第4話 考古学者は北の谷を探検したい

 グラナード王国の北端。巨大な二つの峰に囲まれた谷の入り口に、ぽつんと一軒の家が建っていた。

 そこに住むのは一人の少女。名はミリアという。彼女を知るものからは、北の谷の魔女と呼ばれている人物でもある。

 長い黒髪にリボンを着けた彼女は、家の外で無造作に転がった岩の上に腰かけてぼんやりと頬杖をついていた。


「先ほど連絡がありまして、コルネットさんがこちらにいらっしゃるそうです」


 ミリアは文字の書かれた紙きれを弄びながら、ややどんよりとした口調で呟いた。周りに人はいない。当然、彼女の言葉に応える声はない。


「彼女のことですから、当然目的は『北の谷』だと思うのです」


 それでもミリアは続ける。彼女の言葉は谷から吹く風にかき消される。

 ミリアは少し憤慨した様子で口を尖らせた。


「おしゃべりしているのだから、答えてくれてもいいと思うのです」

「あらら。いつもあたしがしゃべるとやかましいっていうから黙ってたのにぃ」


 突然、ミリアの目の前にある一抱えほどの石から声がした。


「それはそれ、これはこれ、なのです」

「まったく、適当なんだからぁ」


 声を発する石を、ミリアは魔法を使わず「よいしょ」と腕に抱えて持ち上げた。そのままゆっくりと家の中に向かいながら話す。


「そのため、モゲゲゲを代わりに研究材料として提供するのです」

「ちょ。それ待ってぇぇっ」


 胸元に抱えた石から慌てた様子の声が発せられる。

 そのときである。

 荒野に別の叫び声が響いた。

 辺境のこの地には、いわゆる魔物――モンスターと呼ばれる種も多数存在する。彼らは人を襲い、そして同様に、人も彼らを襲う。


「おーっほっほっほっ」

 北の谷から吹きつける北風を逆らうように、女性の高笑いがミリアの耳にまで届いた。ミリアは顔をしかめた。石の方は、表情がないので変わらないが。


「野良モンスターごときに、『知識の求道者、貴婦人のコルネット』は止められませんでーすわ」


 声に混じって、爆音が響きわたった。

 もうもうと土煙が舞っていた。

 大気中に爆発を起こす純粋なる攻撃用魔法だ。戦闘に限定すれば構成は楽で使用しやすいが、ミリアはあまり好きではない。


 やがて、高々と舞う土煙を割くように、人影が現れた。

 それは、旅装備で身を固めている、恰幅の大きい女性であった。

 その装備も見る人が見れば、有名ブランド店のオーダーメイドであることに気付くはずだ。


「ミリアちゃん、お久しぶり。『メール』送ったけれど、見てくれたかしら?」

「ええ。微妙にお家の位置を引っ越しさせておいたのですけど、ちゃんと届いていたのです」


 残念そうにミリアは答えた。



  ☆☆☆


 ミリアは一応礼儀としてコルネットを家に誘い、お茶を用意する。


「それで、今日も北の谷の調査にいらしたのですか?」

「ええ。もちろんですわ。最初のうちは、お見合いで『趣味は考古学です』とでもいうネタのつもりで始めた趣味でしたが、今ではすっかり虜になってしまいましたわ」


 コルネットは豊満な腹をパンと叩く。上流階級特有の脂肪だけではなく、その中には過酷な辺境の環境から培われた筋肉も含まれているはずだ。


「その話は聞き飽きたのです」

 ミリアがいかにも嫌々そうに言うが、コルネットは気にした様子も見せない。


 考古学の発掘から発展して、今では歴史的な物だけにとどまらず、興味惹かれるものなら何でも、調査に各地を巡って来たコルネット。そんな彼女が今度に目を付けたのが、未だ人の手の入らぬ秘境、北の谷だった。

 北の谷まで訪れた彼女はミリアと出会い、過去に二度、北の谷の調査を行っていた。


「ここはとても不思議なものが生息しておりますわ。過去二回の調査はなぜか上手くいきませんでしたが、今度こそこの谷の秘密を解明してみせまーすわっ」

「あ、そうなのです」


 ぽんと手を打って、ミリアがコルネットの声を遮るかのように言った。


「研究用に良い物があるのです」

 んしょ、と庭にあったモゲゲゲを差し出す。


「石なのに意志があって、石なのに軽い奴なのです」

「やぁん、軽いなんてひどーいっ」

「あら、本当に喋りますのね。腹話術でもないようですし、興味深いですわね」

「はい。そうですね。これをお家に持って行って心行くまで調べて……」

「それじゃ早速、この石があった場所まで行ってみましょう!」


 コルネットはひょいと、軽々と石を横に置いて立ち上がった。

 ミリアはがくりと肩を落とした。たくらみはあっさりと失敗してしまった。


「はぁ。仕方ないですねぇ」


 ミリアも渋々立ち上がった。 

 こうなってしまったら無駄なのが分かっている。

 人の説得は苦手だし、だからといって、コルネット一人を行かせるわけにもいかない。


「やぁん。貰われ損じゃーん」

 誰もいなくなった家の中から、モゲゲゲの嘆く声が聞こえた。



  ☆☆☆



「――それにしても、ここはいつ見てもへんてこな光景ですわね」

「そうですか?」


 両脇を天にも昇る高さの岩壁で覆われた谷の一角。

 そこはピンク一色に、埋め尽くされていた。

 幾数もの大小丸い球体がぷかぷかと、浮かんだり沈んだりしている。

 ギャギャバーの大群である。


「生き物なのか、物質なのか。藻が集まったという、オカン湖のオリモのようなものかしら?」

「ギャギャバーなのです」


 コルネットはため息をついた。

 ミリアに聞いても役に立ちそうにないので、実際に調べようと群に近づく。それをミリアはそっと制した。


「彼女たちは周囲の重力を操って、上下しています。下手に近づきすぎると巻き込まれてぺたんこなのです」

「うっ……」


 実際、ピンク色の球体の周りには潰されたと見られる動物の死骸も見られた。それを食した様子もないので、ミリアの言うとおり巻き込まれたものだろう。


「……ところで。彼女たちって言いましたけど……性別は女なんですの?」

 コルネットの素朴な疑問に、ミリアはしたり顔で答えた。


「ピンク色なので」

 コルネットは軽く肩をすくめた。



 それからも谷の探検は続いた。

 そこらじゅうに転がる大小さまざまな岩を乗り越えながら進む。

 巨体とはいえ鍛えているコルネットはともかく、風が吹けば飛んでしまいそうなほど華奢なミリアも、何気なくすたすたと進んでいる。相変わらず分からない娘である。


「先ほどからずっと、同じ場所を回っているような気がいたしますわ」

「そうでしょうか?」

「道に迷いましたの?」

「どうでしょうか?」


 ミリアは相変わらずマイペースに答える。

 コルネットが小さく笑った。


「私、ずっと考えておりましたの。なぜ過去何度か行われたはずの調査が、すべて失敗したか。その理由がようやくわかりましたわ」

「はぁ……」

「それは、案内人が方向音痴だからですわっ!」

「――失礼な」


 ミリアがむっとする。

 だがコルネットは冗談を言ったような顔ではなく、むしろ厳しいまなざしを鋭くミリアへと向ける。


「けど、それが意図的なものでしたら?」

「……はい?」

「この先の秘密を知られたくない誰かさんが、わざと適当なところを回っている、ということですわ」


 ミリアが何か反応しようとする前に、コルネットは素早く動いた。

 巨体に似合わぬ俊敏な動きでミリアの背後に回ると、手を伸ばしてミリアの口をふさぐ。その手には、特殊な溶液を染み込ませた白い布。


 ミリア力が抜ける。その身体がゆっくりと、音もなく岩肌の上に倒れ込んだ。

 コルネットは慎重にミリアの様子を探る。しっかりと薬は効いているようだ。


「睡眠薬ですわ。探検が終わったあと、解毒剤を差し上げますので、それまではゆっくりと寝ててくださいまし。おーっほっほっほ」


 コルネットは高笑いを谷に響かせると、倒れたミリアを置いて一人谷の奥へと足を進めた。




  ☆☆☆



「……珍しいね。君がやられるなんて。油断していたのかな?」

「ぎりぎりで息を止めたのです。まだ身体は重たいですが……」


 ミリアはゆっくり体を起こして、瞳をごしごしと手で拭った。

 その横には、体にフィットした白い服を着た少年が立っていた。小柄な体格で、ミリアとほとんど背丈は変わらない。


「彼女はY/A地点に向かったようだよ。入口とは全然違う方向だから急ぐ必要はないけど。どうする?」

「……放っておくわけには行かないのです」

「うん、そうだよね。じゃあ頑張ってね」


 少年の姿がすぅっと消えた。

 ミリアは無表情にそれが消えるのを待ってから、まだ完全に自由が利かない身体を引きずるように、コルネットを追って歩き出した。



  ☆☆☆




「それにしても、不思議なようで不思議ではない、奇妙な谷ですわね」


 巨体に似合わずひょいひょいと岩岩を越えながら、コルネットがつぶやく。

 世界各地を回った彼女にとって、この地形は決して珍しいものではない。だがその一方で、ギャギャバーのような明らかに普通じゃない存在も見られる。


「あらやだ。人だわ」

 不意に声が聞こえてきた。

 コルネットは周りを見る。しかし誰もいない。


「やだ。珍しいー。やぁーん」

「南東よ、南東!」

「北の谷に来たのに、なんちゃって~」


 次々と声だけが聞こえてくる。

 コルネットはすうっと深呼吸をして心を落ち着け、自分に言い聞かせるように独りごちた。


「北の魔女の家にあった、おしゃべりな石ですわね? この辺りから持ってきたところでしょうか」


 興味引かれる部分もあるが、そこらじゅうの岩岩が好き勝手に声を出してくるので、かなりやかましい。じっとこの場に留まっていると、耳と頭がおかしくなりそうなので、コルネットは先へと足を進めた。


「……はぁ。北の魔女から距離を取るのを優先してそのまま進んでしまいましたが、しっかり地図を記しておくべきでしたわね」


 北の谷は二つの高い山に挟まれた単純な構造ではなく、至る所にわき道のような隙間が多く、迷路のようにもなっていた。もしかすると、同じ場所をまた回っているかもしれない。

 ミリアを方向音痴呼ばわりして、自分が迷ってしまったらシャレにならない。


 谷底が薄暗いのは、谷を形成する山が高いだけではなく、所々細い谷の道を上から塞ぐように木々が生い茂っているためだ。

 グラナード王国の南部では、そこらじゅうに生えている木だ。

 だが、この地方に生えているのを、コルネットは初めて見た。

 木の根は見あたらず、岩壁に張り付くように伸びている。


「これは新種……というより、変異でしょうか。やはりこの谷には不思議な物があふれているようですわね」

 コルネットは立ち止まってふと考える。


「――もしかすると、この谷には物を変にさせる何かが溢れているのかもしれませんわね。ならば変な物が溢れる場所へ向かっていけば、その源が分かるかもしれないですわ!」


 コルネットは思いついた妙案に心を弾ませた。

 だが途中で、それが意味のないものだったことに気づいた。


 変な物が多すぎて、どこに向かえばいいのか分からなくなってしまったのだ。

 早い話、完全に道に迷った。


「……はぁ。一休憩いたしますわ」

 コルネットは手頃な岩の上に腰掛けて汗を拭った。

 北の谷といわれているが、グラナード王国自体が南に位置しているので、この谷は雪国のように凍えるほど寒くはない。動いていれば汗ばむくらいである。


 しばらく休んでいると、もやのようなものが彼女の頭上に集まりだした。

 気候によるものか、もしくはガスでも発生しているのかと思ったが、それはまるで意思を持っているかのように、コルネットにまとわりついてきた。

 しかも若い男性のような声を、コルネットに向けて発してくる。


「へっへっへ。女だ。人間だ」

「……今度はもやが喋るのですわね。あまり友好的ではなさそうですけど?」

「なぁに。その身体を少々拝借させてもらうだけさ。こんなんじゃぜんぜん楽しめなくてよ。最高に気持ちいい思いをさせ――」


 爆音が響いた。

 もやの魔物の類が最後まで言葉を発する前に、コルネットはもやめがけて爆発の魔法を放ったのだ。


 だが四散したもやは、また再び集まり声を発してくる。


「へっへっへ。凶暴な女も嫌いじゃないぜ」

「……面倒ですわね」


 コルネットは舌打ちした。

 幼馴染に教わって魔法は覚えたが、一人旅用の生活必需の物と、護身用の爆発魔法くらいだ。それもただそれだけを覚えたため、応用を知らない。


 一気にもやが押し寄せてくる。

 逃げるしかないと思ったが、彼女のプライドが一瞬の判断を遅らせた。


 コルネットの身体を覆い被すようにもやが広がる。

 彼女に抵抗する術はなかった。



  ☆☆☆



 その魔物は、いつから自我に目覚めたのか、なぜ滅多に現れない人間について知っているのか、そもそも自分が何者なのか、まったく記憶になかった。

 ただ本能のままに、人間の女の身体を奪ったのだ。


「へっへっへ。さてとこの身体でいろいろ楽しませてもらおうかな」

「あらら。またもやの魔物ですか。この前も、リボンに閉じ込めたばかりだったのですがねぇ」

「……ん? なんだ」


 魔物の前に、また人間の女が現れた。

 この身体の持ち主の仲間だろうか。

 だが、なぜか持ち合わせている彼の美的感覚からすれば、今の身体とは比較にならないくらいの上玉だ。


「けけけ。俺様のことが分かるのか。ならちょうど良い。こいつの代わりに、お前のその身体もらったっ」


 魔物はコルネットの身体から外に出ると、少女めがけて襲いかかる。

 大量のもやが迫ってくるが、少女に焦る様子はない。


「相変わらず、ワンパターンなのです」

 少女は髪を留めているリボンをすっと抜き取ると、身体の前に掲げた。


「なぁぁっ」

 強力な力に拘束された魔物は、彼の意志とは別に、少女が持つリボンへと吸い込まれてしまった。


「……さてと。うるさいひもは一本でいいので、これは処分してしまいましょう」

 少女――ミリアがそう呟くと、手にしたリボンが塵のように霧散した。



  ☆☆☆



 コルネットが瞳を開けると、辺り一面に青い空が広がっていた。

 

 その真っ青な視界に、ぴょこっとミリアの顔が入り込んできた。髪を結わんでいたリボンが見たらず、そのため黒髪が大きく風になびいている。


「あ、お目覚めですか」

 その表情を見て、コルネットは、ミリアに助けられたことを理解した。


「……どうして私を助けたのですの?」

「私は方向音痴ですけど、ガイドですのでお客さんを助けるのは当然なのです」

「私がしたことを怒ってないですか?」

「何かされましたでしょうか。方向音痴のせいか、気づいたら眠っておりまして、コルネットさんとはぐれてしまいました」

「……」

「方向音痴ですと、眠くなりやすいのかもしれないのです」

「……そっちは根に持っているんですわね……」


 ミリアの意図は分からないが、強引に眠らせたことを責める気がないのなら下手に突っつく必要もなさそうだ。

 コルネットはため息をつくと、座りながら身体を伸ばす。手のひらに当たる感触が、今まで感じたことのないものなのに不審に思って視線を移すと、床一面がピンク色なのに驚いた。


「って、こ、ここは……っ」

「はい。空に浮かぶギャギャバーの上なのです」


 どこまでも広がる荒野。反対には絶壁に押し寄せる海。そして真下には、巨大な谷を作り出す複雑に入り組んだ山脈。おそらく誰も踏破したことのないであろう峰の頂上が、はるか眼下に広がっていた。


「どうですか? 気球や飛竜でも届かない距離からの眺めは」

「わ、私。高いところは苦手なのですわ……」


 瞳をぎゅっと閉じて震えるコルネットを見て、ミリアが微笑んだ。


「仕返しが出来たのです」

「やっぱり根に持っておりましたのね~っ」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る