第18話 ヒモは魔女(偽)に変化する

 グラナード王国北部、岩と砂が広がる荒野の中に、ぽつんと建つ一軒の家。

 北の魔女ミリアの家に、今日も客が訪れていた。

 西部の町に拠点を置く商家の娘アルトリネと、御者兼護衛のクラフィナであった。


「ミリアちゃーん。コケミューのビスケットセット持ってきたよー。これで何か取り換えて―」


 ミリアと知り合ってからは、東との通商の帰りにはたいてい立ち寄るようになっていた。ミリアもそれを歓迎してくれているようではあるのだが、今日は珍しく家の中から反応がなかった。

 アルトリネは、相変わらず鍵のかかっていない玄関を開けてみた。

 やはり人の気配はない。


「あれー。また留守かなあ?」

「ふっ。どうやらさすがの北の魔女も、私の強さに恐れをなしたのでしょう」

「うーん。それはない」


 クラフィナの言葉をばっさり切ってアルトリネは中を探索する。

 さっきのは、クラフィナなりの冗談だったのだろうか。それならこの砂っぽい荒野に雨が降るくらい珍しい。

 ミリアちゃんには堅物のクラフィナもそうさせる何かがあるのかなぁ……留守だけど。

 なんてことを考えながら、居間に足を踏み入れようとしたら、玄関から物音がした。


「あ、帰ってきたかな」

「おーっほっほっほ。久しぶりね、北の魔女。いつかあなたが欲しがっていた茶葉を持ってきてあげましたわよ」

「あ、違った」


 アルトリネが様子を見に行くと、玄関に立っていた声の主は、細身で小柄なミリアとは似つかない巨体の女性だった。

 彼女の名はコルネット。彼女もやはりミリアの知り合いで、度々この家に訪れている人物である。

 だがアルトリネとコルネットは初対面であった。


「あら? この家にミリアさん以外がいらっしゃるのは珍しいですわね?」

「どうも。商人でーす」

「……どうも。考古学者ですわ」


 アルトリネの調子に思わず合わせるようにコルネットは答えた。


「そういえば表に馬車が止まっていましたわね。あなたのでしたのね」

「うん。考古学者さんはミリアちゃんのお知り合い? さすがミリアちゃん、貴族さんの友達もいるんだ」

「友達じゃありませんわ。わたくしの研究を妨害する宿敵のようなものです」


 コルネットはやたら距離の近いアルトリネに眉をひそめる。

 だがその一方で、自分が貴族であると一目で見抜いたアルトリネにそれなりの力量を感じていた。

 とそのとき、今度は奥の部屋から馬鹿笑いが聞こえてきた。


「ふはは。よく分からんが元の姿に戻れたぞ。これで俺様は自由だぁっ!」


 コルネットとアルトリネは顔を合わせると、声のした奥の部屋に向かった。

 物置と思われるごちゃついた部屋に、黒いもやのようなものが浮かんでいた。


「う。こいつは……」


 コルネットが顔をしかめる。

 以前北の谷で出会って、身体を操ってきたもやの魔物だ。

 あのときの屈辱が、頭に浮かぶ。

 一方、もやの魔物は姿を見せた女二人にさっそく反応を示した。


「ふはは。女だぁぁ」

「くせ者がっ」


 早速、身体を乗っ取ろうとアルトリネに向かってくる魔物。

 その間にすかさず入ってきたのがクラフィナだった。

 一瞬の早業で剣を一閃させた。


「ふ。この俺様にそのような攻撃が……って、うわっ。めっちゃ痛てぇぇ」

「あーそれ、特別な仕掛けが施されている剣だから。悪霊でも何でも切れちゃうよー」

「それを先に言えって!」

「……便利なものもありますのね」

「これはクラフィナのだから売れないけど、似たような物ならお取り寄せできるよー。どうする?」

「考えておきますわ」


 早速商売をしてきたアルトリネに苦笑しつつ、コルネットが答えた。

 アルトリネは無理に迫ることなく、天井付近をのたうち回っているもやの魔物に目を向けた。


「……で、これは何なのかなぁ? あまり売れそうにないけどー」

「北の谷にいた魔物の一種ですわ。人の身体に乗り移って操るみたいですわね。確かミリアによってリボンに封じ込められた、と聞いていましたが」

「へぇ。リボンに封じられていたんだ。それじゃ……ひもちゃん、でいい?」

「……お前ら人間は、変な名前を付けるのが趣味なのか」


 もやに表情は見えないが、どこか呆れた様子の声が返ってきた。


「確かにこの黒い煙からは強い魔力を感じます。お嬢さま」

「ふはは。そうだろ。ミリアの奴に無理やりリボンに封じられていたが、今はなぜかあいつの力がなくなった! よって俺様は自由だぁっ」

