第17話 東の森の魔道士は宿敵に勝利する


 グラナード王国の北東の海岸線を沿って西に進むと、やがて右手に大きな切り立った山脈が見えてくる。

 この山脈の中央に切り立った複雑な構造をした谷が存在する。

 グラナード王国の人間はそれを単純に、北の谷と呼んでいる。


「ふぅ……やっと見えてきたか」


 バルブリートは額の汗をぬぐう。

 馬車を雇っても良かったが、時間の短縮のため自らに魔法をかけてこの距離を走ってきたのだ。


「初めからこうすればよかったのだ。北の荒野を避けるように海沿いを進んだのは、別に北の魔女を避けるつもりではなく、東の森からの最短距離だからだ」


 ぶつぶつとひとり呟きながら、彼は谷の入り口に足を踏み入れた。

 荒野に巣食う盗賊どもにも金と嘘の情報を与え、北の魔女の家を留守だと騙して襲わせている。彼らにどうなる相手ではないが、多少の時間稼ぎにはなるだろう。


 どこまでも高く、そしてどこまでも深く続いていそうな谷間。複雑な岩場に、見たことのない植物が入り乱れていて、普段日の当たらない深い森の中で暮らしているバルブリードにとっても、歩きにくい地形であった。


「ここに、本当に北の魔女の秘密があるのか……?」

「まぁ、現地の人にあまり知られたくないってのは、事実だけどねぇ」

「誰だっ?」


 バルブリードは慌てて声の方向に振り返った。

 そこには小柄な少年が一人、ぽつんと立っていた。

 それなりに気を張っていたが、気配をまったく感じ取れなかった。いや、それどころか、今こうして対峙していても、気配が感じられない。


「僕? 僕は別に名乗るほどのものじゃないよ。ただちょっと、時間稼ぎに来ただけ、かな? いや前もそうだったけど、時間稼ぎというより退屈しのぎかな」

「……時間稼ぎ? 退屈しのぎ、だと?」

「うん。最近はずいぶんのんびりなんだよねぇ。最初の頃はしっかりと見張ってくれていたのに、このごろは谷の入り口からだいぶ離れた荒野の方に引っ越しちゃったし」


 少年の正体は不明だが、彼の言うところが、北の魔女のことをさしているのは、バルブリードにも何となく理解できた。


「なるほど。つまり貴様は北の魔女の仲間というわけか」

「仲間ねぇ。僕も向こうもそういう風には思っていない気もするけど。まぁすることは同じ。というか、僕が彼女にさせているんだけどね」

「……よく分からんが、貴様は北の魔女より上ということか? この俺様に勝てるとでも?」

「あはは。この場所じゃ無理だよ。さっき言ったように、ちょっと世間話をして、時間稼ぎというか退屈しのぎ? それに最近彼女が非協力的だから、もしよかったら……って思っていたんだけど。あ、ようやく来たようだよ」


