はじめての徹夜
おれも、字を書きまくった。
こんなにたくさん字を書いたことが、生まれてからこれまであったか?――ってくらい、書いて書いて書きまくった。
おれの名前と生年月日。お父さんとお母さんの名前と、誕生日。住んでいた場所。おばあちゃんの家に遊びに行った時のこと。近くにあった病院の名前、病院の前にあった自動販売機でよく買ってもらったジュースの銘柄。おじいちゃんとおばあちゃんが経営していたお店の名前。好きだったメニュー。苦手だった付け合わせのお惣菜。よくオマケしてもらったこと。おじいちゃんがよくプリンをくれたこと。おじいちゃんとおばあちゃんの口癖、近所の人たちの会話。覚えていることをありったけ、書きまくった。
街の人も、夜通し入れ替わりやってきて、文字を書くのを手伝ってくれた。
「なんだい、記帳すればいいのかい? 神社がまるごと『耳なし芳一』みたいだな」
いまや、境内は紙だらけ、文字だらけだ。
夢中で文字を書き続けて、夜になった。
ちょっと寝たけど、まだ書き足りなくて、夜中にもおれは書き続けた。
思い出が多すぎたんだ。おばあちゃんの店のテーブルはえんじ色だったとか、おじいちゃんが無口だったとか、ほんの些細なことも、書いておけばおばあちゃんが覚えていてくれる気がして、書かないわけにはいかなかった。
おばあちゃんが知らないはずのこと――お父さんの癖とか、お母さんの得意な料理とか、このまえのテストの結果まで――おばあちゃんに話したいなぁとちょっとでも頭にかすめたことは、全部書き続けた。
とうとう、紙切れだ。
「慧、すごい量じゃないか。これをどうするんだい」
和紙で埋め尽くされた氷山神社の境内は、書道大会百年分くらいの後のようだった。紙が波のように重なって、まるで、白と黒の波に覆われた海。
「街に飾ろうよ、お凜さん」
「街に?」
「竜は思い出を食べるから、街の代わりにこれを食べて満足してくれれば、街が食べられずに済むかもしれない。それに、もしかしたら――」
神社の境内を覆う白波のような紙と字の海を眺めて、おれは正直ゾクゾクとした。人の思いが宿った紙には力があるんだ。とんでもなく力強いものをつくりあげた気がした。みんなで。
「この紙は、すっごく強いお守りになるかもしれないよ。竜が入ってこられない場所を――封印とか、魔法陣みたいなものが作れるかもしれない!」
だからきっと、手紙も強いんだ。大事な想いをとどめて、相手のもとまで届けてくれるんだから。
ちょっとは寝転んだけど、気になってすぐに起きてしまって、ほとんど夜通し起きていた。徹夜をしたのなんて、生まれてはじめてだ。
とうとう夜明けがくる。太陽がまぶしいけど、楽しい。人生初の徹夜にハイになって、おかしくなってるのかもしれないけど。
横からくる朝の光を浴びながら、賽銭箱の前でパン、パンと両手を叩いた。
「神様、おはよう。昨日から神社を占領しちゃった。ごめんね」
前に賽銭箱の上で会った紙様――じゃなかった、神様は、現れなかった。
でも、姿は見えないけど、いまも賽銭箱の上に座って、足をブラブラとさせて笑っている気がした。
「イイヨ~。ガンバッテネ~」っていう、気が抜けた声もきいた気がする。
「ありがとう。ご利益、頼んだよ」
深くお辞儀をして、おれは賽銭箱に背中を向けた。
石段をのぼった上から、紙と文字の海に沈んでしまったような境内を見渡して、握りこぶしを作る。これからが本番だ。
「みんな、手伝って。この紙を街の端に貼るんだ」
千住の街を走り回って、書いてもらった和紙を配った。
「なんだい、瓦版かい?」
瓦版っていうのは、江戸時代の新聞だ。むかしは新聞配達員が家まで運んでくれるわけじゃなくて、瓦版売りが街を売り歩いていたって、たしか、テレビで観たことがある。
「違うよ、封印をつくるんだ。建物の壁に貼って貼って、貼りまくるんだ」
「なんだい、道切りの神事かい?」
「なにそれ? とにかく、お守りだよ。ここでは一番力を持つお守りになるはずだよ。だって、竜が食べたがってるのは、ここに書いてあることだもん。竜がお凛さんの思い出を食べる気なら、こっちは食べられるよりもたくさん書いて、残していけばいいんだ」
「つまり、呪符ってことだな?」
「呪符」って、アニメやマンガで見たことがあるけど、強力なお守りのこと――だよね?
「うん、呪符だ。これは呪符だ!」
「おおい、お凛さんのところの坊主が、霊験あらたかな呪符をつくったらしいぞ!」と、一人が大声をあげると、あれよあれよといううちに騒動は広まった。
我も我もというふうに大勢が集まって、バーゲンセールみたいに手を伸ばしてくる。おれはその手に、一枚一枚紙を配った。
「そうだよ、これは霊験あらたかな呪符! みんな、貼るのを手伝って!」
もう、言ったもん勝ちだ。
「最強の呪符だよ、これさえ貼れば大丈夫!」
おれは何度も大声を張り上げたけど、すこし心配だった。だって、本当に効くのかどうかはわからなかったもん。
「絶対効く!」っていう妙な自信だけはあった。でも、怖くもあった。だって、効果がなかったらサギだ。
お凛さんの思い出――つまり、この世界に暮らす人たちの情報をありったけ記した紙が、竜を追い払えるのか、どうか。それは、すぐに試されることになった。
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