第6話 浴衣
桜色の注文書にもう一度目を落とす。
[読めないでしょ。僕が読みますから、みどりさんは目を閉じて聞いていて下さい] オーナーはそういうと、注文書を読み始めた。
山下光子。 23才。 乙女座。
住所は隣町の1235番地。リメイクして欲しいものは、浴衣と法被です。
震災で父親が亡くなったんです。奇跡的にこの浴衣と法被が発見されたんです。
父は残念ながら行方不明のままです。
泥だらけの法被。父がお祭りで着ていた法被。私は妹たちと浴衣を着て父の後をついていきました。父はとても優しくて、男気のある人で、誰からも慕われる自慢の親でした。
来年、私結婚します。浴衣に法被の一部を繋ぎ合わせて下さい]
オーナーは23才の女性の声色で話す。
切ない注文書の内容がぶっ飛びそうになり私は笑いを噛み殺した。
[父は本当に慕われていた。誰の相談も聴くし、困った人に手を差しのべる。母にも、私たち子供にも愛情を注ぐ。そんなお父さんを連れて嫁ぎたいんです。絞りの浴衣は、法被の藍色と合うと思うの。リメイクSHOPの青山さんのセンスは素晴らしいと評判です]
オーナーは自分への誉め言葉は少し小さめな声で早口に読んだ。
[父は私が初潮を迎えたとき、お赤飯を炊いてお祝いしてくれたの。嬉しかった。だから、私は父がいない事が辛いけど、この浴衣があれば生きていける]
私は想像していなかった単語に少し驚いてオーナーの顔を見つめた。個人情報保護法ってないのだろうか。リメイクと初潮とどんな関係があるのか戸惑いながら、でも先程の一字一句書き留める事を思い出した。
[仕上げたその浴衣は見せていただけないのですか? どんな風にリメイクされたか気 になります]
オーナーは小さく首を横にふり [ リメイクされたものは、依頼人だけのものですから、みどりさんの期待には答えられません] とキッパリ言う。
注文書を読むことの方が、よっぽどブライバシーの侵害ではないか。私は少し疑問を持ったが、確かにリメイクされた商品を初めに見るのは依頼主だろうと納得した。
そのあと、今までの注文書を読んでおくようにとオーナーに言われる。
エジプトの象形文字よりまだ読みやすかったが、一枚を30分くらいかけてじっくり読んだ。
妻から貰った財布に、不倫相手の下着の一部を分からないように縫い付ける。
バックにへそくりを隠せるように、二重底にする。
夫の背広に小型録音機を埋め込む。
どれも痴話喧嘩を発端とするリメイクの注文に私は少しガッカリした。
[生きるということはそういうことです]オーナーが私の肩を優しく叩く。
人間の全ての営みには喜怒哀楽、憎しみ怨み、殺意までもが詰まっているのか。
それともそうした全てを引き受けてオーナーの仕事が成り立つのか、真意は分からなかったが、明日の米の為と50過ぎの私は中途半端な正義感をかなぐり捨てた。
[明日は、午後3時に予約があります。昼過ぎからの出勤でいいですよ]
気がついたら、すでに退社時間の5時をまわっていた。スーパーの立ちっぱなしのレジ仕事とは比べ物にならない。給料泥棒にならないか
気になった。
[明日は受付初日です。かなり神経消耗しますから、睡眠をたくさん取ってください]
オーナーはいつも優しい。もしかしたらヤバ
イ仕事かもという不安を消してくれる。
作りおきしておいたカレーを温める。牛肉で作ったはずが、チキンだった。
エプロンのポケットからルビーを取り出した。赤く強く一瞬光った気がした。
頭がクラッとした。読めない字を見すぎた眼精疲労かな。
今まで経験したことのない疲れを感じて早めに就寝した。
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