転校生の秘密
まあ、帰ったら帰ったで、当然大変だった。
警察の事情聴取というものがあって、気難しい顔をした大人の前で、いろいろと話すことになった。怪我がないかって、検査のために病院にもいかされた。
「お江戸の世界? その、きみは、ずっと千住にいた……?」
もちろん、全部そのまま話したよ。気の利いた作り話ができるほど、おれは器用じゃないし。
警察官は首をかしげて、こういうしかなかった。
「夢を見ておられたのでしょうか。それとも、神隠し? とにかく、ご無事でよかったです」
数日後、おばあちゃんの病院へ出かけた。
お父さんとお母さんとおれ、三人で出かけると、ベッドの上にいたおばあちゃんは、おばあちゃんそっくりな顔をした「知らないおばあさん」のような顔になって、やってきたおれたちのことを怖がった。
仕方ない。現実のおばあちゃんは、おれが「彗」だとわからないんだ。首をかしげて、妙なものを見るように、顔を覗き込まれた。
「あなた、誰?」
おれは、笑った。お凜にはじめて会った時のことを思いだしていた。
『それで、坊主、あんたの名前は?』
「慧っていいます。はじめまして」
ハキハキと答えて、「はい、これ」と、お見舞いの品を手渡した。あの世界から持ってきた唯一のお土産、手づくりの風車だった。
「これは――?」
「ここに飾ったらきれいかなと思って。ほら、窓際に飾ったらきらきらするよ」
おばあちゃんの病室は四階にあって、まあまあ高い場所にある。その日はいい天気で、すっきりとした青空が、病室の窓のアルミ枠の奥に覗いていた。
「空がきれいだね。おばあちゃん」
「なるべくたくさん空を見よう」とおれに教えたのは、おばあちゃんだった。
『彗くん、きれいな空ね。――そうだ、覚えておきな。小さいうちから、なるべくたくさん空を見上げて、「きれいだなぁ」って思っておきなね』
「どうして?」と尋ねると、その時、おばあちゃんは笑った。
『彗くんが大きくなっても、空はずっとあるからよ。きれいな空は、彗くんがお兄さんになっても、おじいさんになっても、ずっとずっときれいだからね。つらいことがあっても、空が慰めてくれるのよ』
そうだね、空はいつもきれいだ。
空を見上げて「きれいだな」って思うたびに、お凜がおれの手に残した風車みたいに、「おれも、おばあちゃんから教えてもらったことを覚えてるよ」っていう合図になるかもな――そう思った。
空は、記憶がない人が見上げてもきっときれいだから、今のおばあちゃんと一緒に、いつか、「きれいだなぁ」って話せると、いいな。
数日後、おれは、アスファルトの道を歩いていた。
新しい制服を着て、お母さんと一緒に転校先の中学校へ向かった。
行方不明にならなかったら、転校初日は不安になったと思う。
でも今は、アスファルトの道を歩くだけで足の裏から力をもらう気がして、スニーカーの靴底で道の硬さを踏みしめた。
地面が硬いのは、これまでに生きてきた大勢の人たちが踏みしめた後だから、かもしれないもんね。
知り合いがいない新しい街でも、はじめて足を踏み入れる学校にいても、足元には踏みしめられる道があるし、うしろには、応援してくれる人がたくさんいる。不安は不安だけど、どうにかなるよ――って、思えるようになっていた。
お江戸の世界で千住を走り回ったおかげで、引っ越したばかりなのに、土地勘もついていた。
「お母さん、あの道の先に赤いお寺があるんだよ。赤門寺っていって――」
お母さんは笑うだけで、おれの話を信じてくれた。
「本当におばあちゃんの世界にいってきたのね。どこに出かけていたっていいわ。帰ってきたんだもの。それも、少し立派になって」
お父さんもそうだった。おれが持ち帰った風車を見せた後は、一晩中ぼんやりしていた。
当然だよね。大事な思い出を忘れたい人なんかいない。
――おれもだ。
前の街での思い出を忘れる必要はないし、新しい学校に馴染もうとムリしなくてもいい。道は一本じゃないし、一歩目、二歩目を踏み出す時は不安になるかもしれないけれど、進み続ければどうにかなるよ。
新しい担任の先生に案内されて入った、新しい教室。
そこで、おれは自己紹介をした。マンガやテレビでよく見かけた、転校生が初日にやる、あれだ。
「はじめまして。転校してきた、上田彗といいます」
なんの変哲もない、普通の転校生だ。
ただし、しばらく行方不明になっていたことは、新しいクラスメイトには内緒だ。
fin.
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