第19話 北の谷の魔女は魔法が使えなくなったのです
グラナード王国、西北の港町ドミナ。
最初なぜ自分がここにいるのか、そもそもここがどこか、ミリアには分からなかった。
「う、うーん……」
瞳を開けると、記憶にない天井が目に映った。
頭がぼーっとしている。もともと寝起きはいい方ではないのだが、いつもに増してもやがかかっているような感覚だった。
まるでベッドに張り付いているかのように身体が重くて、いつものように軽く起き上がれない。
そしてようやくミリアは、目覚めるまでのことを思い出した。
だが不思議なことに、腹部の痛みは嘘のように消えていた。
ミリアはぼんやりとつぶやいた。
「……あぁ。どうやら生きているようですね……」
「先生! 起きたんですねっ。もう痛くないですか? 大丈夫ですかっ?」
「えっと……クレラちゃん?」
見覚えのある少女がいきなり部屋に飛び込んできて、ミリアの混乱がさらに深まってしまう。
なぜ彼女がここにいるのだろう。もしかすると、ここは彼女の住んでいるカナデ亭なのだろうか。そういえば、今着ている服も、血の付いた物ではなく、普段クレラが来ている服だった(そのためちょっと大きい)。
そんなミリアの疑問に気付いたクレラが、今までのことを説明する。
「ギャギャバーが家まで連れてきてくれたんですよ。先生、凄い怪我していて」
「ミネア様のお怪我はクレラ殿が魔法で癒してくださったのですぞ」
クレラの隣にはほうきが浮かんでいた。格さんである。
「えへへ……上手くったか分からないけど……」
「そんなことないのです。傷口もまったく痛まないです。クレラちゃん、ありがとう」
以前ちょっとした基礎は教えたとはいえ、クレラの成長ぶりにミリアは驚くとともにうれしく思った。
だが笑顔を見せるミリアとは対照的に、クレラは顔を曇らせる。
「それでその……聞きにくいんだけど、先生の怪我って、事故というより、誰かに傷つけられたもののように見えたんですけど……」
「まぁ……いろいろありまして……」
ミリアは珍しく言葉を濁した。
事情が事情だけに、クレラを巻き込みたくなかったのだ。
ミリアは何となく視線を逸らすと、向かいの机の上に水の入ったグラスがあるのが見えた。それを見た途端、のどに渇きを覚えたので、ミリアは魔法でそれを取ろうとする。
だが……
「……あら?」
「どうしたんですか?」
ミリアの様子に気付いたクレラが聞く。
だがミリアは質問の答えを保留し、もう一度確認のため水を取ろうとする。
結果は同じだった。
ミリアはこくりとうなずいて、クレラの質問に答えた。
「どうやら魔法が使えなくなったようです」
「ええーっ?」
☆☆☆
「まぁ、魔法が使えなくなっても特に問題はないのです」
衝撃発言からしばし間を開けて、ミリアが納得した表情でうんうんとうなずいた。
「あの……先生。問題ないって……?」
「はい。魔法が使えなくても、ちゃんと食べて眠れればそれで十分です」
ミリアは自信満々に断言した。
クレラはおずおずと尋ねた。
「あのー、魔法が使えないとレ・トルトも出来ないわけですから、うちとしてはお金をちゃんと払ってもらわないといけないと思うんですけど。そのお金はどうするんですか? 先生って、その……ちゃんと働けるの?」
「働きたくないのです」
「……恐れながら、ワシからも質問させていただきますが。ミリア様、魔法抜きで掃除や食事の準備は出来ますかな?」
「出来ないのです」
「……」
クレラと格さん顔を見合わせた。
お互い、ダメだこいつ、という表情である。――格さんに顔はないけど。
魔法で何でも出来たため、魔法が使えなくなったミリアは想像以上に、ぽんこつであった。
「あ、ミリアちゃん。もう起きて大丈夫?」
下からミリアたちの声が聞こえたのか、ヴィオも入ってきた。
「はい。クレラちゃんのおかげでもう大丈夫なのです」
「そうかい。それは良かった。わたしゃ、詳しい魔法のことなんて分からないけど、この子が役に立ったならそれで良かったよ」
ヴィオは目を細めた。
そして目的を思い出したかのようにぽんと手を打った。
「そうそう。ミリアちゃんの様子を見に来たのには理由があったのよ。何かね、最近荒野で北の魔女さんが頭領やっている盗賊団があるって噂でね。まぁ馬鹿なことやってて実害はないというか、むしろ盗賊団の人が町の酒場に来て愚痴っているみたいなんだけど」
クレラと格さんは、再び顔(一方はほうきだけど)を見合わせた。
「それって……?」
「ミリア様の名前を語った偽物かと」
「だよねぇ。わたしもびっくりしちゃってねぇ」
ミリアはその話を聞いても、どこか他人事のようにうなずいた。
「まぁ、私はここにいるので、別にいいのです」
「ええぇぇっ、駄目ですよ! ただでさえ北の魔女って異名で無駄に怖がられているのに。先生の名前を使って悪事を働かれたら、ますます恐れられちゃいますよ!」
「そうですじゃ! ワシも僭越ながら力になりますじゃ」
「ですが魔法も使えない今、盗賊団さんの所に行くのも大変なのです」
