第14話 北の魔女は恋愛相談を受ける


 グラナード王国の南部に位置する都市パヤノ。

 首都に近く、西海岸の港町との中継点として大きく発達したこの町では、人も物も大量にあふれ、季節問わず活気が絶えない。

 この町では、田舎では見られないような学術書も広く出回っており、学問を志す者にとっても魅力的な町だった。

 街はずれにある古書店にもそのような本は多数置かれていて、貧乏学者であるデュランにとっては宝の山であった。



「こんにちは、何か良いもの入りました?」

「お、デュラン君、いいところに」


 デュランがいつものように、行きつけの書店の店主に声をかけた。

 すると待ってましたとばかりに、店主は机の引き出しから一つの書籍を取り出した。


「これなんかどうだい? 異国の書物だよ。お得意さんがトパングの商店で買ったんだけど、やっぱり読めないからいらないって、うちに売ってくれたんだ。確かにどこの言葉か、何が書かれているのか、意味もさっぱりだけど、学者さんには興味深いんじゃないか? ほら、紙質もいいだろ」


「そうですね。ちょっと中を見て良いですか?」

「おう。じっくり見てやってくれ」


 デュランは店主から本を受け取った。ずっしり重い。

 表紙を開いてみると、店主の言うとおり、デュランが見たことのない言語が並んでいた。挿し絵はないが、所々に図形が描かれている。


「へぇ……興味深いですね。一つの文に複数の言語、文体を使用しているみたいです。このような文字の文化は初めてですね」

「お、さすが学者さん、一見しただけでそこまで分かるのかい」

「いえ、それほどでも。それによく見ると、表紙に鍋で敷かれたような文様が見えますよね。これも何かの意味があるのかもしれません」


 ほう、と店主が感心した様子でうなずく。

 その反応に気を良くしたというわけでもないが、デュランはその本に興味をひかれたので、懐から財布を取りだした。


「これ、買いますよ。いくらですか?」

「おお。そうこなくちゃ。どうせ他のお客には売り物にならないんだし、安くしておくよ」

「ちょっとお父さん! またデュランにがらくたを押しつけて!」

「マティーヌ?」


 店の奥から、若い女性の声が響いた。

 店主が「やれやれ」という視線をデュランに向けてきた。

 デュランもそれに合わせたが、内心は違った。

 やがて顔を出したのは、黒い艶やかな髪の毛を首元で一本に縛った勝気な釣り目が印象的な女性だった。

 ここの古書店の一人娘、マティーヌである。


「やぁ、マティーヌ。今日は店の手伝いしていたんだね」

「今日はこっちなの。そんなことより、デュランもデュランよ。こんな変な物ばっかり集めているから、いつまでたっても貧乏なんだからねっ!」


 マティーヌがぷいっと顔をそむける。いつもの仕草だ。

 彼女はデュランの幼なじみでもあった。

 実は最近、デュランの中でマティーヌが何かと気になる存在になってきて、彼女と顔を合わせる口実に、この古書店に寄る回数も増えてきていたりする。


「ははは。大丈夫だよ。だいぶ安くしてもらうから」

「おいおい。それじゃ俺が損するだけじゃねぇか」


 そんな感じでいつものように会話を交わして、デュランは店を出た。

 異国の本は、通常の学術書に比べ、かなり安く手に入れることができた。



  ☆☆☆



「なるほど……結局、何がなんだかさっぱりだけれど、やはり興味深いなぁ」


 翌日。

 デュランは一日かけて、例の本を一通り目に通してみた。

 分かったことは、この本で使われている言語が、やはり現在この世界で使われている言語ではないことだった。

 そのため本の内容はまだ分からないが、おそらく小説の類ではなく学術書のようなものなのだろうと思われる。挿絵にある図からすると、何かの設計図のようなものだろうか。


「教授に見せたらどう反応するかなぁ。でもあの人頭堅いし、誰かがいたずらで適当に書いた物って言いそうだけど……」


 なんて独りごちていると、家の呼び鈴が鳴った。

 特に約束もしておらず、誰だろうと出てみる。

 するとそこには、大きなリボンを頭に着けた、髪の長い少女が立っていた。


「こんにちは。デュランさんですね。ちょっとよろしいでしょうか?」


 少女は自分のことを知っているようだ。

 背格好と容姿から、講師をしている学校の生徒かと思ったが、見覚えはなかった。幼めな見た目に反して、雰囲気からすると、もっと年上にも見える不思議な女性だった。


「はい。そうですが、何のご用でしょうか?」

「先日、カリウム通りの古本屋で奇妙な本を購入されたとお聞きしました。厚かましいお願いですが、それを譲ってほしいのです」

「ほぅ。それはそれは……」


 デュランは驚きを隠せなかった。

 まさか昨日買ったばかりの本について尋ねられるとは思わなかった。

