最強のおばあちゃん
上空で黒い翼を上下させてもがく竜の動きを、おれは両耳をふさいでしゃがみ込みながら夢中で目で追った。
もう容赦しないぞ。街を襲うのを諦めて、ここから――おばあちゃんの中から去ってくれ!
でも、じっと目を向けた先で、丸まっていた竜の胴が平らに戻っていく。首をもたげて、さっきと同じ姿勢で宙に浮かび、街をじっと見下ろした。どこから襲いかかろうかと舌なめずりをするようで、砲弾をくらったことすら忘れたようだった。
あんなに痛がっていたのに――竜ってバカなのか?
「くそったれ。もう一発撃ちこんでやれ。いつまでも大人しくしてると思ったら大間違いだよ。つけあがりやがって!」
お凛の啖呵に、赤門衆の男が「はい、姉御」とつつましくうなずく。男はもう一度腰を落として、弾丸を飛ばす支度をはじめた。
「お凜さん!」
声をかけると、お凜はぎらついた目で振り返った。
「ああ、慧。いたのかい。ここは危ないよ。逃げておきな」
「姉御、支度ができやした」
「ようし、撃ちな」
おれがいようが、いなかろうが、さっきと同じやり取りが繰り返される。
うん、おれは学んだよ。そうだ。人というものは、そうやって新しい状況に慣れていくんだな、うむ――とか、賢者ぶってる場合じゃない。
咄嗟にすこし離れて、両手で耳をふさいで、しゃがみ込んだ。音から逃げないと!
「やっちまえ。とどめを刺しちまいな!」
お凛の強気な声とともに、もう一度ドオン――!と、轟音。
耳を覆った手のひらのおかげで、音はいくらか防げた。でも、振動は防げない。なにしろ、大砲がうなったのはすぐそばだ。至近距離で撃たれたので、地面を伝ったり空気を伝ったりして、足の裏も膝も腕も肩もビリビリッと震えた。
音は震えだ。震えに間違いない! おれは、身体でそれを覚えた。
ゴオオオン……という余韻のなか、そうっと手のひらを耳から避けさせると、赤門衆の男がお凛に泣き言をいった。
「姉御、いまのが最後の弾だ」
「なに? 竜は――」
お凛と男が見上げた空で、黒い竜はもがくように翼や胴をよじっている。でも、しばらく経つと、姿勢がだんだんもとに戻っていく。
さっきと同じだ――竜は砲弾をいやがったけれど、耐えられるようだ。バカだから忘れちゃうわけじゃなさそうだ。これはまずい。
お凛が舌打ちする。
「しぶといね。ちったあ効いたと思ったのに」
「次の手に移りましょう」
「次の手ってなんだい」
「砲弾を集めてきます。それまでしのいでください」
「集めるって、いまからかい?」
「へえ」と、男はうなずいた。
「ちょっとのあいだです。隣街から大八車に乗っけて運んできますから」
お凜は武者震いをするように、背中に担いでいた大弓を手に取った。
「しのげば、なんとかなるんだね? わかった、やってやるよ。ありったけの弾をたんまり持って帰っておいで。おいき!」
「お凛さん、お凛さん……!?」
おれが目をまるくしている前で、赤門衆の男は赤い羽織をなびかせて走り去っていく。
そのあいだにも、おれたちと大砲の周りを侍たちが駆けまわる。刀を抜いて、屋根に跳ね上がり、かっと飛んで、刀を振り払う。そのたびに、黒い竜の尾がうっとうしがるように宙に跳ねた。
「ねえ、お凜さん、おれ、いい方法を見つけたんだ」
ここに来たのは、神社で思いついたアイディアをお凛に伝えるためだ。そうすれば、竜をやっつけることができなくても、残った街や人――つまり、おばあちゃんに今残っている思い出を残すことができるんじゃないかって――。
でも、お凛の目は血走っていて、おれがいうことに聞く耳をもたない。
「慧、危ないから下がってな。――なんだい、まだ一発残ってるじゃないか」
お凜は、大砲の後方でなにかを見つけたようにしゃがみ込むと、火をつけた。
――一発残っていて、火を持ってるって……まさか。
おれは慌てて耳をかばって、うずくまった。すぐに「いけえ!」というお凛の大声と一緒に、砲弾の発射音。ドオン――! ゴオオオン……という轟音がもたらすビリビリッとした痺れに耐えながら、おれは精一杯顔を上げて、お凛を見た。
お凜は空を見上げていたが、黒い竜がふたたび元気になると、ちっと舌打ちして、大砲の周りをうろついた。
「なんだい、まだ弾が残ってるじゃないかい。ほかにも残ってないだろうね」
「ちょっと待って、お凛さんって大砲が撃てるの? 撃ち方を知ってるの?」
だって、いまは不思議なお江戸の世界にいる「お凛」だとしても、もとは、うちのおばあちゃんだよね?
おばあちゃんになるくらい長生きしたら、大砲が撃てるようになるものなのか?
「男のくせにブツブツうるさいね。もうここにあるんだから、大砲くらい使っちまえばいいんだよ。あるんだから、撃つんだよ。これで片づけてやる。いけぇ!」
お凜は男勝りで、容赦がない。
さっきの赤門衆の男よりもよっぽど勇ましく、黒い竜に向かって大砲を撃った。
「待って、早い、早い!」
焦りと緊張で手のひらが汗でべったりだ。冷や汗もあるかもしれない。全身がいやな汗まみれで、それでもどうにか、転げた先の地べたから、発射された大砲の行方を探した。
何度も砲弾を食らって、竜は空中でもがいていた。
――なんだろう、さっきよりも苦しそうだ。連続して撃ったから、回復がうまくできないんだろうか?
お凛は大砲のそばに仁王立ちになり、
「今のうちだよ! 畳みかけるんだ。あいつをやっちまえ!」
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