第16話 下っ端は家出してきた北の魔女の世話をする
遮る物がほとんどない、グラナード王国北部に広がる荒野のど真ん中。
この地ではほぼ毎日のように強風が吹き荒れていた。
「ったく、今日も風がつえぇなぁ……」
頬に当たる砂埃を忌々しく受け止めながら、ジャービスはグチを漏らした。
ここは、とある盗賊団のアジトである。
いわゆるゴロツキだったジャービスは一攫千金を夢見て、つい最近この盗賊団に入った新入りである。
何にもない荒野だが、大陸にある東西の都市を絶え間なく商人団が行き来しているため、彼らから「通行料」を徴収したり、逆に護衛を務めて依頼料をいただいたりして、実入りは悪くない。また新興の同業者が現れたら、そこがある程度潤うのを待ってから潰しに行くのも大切な仕事である。
だが大抵の場合は特に何もすることなく、砦でだらだらとするくらいである。
そんな中、新入りのジャービスが命じられたのは砦の掃除と、見張り台に立って、空を見上げることだった。
「兄貴。これって、何を見張ってるっすか?」
「新入りは黙って言われたことをしてれば良いんだよ。とにかく、ピンク色の物体が浮かんでいるのが見えたら、大声で俺たちに知らせろ。それだけだ。いいなっ」
「へ、へい」
こんなやくざな職業でも先輩の言うことは絶対だ。
ジャービスは言われたとおり、空を見上げる。
ぽつぽつと浮かぶ雲の白さが際立つほどの青空だ。
ていうか、空に浮かぶピンク色の物体とはいったいなんだろう。だが兄貴だけじゃなく盗賊団の皆がそれを恐れているのは確かのようだ。
首が痛くなってジャービスは視線を下に向けた。
「ん……?」
砦の外に広がる荒野に人影が見えた。偵察に赴いた仲間ではない。小柄な女性だった。しかもたった一人である。荒野を旅するにはどう見ても不釣り合いなゆったりとしたスカート姿の彼女は、ためらう様子もなく、まっすぐ砦に向かってきている。
ジャービスは少し迷った末に、横で寝ている兄貴を起こして報告した。
「すいません、兄貴。あれ……」
「ちっ。なんだよ、気持ちよく寝てるところを起こし……」
兄貴は舌打ちしつつもジャービスの指さす人物に目を向ける。
そして一気にその顔が青くなった。
「なっ、き、北の魔女じゃねーかっ。おい! 俺はお頭に報告してくる。お前は何とかして、あれを押さえていろ」
「へ、へいっ」
逃げるようにお頭がいる奥の部屋に走っていく兄貴の言葉に、ジャービスは反射的に返事をした。
北の魔女。
その通り名はジャービスも耳にしていた。
だがその容姿が、まるで少女のような姿だとは知らなかった。
兄貴が嘘をついているようにも見えず、ジャービスは戸惑いつつも正門に向かう。
砦の門は、獣除けや不意の襲撃に備えて、普段は閉められている。
見張りはジャービスたちが兼ねているので、置いていない。
さてどうするべきかと、ジャービスが考えながら門に近づいた瞬間、その門は跡形もなく、爆発した。
あまりのことに呆然としているジャービスの目の前に、もくもくと上がる煙の中から、一人の少女――北の魔女が姿を見せた。
通り名からは想像できないほど、可愛らしく整った口を動かして、彼女は言った。
「家出してきたのです」
「……は?」
☆☆☆
堂々と正門をぶっ壊して侵入した北の魔女は、お頭の命で丁重に扱われて、奥の部屋へと連れられた。
ジャービスも流れでついてきてしまったが、幹部たちが居並ぶ部屋に紛れ込んでしまって、さすがに居心地は悪かった。
それに比べ、北の魔女は平然としていて、最初に顔を合わせたときとほとんど変わらない。むしろお頭を含めた幹部たちの方が、明らかに動揺していた。
「そ、それで。魔女様がどのようなご用事で……」
お頭が恐る恐る聞き出した。
「家出してきました」
「……は?」
「家出したのです。泊まるところがないのでここに来ました」
「はぁ……」
頭領は混乱していた。
何かの意図があるのだろうか?