 おおかた店主がデュランのことを教えたのだろうけれど、客のことをほいほい教えるのはいかがなものだろう。


「あれは、あなたの本だったのですか?」

「……いえ。私のではなく、正確には知人の本です」

「その知人の方は?」

「もうだいぶ前に亡くなりました」

「それはそれは……失礼しました。では、大切な形見ということでしょうか」


 デュランがそう尋ねると、少女は少し考えた様子をみせてから首を横に振った。


「いえ。別にそこまで大切というわけではないのです。鍋敷きに使っていたくらいなので」

「鍋敷き……?」

「はい。けれど最近料理の道を諦めたため、鍋敷きとしても使わなくなってガラクタと一緒にしておいたら、誤ってアルトリネさんとのお菓子交換セットの中に紛れ込んでしまったのです」

「……はぁ」


 よく分からない話である。

 少女がこの本をとても大切にしているようには思えないが、わざわざつてを頼って自分の元までやって来たくらいである。

 もしかすると、高価なものなのか。

 それにしては鍋敷きに使用していたようだけれど。


「譲って欲しいとのことですが、いくらでですか?」


 デュランは貧乏学者である。この本は興味深いが研究には金も時間もかかる。もしある程度の金になるなら、売ってしまっても問題ないし、その方が有り難い。


「お金は必要最小限しか持っていませんので、できれば物々交換でお願いしたいのです」

「ほう。この本と同じくらい興味深いものなら歓迎しますよ」

「では、このお喋りで口が悪いリボンはいかがでしょうか?」


 少女が黒髪に付けているリボンを指さす。

 すると突然、男の怒声が響いた。


「――って、おいこら、てめぇっ。そのために俺を連れて来やがったのか」


 デュランは目を丸くした。

 姿はどこにも見えない。

 だがその声は、少女の言う通り頭のリボンから声が聞こえたような気がした。


「これ、本当にリボンが喋っているんですか?」

「はいです」


 さすがに初対面の女性の髪の毛に触れることが出来ないため、遠目にリボンを観察する。

 シルクだろうか。どこにでもあるふつうの素材だ。虫の鳴き声は羽を擦りあわせて発生させていると聞くが、ここまでしっかりとした意志のある声が摩擦で出せるだろうか。


「だとしたら非常に興味深いのですが。……しかし男のくせに女性物のリボンをいじくっていたら、またマティーヌに馬鹿にされそうですね」

「ん? マティーヌってのは女か?」


 リボンと思われる男の声が、女性名に敏感に反応して聞いてきた。

 会話も可能のようで、ますます興味深いものではある。


「ええ。まぁ」

「でしたら、そのマティーヌさんにプレゼントしたらどうでしょう?」

「えっと。それは……」


 ぽんと手を打って言ってきた少女の提案に、デュランはさすがに戸惑った。

 ついマティーヌの名が出てしまったのも、彼女がいつも後ろ髪を縛っているのに、このリボンが似合いそうだと思ったからだ。


 だが、こんな奇妙な物を渡して大丈夫だろうか。

 そう言った意味でうつむいて考えてしまったのだが、デュランの反応にリボンは勘違いしたように言った。


「おうおう。照れちゃって、お、さてはてめぇ。その女に惚れてるな? よし、この俺様がその女との仲を取り持ってやろうか?」

「なるほど。マティーヌさんの心と本とで物々交換ですねっ」

「あの、その……」

「おう。てなわけで、まずは愛しの彼女のことを教えろや」

「はいです。お仕事は嫌ですが、恋愛沙汰には興味があるお年頃なのですっ」

「てめぇの実年齢って、そんなに可愛らしいお年頃かよ――って、痛てぇ、引っ張るなっ」

「えーと……」


 デュランは戸惑いつつも、結局リボンと少女の勢いに押され、マティーヌのことを説明してしまった。

 何が出来るとは思っていなかった。子供のお遊びにつき合っている感覚だ。

 だがその一方で、何だかんだで、惚れているという部分については否定できなかったからでもあった。



  ☆☆☆



 マティーヌは父親の経営している古本屋ではなく、普段は近所の雑貨屋で働いている。接客態度はよく、そこそこ評判のいわゆる看板娘であった。


 ある日。店の前の道路を掃除しているマティーヌに向けて、一人の少女が話しかけてきた。


「あの、マティーヌさんでしょうか?」

「え?」


 商品のことを聞かれるのは商売柄、日常茶飯事だ。だがお客に直接自分のことを尋ねられたのは初めてだった。

 尋ねてきたのは綺麗なストレートの黒髪に赤い大きなリボンを付けた華奢な少女だった。

 不思議な印象の持ち主だった。見た目は十代半ばで自分より明らかに若いと言うより幼いのだが、どこか達観した様子を見せており、同年代かそれ以上の相手と対峙している感覚もあった。