「……ミリアさんAの力がなくなった?」

「ふぅん。よくわかんないけど。そんなに強い魔力を持っているのなら、わざわざ人の身体を乗っ取らなくても、自力で人の形を取れないの? お化けみたいに」

「……な、何だと?」


 アルトリネの言葉に、魔物は聞き返す。

 そのようなこと試したことはなかった。だが何となく、今の自分ならそれも可能のような気がしてきた。


 早速魔物は、人のイメージを思浮かべ、もやを形どっていく。徐々にその黒いもやは人の形へと変化していき、身体の色も付いてきた。

 おお、とアルトリネとコルネットが声を上げた。

 そこには確かに、一人の少女が立っていた。


「ふはは。どうだ、これは。女の身体だ!」

 魔物が声を上げた。


「あ、ミリアちゃんだ。……でも、ちょっと偽物っぽい」

「なっ。う、よりによってこの女の姿なのか……」


 魔物ががくりと首を下げる。

 ミリアの姿にご丁寧に服までしっかりと再現しているが、その目つきはどことなく鋭く、アルトリネの指摘通りどことなく異なっていた。

 そうこうしていると、今度は表が騒がしくなってきた。

 耳を澄ましていたクラフィナが冷静に告げる。


「……お嬢様、どうやら賊のようです」

「えぇー。またー?」


 ミリアの家に来ると、いつものんびりとした時が過ごせるのに、今日はやたら忙しい。

 アルトリネは口を尖らせた。

 だがそんな彼女の事情はお構いなしに、外から男の大声が響いた。


「ふはは。ここが北の魔女のすみかか! だがあの男の情報では、魔女は留守と聞いている。よし、今までの恨みだ。言われた通り、すべてを奪い尽くすのだ!」

「ちっ? 男か。うるせーな」


 賊の性質を理解していないのか、ミリアの姿をしたひもちゃんが、無防備に表に出て姿を見せる。

 その瞬間、ミリアの家を取り囲んでいた賊たちに大きな動揺が走った。


「げげぇぇっ。き、北の魔女っ! な、なぜここにっ」

「そりゃ、ミリアちゃんの家だもん」


 賊の反応に危険性がないと判断したアルトリネが胸を張った。偽物だということはわざわざ知らせる必要はないだろう。


「し、失礼しました。あの男から北の魔女はもういないと……い、いえっ。そのミリア様がご留守になさっているとうかがっていたもので。もう、すぐにアジトに戻りますのでっ!」


 低身低頭の様子に気を良くしたのか、ミリアの姿をしたひもちゃんが高笑いしながら言った。


「ふはは。人間にこういう態度を取られるのも悪くないな。おい。お前ら、その場所には女もいるのか?」

「い、いえ。女はいませんが……も、もちろん、ご命令とあらばいくらでもさらってきますが。もちろん、そちらのミリア様のお友達以外で」

「はっはっは。よいぞよいぞ。よしっ。この俺様を、その場所へ案内しろ」

「ははーっ。おい、てめぇら、アジトに戻るぞ。ミリア様を丁重にご案内しろっ」

「へ、へいっ」


 こうして、偽ミリアと盗賊たちは砂埃を上げて荒野の果てへと消えていった。



「えーと。どうしようか?」

 各地で商売を行い百戦錬磨のアルトリネでもさすがにこの展開には戸惑っているようだ。


「あの元黒い煙の話では、北の魔女の力が消えたと言っておりましたが」

「盗賊たちも、誰かからミリアがここにいないことを伝えられていたみたいでしたわね」

「うーん。なんかきな臭くなってきたかなぁ」


 アルトリネは、少し考えて結論を出した。


「まだ日程的には余裕があるし、あたしはここでしばらくのんびりして、ミリアちゃんを待ってみようかなぁ。コロちゃんはどうするの?」

「コロちゃんじゃなくて、コルネット、ですわ。人を丸っこい生き物のように言わないでくださる?」


 この体型は数々の調査・冒険の過程で生まれた勲章みたいなものだが、やはり淑女として、少しは気にしているのだ。


「わたくしは北の谷に向かいますわ。もともと北の谷の研究がミリアさんと知り合ったきっかけですし。彼女が不在なら、かえって自由に調査できますわ」

「気を付けてねー。あ、そうだ。せっかくだから何か買っていく? 護身用に」


 早速商売してくる相手に、コルネットは苦笑した。

 だが嫌な予感がしたので、アルトリネの提案に小さくうなずいた。




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