北の魔女がその気なら、下手な芝居や策略を打つまでもなく、遠距離から魔法で爆発させればいいだけである。
ならば自分たちを滅ぼす以外の目的があるのか。
お頭の頭脳は、その意図を探れるほど有能ではなかった。
だが北の魔女とつき合ってきて、彼女が気まぐれなのは分かってきていた。
「おい、そこのお前」
「へ、へいっ」
声をかけられたジャービスが慌てて返事する。
「ミリア様のお世話を任した!」
「……は?」
結局、お頭がとった行動は、他人に振ることだった。
頭の命令は絶対だがこの時ばかりは、ジャービスは口をあんぐり開けたまま固まってしまった。
☆☆☆
無茶ぶりでもお頭の命令に逆らえるわけもなく、ジャービスは追い出されるように部屋を追われてしまった。
その後ろを、親鳥の後をひょこひょこついて行く雛鳥のように、北の魔女が付いてくる。
「ジャービスの兄貴、私は何をすればよろしいでしょうか!」
「え、えーと……」
「できれば働きたくないのですが、居候の身。お手伝いくらいはさせていただきます!」
ジャービスは戸惑った。
命令することに慣れていないし、そもそも下っ端なのでやらせる仕事がないのだ。
「とりあえず、奥の部屋の掃除でもしてもらえますか?」
「了解ですっ」
ジャービスの口調がお頭の影響で丁寧語になってしまうが、北の魔女は気にした様子もなく、びしっと言って奥の部屋に入る。
ぽんと、バケツが現れ、続いて水、雑巾がどこからともなく出現する。
ミリアがすっと腕を動かすと、それに合わせるように水気を絞られた雑巾が浮かび上がって部屋を掃除していく。
素人でもすごい魔法だと分かる。
もっともミリアの掃除の仕方は、典型的な「四角い部屋を丸く掃く」状態だったが、盗賊だし掃除なんて適当でいいので、これで十分だろう。
「さぁ、次は何をしますか、ジャービスの兄貴」
「え、えっと……それじゃ、中庭の掃除を」
「へいっ」
ミリアはびしっと言ってすたすたと中庭へ向かった。
だがジャービスも、お頭に彼女を見張るように言われているので、彼女だけ行かせるわけにはいかず、後に付いていった。
ミリアが先ほどと同じ要領で掃除をしている。屋外なので雑巾が竹ぼうきに変わっているくらいである。
その姿を遠巻きに盗賊たちが恐る恐る眺めている。
その中には、お頭の姿もあった。
「どうだ? 北の魔女に変わりはないか?」
「へ、へい。まじめに言うこと聞いて掃除してくれてますが」
「そうか。とにかく気が済むようにやらせて、丁重に帰ってもらえ」
「いっそこと、隙を突いて殺っちまいますか?」
「アホかっ。北の魔女様に関わるとろくなことがないんだ。っておい、ミリア様が呼んでいるぞ」
「へ、へい」
掃除を終えたミリアがジャービスの姿を見つけて手を振っていた。
ジャービスはお頭の無言の圧力を受け、ダッシュでミリアの元に駆け寄った。
「掃除終わりました! 次は何をしましょうか?」
「えーと……少し休憩しましょうか」
「へいっ」
ジャービスを真似るようにミリアはびしっと返事した。
休憩と言われたからか、ミリアは立ったままだが、どこか緩んだぽわぽわとした感じになった。その姿を見る限り、お頭がここまで恐れる人物とは、ジャービスには思えなかった。
とはいえ、お頭の命令なので気分良く扱わなくてはならない。
黙ったまま立っていると、居づらくなってしまったので、ジャービスはミリアに話しかけてみた。
「ところで、何で家出してきたっすか?」
「けんかしたのです。それで家を飛び出したのです」
ミリアは言いよどむこともなく、どこか拗ねた様子で答えた。
「けんか、っすか? 仲直りしたらどうっすか?」
そうしたらお帰り願えるっすけどねぇ、というのがジャービスの素直な気持ちだ。
「仲直り、ですか?」
「けんかの理由は分かりませんが、後から考えるとけっこうくだらないことだって気づくもんっすよ」
ジャービスがこの道に入ったのも、親兄弟とのくだらない些細な言い争いがきっかけだった。後悔はしていないが、もしあれがなかったら、素直に仲直りしていたら、今頃違った道を歩んでいたかもしれない。
「そうですね。はい。頑張ってみます」
ミリアが答えてしばらくする、大きな地鳴りが当たりにこだました。
何事かとジャービスが戸惑っていると、砦内の空き地の地面を突き破るように、いきなり巨大な魔物が姿を見せた。
それは巨大な蛇のような魔物で、くねくねと地面から動く姿は、ドラゴンとも思われた。
「な、なんだっ?」
「ビパッップーなのです」
「……は?」
大蛇が開けた大穴からくねくねと身体を動かす。
その度に砦の一部を壊していく。
だがミリアは恐れた様子もなく、てくてくと歩み寄る。
「シャァァァッァッッアアッッ!」
大蛇が威嚇するように大声を上げた。
ミリアはぱぁっと顔を輝かせた。
「そうですか。それは良かったのです」
「シャァァギャァッァァァアァァッ!」
「分かりました。ありがとうございます」
「あ、あの……ミリア様、アレと会話しているのですか?」
「はい。そうなのです」
「で……なんと?」
「実は最近私の家を引っ越ししたのですが、どうやら引っ越した家の場所が、ビパッップーの巣穴の真上で、巣穴の入り口を塞いでしまったみたいでして」
「……はぁ」
「それに怒って、ずぅぅっとグチグチ家の真下から愚痴を言ってくるビパッップーがうるさくて家出してきたのです」
……そりゃ、あの蛇も怒るよなぁ。
盗賊の間にそのような空気が流れる。
もちろん北の魔女様にツッコミを入れる剛の者は誰もいないが。
「けど、こうやって別の出入り口を作ったので、もう良いって言ってくれました」
「で、出入り口って……」
「シギャァァァァアアァァッッ!」
大蛇が暴れ回る。砦の櫓が崩れて、下っ端の何人かが吹っ飛んだ。
唖然とする盗賊たちを後目に、ミリアが満面の笑みを浮かべた。
「というわけで、わたしはお家に帰るのです。お世話になりました」
ミリアはぺこりと丁寧に頭を下げると、すたすたと正門を出て荒野へと姿を消してしまった。
「シヤァギャァァッッアァァァッッ!」
「……お頭、どうします?」
「引っ越しだ」
北の魔女に関わるとろくなことがない。
お頭の言葉を、ジャービスも理解した。
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