「そう、ですけど」

 マティーヌは少し警戒して答える。

 少女はうーんと考える仕草を見せると、物騒な独り言を漏らした。


「困りました。人の心を操るのは難しいのですけどね」

「って、おいこらっ。いきなり魔法で操るつもりかっ」


 少女の独り言に、何者かがつっこみを入れる。

 マティーヌは辺りを見回した。町中なので人の行き来はあるが、声の主である男性は見当たらない。


「では、単刀直入に言いましょう。デュランさんの……」

「待て、こらぁっ」

「きゃぁっ、い、痛いのですっ、やぁぁっ」


 少女がなぜか誰もいないにもかかわらず、後ろから髪を引っ張られるようにして、雑貨店の前から去っていった。

 人混みに消えていく少女を見ながら、マティーヌはぽつりと言った。


「何だったの。今の?」

 マティーヌの問いかけに答える者は誰もいなかった。



  ☆☆☆



「やっぱりギャギャバーの中に押し込んでおけば良かったのです」


 後ろ首と髪の毛を手で押さえながら、ミリアは頬を膨らませた。

 その言葉に、頭のリボン――ヒモが嫌そうに答える。


「うげ。それはやめろって。あの中はマジやばいんだからなっ」

「私も最近、あれを食べ過ぎるとお腹を壊すことが分かりました」

「……食うなよ」


「大体なぁ。微妙な恋愛事にストレートにつっこむ奴が悪いんだよ」

「じゃあ、あなたはどうしますか?」

「そりゃ簡単さ。このリボンからあの女の身体に乗り移って、身も心もあの男にぞっこんにしてやるんだよ。へっへっへ」


 ミリアは、はぁっとため息をついた。


「そう強引なのはよくないと思うのです」

「最初に魔法で操ろうとしたのは誰だよっ!」


 ヒモのつっこみをミリアはさりげなくスルーした。


「やはり恋の橋渡しは、私には高難度の任務でした」

「自分が恋愛音痴っていう自覚はあるんだな」

「これなら、問答無用にあの本を奪っておけばよかったです」

「――おいっ。その台詞はふつー、俺が言うべきだろっ」

「冗談です。いい返事が返ってくるので、つい言ってしまいました」


 ヒモのつっこみにミリアはくすりと笑った。

 普段一人で暮らしているので、こういうやりとりはミリアにとって新鮮だった。

 その境遇を知ってか知らずか、ヒモはため息をつくように間を空けてから、


「ったく。あの女のことを調べるぞ。俺様に任せておけ!」

「はいなのですっ」



  ☆☆☆



「ああ。リボンで腹話術する可愛い女の子だろ。すげぇよな。あんな可愛いのに男の声を出すんだから」

「腹話術なのかしら、あれ?」


 父親の言葉にマティーヌは首を傾げた。

 ここ数日、その腹話術の少女は、最近マティーヌの勤務先に現れては、デュランのことばかり話して去っていくという、謎の行動をして、マティーヌを困らせていた。


「何でも最近は、デュランの所にも出入りしているみたいだぜ」

「デュランの?」


 一体、デュランとどのような関係なんだろうか。

 あれだけ話題にするのだから、彼の家に出入りしていてもおかしくないのだが、マティーヌの心がどこかざわめいた。

 同性から見ても、彼女の容姿が優れていることは理解している。


「まぁあれだな。下手すると先を越されて、既成事実を作られてしまうかもよ。はっはっは」

「は? 何言ってるの。馬鹿じゃないの」


 父親の言葉を一蹴したマティーヌだったが、どこか不安があった。

 勉強馬鹿のデュランのことである。もし間違って彼女に惚れてしまったら……と思うと急に心がざわめいてきた。


「マティーヌさん」

「あ……ミリアちゃん、いらっしゃい」


 ここ数日すっかり顔見知りになった少女に、マティーヌは慌てて笑顔を向ける。

 少女はいつものようにデュランのことを話すことなく、小さく頭を下げた。


「ここ数日お騒がせしました。もう宿代もなくなるので帰ることにしました」

「そ、そう?」

「はい。そこで今夜、デュランさんのお宅にお邪魔して、盗んで行きますので」

「えっ――? ぬ、盗むって……?」


 あっけに取られていたマティーヌが気づいたときには、少女の姿は消えていた。



  ☆☆☆



「ったく、なんでわざわざあの女に言いに行ったんだよ?」

「結局ひもが役に立たなくて、デュランさんの家に忍び込んで本を盗めと言うので、せめてもと、怪盗風に犯行予告をしたのです」