「大丈夫です! 先生を運んできてくれたギャギャバーがいるからっ。あたしが連れてっちゃいます」
どうやら、のんびりと静養できるような雰囲気ではなかった。
自信満々に胸を張るクレラを見て、またあの自由落下を体験するのかと思うと、すっかり治ったはずの傷口がまた痛く感じてきたミリアであった。
☆☆☆
ところ変わって、荒野の真ん中にある武装された砦。
普段はのんびりした時間の流れている砦だが、一人の客が来てから急にあわただしくなっていた。
「……兄貴。俺思うっすけど」
見張り台で空を見上げながら、下っ端団員のジャービスが、隣で寝ている先輩の男に話しかける。
「今来ている北の魔女なんっすけど、なんか雰囲気前と違わねぇっすか? 俺さっき、めっちゃ理不尽に怒鳴られたんっすけど」
「北の魔女が理不尽なのはいつもことだろ」
「そりゃそうっすね。けどなんか顔つきも違うような気が……」
「北の魔女って言うくらいだ。第二形態・第三形態があるんだろ」
「なるほど。さすが兄貴っす!」
ジャービスは納得して、空の警戒監視を再開した。
すると突然、視界の外から猛スピードでピンク色の物体が姿を見せて、砦の真上で急停止した。
「兄貴、あれ……」
「ああ。北の魔女がここにいるんだ。乗り物くらい勝手に来るだろ」
もはや言っていることがむちゃくちゃである。
だがそこからひょいっと顔を出した少女を見て、ジャービスたちは度肝を抜かれてしまった。
「あ、ジャービスの兄貴。お久しぶりです」
「げぇっ、き、北の魔女っ?」
「お、落ち着け。北の魔女だし、奥の部屋でふんぞり返っていながら、瞬間移動できるかもしれないし――」
「おぅ。今、女の声がしたぞ! ふはは。ようやく女を連れてきたか」
「あ――」
見張り台に続く階段の下から、顔を出したのは北の魔女だった。
「げぇっ、み、ミリアっ?」
「わぁっ。本当に先生が二人だ~」
魔物が化けたミリアが先ほどの団員と同じような反応を見せた。
ギャギャバーに乗ったままのクレラも偽ミリアを見て驚く。
だが当のミリアだけは、不満げな表情を見せながら、ギャギャバーから降りて、口を尖らす。
「いえ。私はこんなではなくて、もっと大人っぽい女性だと思うのです」
「いやいや、むしろこっちの方がまだ大人っぽいですよ。目つきとか」
「そうだそうだっ。俺だっててめぇのような格好より、もっと大人っぽい女性の方が好みなんだよっ」
「……あら? その口の悪さはもしかすると、ヒモさんですか?」
「うぐっ……」
あっさりとばれるヒモであった。
だが彼なりに必死に考えを巡らせる。
リボンに封じられて来た時のような、こいつに逆らってはヤバいという威圧感が感じられない。そもそも自分はどうしてリボンから解放されたのか。
そこから導き出される答えとは……
「おい。てめぇら! そこの魔女は偽物だ。魔法も使えねぇはずだ。さっさとやっちまえ!」
「あらあら。どうしましょう……」
魔法が使えなくなっていたことを思い出したミリアがさすがに戸惑う。
だが盗賊たちも、偽ミリア情報が本当なのかどうか戸惑ってなかなか行動に移せないでいた。
その様子をギャギャバーの上から覗いていたクレラも、同じように戸惑っていた。
「ど、どうしよう。そういえば先生魔法が使えないんだっけ……」
「クレラ殿がこっそり使ってみてはいかがかな?」
「無理むり。先生に、派手でぱーっとしたような攻撃的な魔法なんて教わっていないから」
格さんの助言に、クレラは首をぶんぶん横に振った。
「ならば、このギャギャバー殿を使ってはどうかな。確か『じゅうりょく』とやらを操れるとか……」
「あ、そっか。えっとそれじゃ……死なない程度にやっちゃってっ」
クレラが座っているギャギャバーにそうお願いした途端。
一瞬で、見張り台が崩壊した。
「……死ぬかと思ったのです」
「あはは……ごめんなさい。
見張り台のがれきの中から何とか抜け出したミリアに、クレラは笑いながら謝った。
死なない程度に、のお願いを受けてくれたのか、ジャービスたちも気を失っているが無事のようだ。
「お、重てぇぇ。人の身体じゃ無理だ」
ひもちゃんがミリアの姿から、本来の黒いもやの姿になった。
気体にも重力の影響はあるが、元の質量が小さいのでまだ楽なのだ。
そのまま宙に舞って逃げようとしたのだが、その前に現れたのは一枚の布切れだった。
「おっと。そうはいかないぜ。旦那」
「だ、誰だ。お前」
「おお。助さんが間に合ったようじゃな」
それは格さんの相棒で、同じように変に意思を持った「透けないスケベなストール」の助さんである。
「へっへっへ。ミリア殿の家にいるときから、ひそかにお前のことは狙ってたんだよ。なぁ、一つになろうぜ」
「や、やめろ! あっーっ!」
「えっ、せ、先生。何が起こってるの?」
「……クレラちゃんにはまだ早いのです」
クレラを目隠ししながら、ミリアは答えた。
こうして偽ミリアは消え、盗賊たちは魔法が使えなくなった本物にひれ伏すのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます