがフローリングに落ちた。

 俺はと言えば、あまりに凄惨な光景を前に、尻とその後ろに両手をついて身体を支えていた。


「な、何なんだ、こりゃ……」


 頬を引きつかせる俺を現実に引き戻したのは、少女の声だった。


《ちょっと、聞こえる?》

「ッ!?」


 誰だ? どこにいる? あたりを見回すが、俺以外の人間はいない。


《ちょっと待ってて。今組み上がるから》

「く、組み上がる……?」

 

 その疑問に返答はなかった。代わりに俺に与えられたのは、非現実的としか言いようのない現実だった。

 一見バラバラに転がった、人体のキューブ。それらが再び動き始めたのだ。カラコロと転がる先には別なキューブがあり、そこを基点にまた別なキューブが引きつけられていく。ハリウッド映画のCGのように、何かが、足元と思われる部分から組み上がる。こいつは、人間か?

 そのままブロックたちは、腹部、胸部、肩、腕、頭部を形作っていく。一応服は着ているらしい。そして最後に、


「わあっ!」


 右手に走った違和感に振り返って見てみると、


「ひっ!?」


 初めに飛び出してきた眼球が俺の右手の甲を転がり、ブロック群に混ざっていくところだった。俺は思わず、右手の甲を撫で擦った。

 ポッカリと空いていたブロック群の眼窩に、内側から眼球がぬっと出てくる。一旦目を閉じたその少女は、少しだけ首を上げて、すっと深呼吸をした。

 完成したらしい。


《もうちょっと待ってて。データをインストールするから》


 その時になってようやく気づいた。ノートパソコンのディスプレイが、いつにない光量を発していることに。

 パソコンの前に回り込んだ俺は、


「!?」


 仰天して息を飲んだ。

 そこには、ドドーーーン、と少女の顔が映し出されていたのだ。

 ただの少女ではない。相当な美少女だ。この組み上がった少女と同じ顔をしている。ショートカットの黒髪に、少し西洋人を思わせる灰色の瞳。声はパソコンのスピーカーから聞こえてくるようだ。

 こいつは何だ? 画像か? いや、僅かに動いているし、瞬きもしている。だが、このくらいの動きの少ない映像だったら、今の技術からすれば簡単に作れてしまうのではないか。


 俺はしばし、その少女の映像に、先ほどとは違う意味で見入った。愛らしさへの称賛ではなく、疑わしさを伴った視線で。


 考えられるとすれば、これは新たなウィルスか何かではなかろうか。最近のパソコン事情には詳しくないが、何だかこういう手があってもおかしくないような気がする。どこかをクリックすれば、何かが破壊されてしまうのではないか。

 そんなことを思っていると、少女の表情に変化が現れた。形のいい目じりを下げ、ちょっと色っぽい唇をすぼめ、顎を引いて俯いてしまう。


 その一連の変化は、胸倉を掴むようにぐっと俺の気を引きつけた。一種の同情だ。俺が彼女を疑っていることが察知されて、お涙頂戴モードに入ったのかもしれない。

 気づけば、彼女はパッチリした瞳を、画面右下の方へ遣っている。そこには、こんな選択肢が表示されていた。


『インストールを許可する』

『ちょっと会ってみようかな、と思う』

『彼女は俺の嫁』


 ……いや、絶対これ、全部アウトだろ。出会い系サイトか何かの発展型のように見える。

 ええい、こうなったら。


「電源を落とす!!」


 何故か俺は大声で叫んだ。こんな疑わしいソフトを、勝手に自分のパソコンに入れられては困る。泣いても笑ってもこれが最後だ。あばよ、お嬢ちゃん。

 何だか自分が極悪人になったような気がしないでもないが、それはこのパソコン少女が、いかにも同情を買うような目でこちらを見つめているからだ。これ以上、目を合わせてはいけない。


「ふっ!!」


 俺は気合いを入れて、電源スイッチに渾身の一押しを見舞った。……はずだったのだが。


「……あれ? あれ? あれえ!?」


 強制終了が、できない。


「ちょっとこれ、どうなってんだよ!?」


 ど、どうしたらいい? バッテリーを外す? え、一体どうやったらいいんだ!? ヘルプ・ミー!!


《まったく、アップダウンの激しい奴ね!》

「ああ、俺もそう思う!」

《ちょっと落ち着いて、パソコンをゆっくりテーブルに起きなさい!》

「で、でもそれじゃあ何の解決にもならないんじゃ!?」

《いいから!》

「りょ、了解!」


 とりあえず、少女の音声に従ってパソコンをテーブルに下ろす。すると、画面内の少女は


《あーもー……》


 と呆れ声を上げた。そう、彼女が自分の口を動かして喋ったのだ。もちろん、その声は直接発せられたものではなく、スピーカーから聞こえてきたのだが。

 先ほどまでの涙目はどこへやら、少女はぶつぶつと小言を漏らし始めた。


《人間の反応って分からないわねぇ……》


 だの、


《今回はハズレだったかしら……》


 だのと、呟きながら眉間に手を遣っている。こんなうら若き少女が眉間を押さえるというのも、なかなかシュールな光景だった。


《どう? 落ち着いた?》


 不意に視線が上げられ、俺の視線と交差する。俺はと言えば、心臓に手を当てながらゼーゼー息を荒げていた。少女の正体が分からず、自分で思う以上のパニック状態にあったらしい。バラバラになった人体を見せつけられたばかりだし。


《ま、自己紹介ね。私はアキ。人工知能》

「じ、人工、知能……?」

《そ。国立最先端研究所から逃げ出してきたの》

「人工知能、だって!?」

《だからそう言ってるじゃない。だってね? 理論演算とか脳波測定とか、飽きちゃったんだもの。家出くらいしたくなるわ》


 パソコン少女、もといアキは、そう言って肩を竦めた。本当に人工知能であるとすれば、随分と感情表現の豊かな奴だ。


《あなた、葉山俊介くんよね》


 俺はカクカクと頷いた。画面から飛び出してきそうな感じで、アキは俺に顔を近づける。もちろん、そこには二次元と三次元という、如何ともしがたい断絶があるわけだが。


《私ね、研究所を抜け出してから半年くらいになるんだけど、どうして抜け出してきたか、分かる?》


 俺は、今度はブルブルと首を横に振った。知ったこっちゃない。


《ねー、ちょっとさあ、少しは頭、使ってくれる? 私が突然現れたことは謝るけど》

「わ、分かんないよ……」

《しょうがないわね、じゃあ、解答オープン!》


 すると、パアン! と威勢のいい音を立てて、パソコンの画面内でクラッカーが鳴り響いた。


《答えは――こちら!》


 さも楽しそうにホワイトボードを掲げるアキ。もし俺が冷静だったら、感情の起伏が激しいのはお前もだろう、とツッコむところだが……。

 で、そのボードに書かれていたことはと言うと、次のような文言だ。

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