 すっかり日の落ちた深夜。

 眠たい眼を手で擦りながら、ミリアは不満げに口をとがらせた。

 彼女は今、こっそりとデュラン宅の裏手に潜んでいた。

 町の中心部はガス灯で夜も灯りがともされているが、この辺りは人が寝静まったらそれも消されて、闇だけが広がっている。


「いいか? 結局何を言ってもうまくいかなかったが、それはあの本があるからいけないんだよ。本じゃなくてあたしを見て、ってな。だから本を奪っちまえばいいのさ」

「……本当ですか?」

「はぁ。めんどくせーし。とっとと目的の物手にしてとんずらするのが一番だぜ」

「……何か言いましたか?」


 ヒモの本心が聞こえた気がしたが、すでにミリアは魔法で扉を開け、忍び足でデュランの家に入り込んでいた。

 彼は寝ている。

 ミリアはすっと手を掲げて、うっすらとした魔法の明かりを灯す。

 薄暗い部屋を見回すと、デュランが寝ているベッドの脇に例の本が置いてあった。


「そこまでよっ!」


 声が響いて、ミリアは振り返った。 

 ばんと、扉を開けて堂々と入ってきたのは、見覚えのある女性、マティーヌだった。

 この騒ぎにデュランもさすがに目を覚ます。

 とはいえ、寝ぼけた状態でなにがなんだか分からない。


「父さんや雑貨店の店長から聞いているのよ。あなたがデュランのことを狙っているって。寝込みを襲ってデュランを奪い、既成事実を作りにきたのね! そうはさせないんだからっ」


 ミリアが不敵に笑う。


「――だとしたら、どうするのですか?」

「あんたなんかに、デュランは渡さないんだからっ!」


 マティーヌは側の本棚から分厚い辞書を取り出して構えると、それをミリアの頭めがけて振り下ろした。ミリアは避けるそぶりを見せない。

 手ごたえはあった。

 鈍い音とともに、辞書の角がミリアの頭に直撃する。

 ばたりとミリアが床に倒れた。

 

「えーと、これは……?」

「デュラン、大丈夫? あの女に、変なことされてないっ?」


 ほとんど抱きついてこんばかりのマティーヌの様子を見て、さすがのデュランも気づいた。

 もし一方的に彼女に告白して、微妙な関係になってしまったら……という自分の心配が、杞憂であることに。

 あとは、自分が勇気を出すだけだと。


 ふと薄暗い部屋内を見回すと、倒れていた例の少女の姿が消えていた。

 机の上に置いてあった例の本とともに。


 ありがとうございます、とデュランは心の中でつぶやくと、マティーヌに向き合って、その瞳をじっと見つめた。


「マティーヌ、実は――」



  ☆☆☆



「うう。痛かったのです」


 ふわふわとギャギャバーに乗ってパヤノの町の夜景を見下ろしながら、ミリアは後頭部をさすった。


「痛かったのは俺だ! てめぇわざと避けなかっただろっ」

「適当なことを言ったお返しなのです」


 変な魔力が込められたリボンのおかげか、分厚い辞書で殴られても、たんこぶにならないですんだようだ。


「それにしても結局両思いだったのですね。マティーヌさんの様子を見て、さすがの私も気づきました」

「へっへっへ。俺様は気づいていたから、あえて本を盗みに行けって言ったんだよ」

「おおっ。さすがです!」

「――ま、偶然だけどな」


 ミリアは髪に付けていたリボンを抜くと、腰掛けているピンク色の物体の中に押し付けた。 


「って、おい、やめっ」

「まぁ結果オーライですが、デュランさんの希望が叶ったので、許してあげましょう」


 というわけで、そのままにしてあげた。

 代わりに、例の本を開けてみる。読みたいとも思わない、彼女にとってはもう必要でもない書籍。


「こんな物燃やしてしまってもいいのですが、本に罪はないですからねぇ。いちおう真面目に働いているところを見せないと、あとで彼に文句言われそうですし」

「今回は、てめぇが間違って売り払ってしまったせいだけどな」

「どうせならこんな学術書で勉強するのではなく、恋愛は奥の深さを知ったので、たまには恋愛小説でも読んでみましょうか」

「けっ。似合わないことは止めとけって」


 ――ミリアは黙って、リボンをギャギャバーの中に突っ込んだ。




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