 少年の視線の先に目を向けると、見覚えのある少女が岩場の間に立っていた。


「……ちっ。北の魔女か」

「お久しぶりです。確か東の森のバルブリードさんでしたっけ。北の谷にご用でしたら、ご案内しましょうか?」


 バルブリードは視線を元に戻す。

 そこに先ほどの少年の姿はなかった。


「さっきまでいた、あのガキは何者だ?」

「会ったのですか? そうですね。まぁ、昔からの知り合い、でしょうか」


 北の魔女は適当にはぐらかしてきた。

 彼の正体は気になったが、今は北の魔女と対峙する方が重要なので、バルブリードもそれ以上追求しなかった。


「……本来なら、この北の谷の秘密を握って力を得てから戦うつもりだったが、仕方ないな……」

「あまりこういうのは好まないのですが……まぁ私の方も食べ物の恨みもありますので」


 気迫で押したつもりだったが、ミリアが「食べ物」と口にした途端、逆に気迫で押し返されてしまった。

 それでもバルブリードはやけくそ気味に魔法を放つ。


「氷の刃よっ!」

 だがその刃はミリアに触れる前に止まってしまう。


「ぐぬぬ……っ」

 精一杯力を入れるが、びくともしない。

 単純な力比べでは、やはり分が悪い。

 だがその力比べで今まで敵を葬ってきたバルブリードにとって、戦い方はそれしかなかった。


「できれば大人しく帰っていただけると助かるのですが」

「くっ……やはりそれだけ、この谷には守るだけの価値があるのか?」

「ノーコメントです」

「貴様はこれからもずっと、ここを守り続けるのか?」

「それは……」


 特に意味も意図もなく、口から出た言葉だった。

 だがなぜか、はっきりと、北の魔女の力が弱まったのが感じられた。バルブリードは全力で押した。


 強力な力が、不意に抜けた。

 それは開かない扉を力一杯押していたとき、内側から開けられたかのような感覚だった。バルブリードはバランスを崩す。


 しまった、と思った。

 だが反撃は来ない。

 代わりに、風が吹き荒れる谷に、小さな声にならない悲鳴が微かに響いた。


 バルブリートが放った氷の刃がミリアの腹部に深く突き刺さっていた。

 うつ伏せに倒れた華奢な身体の脇から、真っ赤な鮮血が広がっていく。


「こ、これは……」


 バルブリートが後ずさる。

 人を殺したことは一度ではない。仕事でもそれ以外でも幾度か魔法によって殺めている。そもそもこの谷に来たのも、北の魔女を殺すための方法を探るためだった。

 それにも関わらず、バルブリードは戸惑ってしまった。

 まさか相手の弱点や力の源を探る前に、倒してしまうとは。勝つつもりだったのに、勝ってしまった、という思いの方が強かった。


「は、はは……ふははは……。やはり俺様は最強だったのだ。もう用はないがせっかくだ。北の谷をじっくりと調べさせてもらうぞ」


 その思いを誤魔化すようにバルブリードは大きく笑うと、ミリアの生死を確認することなく、どこか怯えて逃げるように北の谷の奥へと向かった。


 だがしばらくして、その足が止まった。

 進む先に、また例の少年が姿を現したからだ。


「また貴様か……」

「ふぅん。ミリアを倒しちゃったんだ。どうしよう。困ったなぁ。これじゃ目的を果たせないよ」

「……だとしたら、俺をどうするつもりだ?」


 バルブリードは身を構える。

 仲間を殺されたというのに、少年からは焦りも怒りも悲しみも感じられない。

 だが困ったと言っているくらいだ。不都合な点はあるのだろう。そしてその原因を作ったのは、バルブリードである。


「まぁまぁそんな警戒しなくても。これは実態じゃないから。ここだと僕が君に危害を加えることもできないし、その逆もしかりってね。僕が来たのは提案のため。ミリアを倒せるくらいだから、君も凄い魔法が使えるんでしょ。だったらミリアの代わりに、君が協力してくれないかな」

「協力だと?」

「うん。もしOKなら、ミリアと同じように君にも知識と力をあげるけど。どう?」


 少年の提案に、バルブリードは小さく唸った。

 予定外の展開だ。

 だが北の魔女の力の源がこいつだとしたら、それはむしろ望んだ展開である。

 はっきりと怪しいが、力さえ手に入れれば、こいつも殺せばいいだけだ。


「……いいだろう」

「うん。いい返事だね。それじゃ案内するよ。僕たちの家に」


 少年はそう言うと、バルブリードを誘うように、谷の奥へと歩き出した。




  ☆☆☆




「ふん、ふんふーん♪」


 北の谷から西にだいぶ離れた港町ドミナ。

 その下町でひっそりと営業している料理屋「カナデ亭」の裏庭で、そこの一人娘であるクレラは、鼻歌を歌いながら、たまったごみを魔法で積み上げていた。

 家の手伝いも兼ねた魔法の練習である。相変わらず自分で動いたほうが楽な気もするが、最近では鼻歌を歌いながらも、魔法を操る余裕も出てきたような気がする。

 もっとも、主に庭の落ち葉を集めているのはクレラではなく、勝手に動き回るほうきであった。


「クレラ殿、だいたい終わりましたぞ」

「ありがとう。格さん」


 庭を動き回るほうきに向けて、クレラは礼を言った。

 ミリア先生が持ってきてくれた「喋って勝手に動くほうき」である。


「ほっほっほ。何のなんの。ミリア様の屋敷は小さくてあまりゴミも出なかったので、掃除のやり甲斐がなくて困っておったので、こっちも渡りに船じゃよ」

「へぇ。先生のお家かぁ。あたしも一度行ってみたいなぁ」


 そんなことを話しながらごみをまとめていると、不意に陽の光が陰った。

 頭上を見上げると、いつの間にかピンク色の球体が浮かんでいた。


「あれ? ギャギャバーだ」


 ミリア先生が来たのだろうか。ギャギャバーがいつもより速いスピードで地面まで降りてきた。

 けれど乗っているはずのミリアが、いつもと違って飛び降りてこない。

 もしかして寝ているのかな、と思ったクレラが覗き込むと、案の定、ミリアはギャギャバーの中で横になっていた。


「……え? せ、先生っ?」


 ミリアらしいと思ったけれど、どうも様子がおかしい。

 もともと色白な顔が、さらに白く、土色に近くなっていた。

 腹部からスカートにかけて、時間がたって固まったと思われる、どす黒い血の跡が残っていた。


「おおっ。こりゃいかん! クレア殿、早く医者にっ!」

「い、医者と言っても……近くにいるのは病気専門の人で、こんな怪我は……」


 クレラは戸惑いつつ答えた。

 とにかく最低でも応急処置を……と考えて、不意にミリアに教わった治療のことを思い出した。

 自信はないけれど、やるしかない。


「ちょっと待って。先生に教わった教科書もあるから、やってみる!」


 クレラはミリアを救うため、教科書を求め急いで家の中に戻っていった。


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