――撃て?

 氷山神社の鳥居をくぐってから、おれは猛ダッシュ。走るのは苦手だし、マラソンも大嫌いだ。でも、走りたくて仕方がなかった。一秒でも早くお凛のところに行きたくて――。


 これ以上道に迷っている余裕もない。

 また変な街にたどりついてしまわないように――!


 神社の周りも、道はまだ、世界と世界のパッチワークみたいなつぎはぎ状態だった。ときおりアスファルトの面やマンホールがある地面があったり、江戸時代風の砂の道があったり、そのどれでもない、踏むとグニャッとして気味悪さに思わずへんな悲鳴が出るような接着剤みたいな部分があったり。


 おれは、駆けた。江戸時代風の砂の道だけを選んで、まっしぐらに。


 やがて、行く手に見覚えのある大路が見えてくる。何度も行き来した千住の街の大通りだ。やっとだ、もうすぐたどり着く――。


 痛みはじめた横腹を「もうちょっとだ、がんばろう」とさすっていると、お江戸の街の手前に、一軒だけぽつんと現代風の家が建っていた。


 小さな家だ。それに、なんとなく見覚えがある。


 古いわけでもないのに、玄関のドアは小さいし、窓も小さめ、屋根の高さもすこし低い。目に馴染みのいい新築の家とはすこしデザインが違っていて、どことなく古くさい。玄関の前庭に手作りの風車が刺さっていて、羽根がくるくる回っていた。


 通り過ぎながら、気づいた。


(建て直す前のおばあちゃんの家だ)


 お江戸の街にたどりつきそうになった間際に見つけたその家は、きっと、新しく建て直す前の、お父さんが小さい頃に住んでいた家だ。


 ああ、だからか――と、目が風車を追った。玄関前に飾ってあった風車は、羽根の部分が分解したアルミ缶でできていて、夏休みの自由工作で見かける手づくり作品みたいだった。


(お父さんが作ったのかな――お父さんが家の中にいるのかな)


 寄り道して、窓の内側を覗いてみたくなった。けれど、前に向き直る。


 お凛のところに行かなくちゃ。すこしでも早くたどり着いて、教えてあげなくちゃ。


 最後のひと踏ん張りと、歩幅を大きくした、その時だ。


 ドオン――! と、地響きが鳴った。花火の打ち上げでもはじまったような大きな音だ。


 千住の街まで、あとすこし。大通りを歩く着物姿の人も見えはじめている。呉服屋や、海苔屋や、魚屋や――建物も人の顔にも、見覚えがあるエリアに入っていた。


 みんなは赤門寺の方角へ向かって駆けていて、おれを見つけると寄ってくる人もいた。海苔屋のおじさんだった。


「お凛さんのところの――。おい、坊主、さっさと避難しな」


「避難って?」


「戦がはじまったんだよ」


「戦?」


「黒い竜との戦だ。あぶねえぞ」


 その時にも、ドオン――! と、轟音が鳴る。


 一番大きな音が消えた後も、ゴオオンン……と、轟音の余韻が街中に響いて、屋根の瓦や、入り口に垂れさがった暖簾のれんが震えていた。


 人間って、焦ると汗をかくものだ。音が鳴った瞬間に反射的に耳を手のひらでかばったけれど、その手も、押さえつけた耳も、あっという間に汗まみれになった。


「いまの、なんの音? 花火?」


「花火なんかで竜と戦えるかよ。大砲だよ」


「大砲?」


「お凛の姉御が竜退治に本気になって、大砲まで持ち出したんだ」


「お凛さんが?」


 大砲?


 聞いたことがある言葉だけど――大砲って、なんだっけ。


 自問自答しているうちに、海苔屋のおじさんは身をひるがえした。


「坊主も早く逃げろ。巻き込まれちまうぞ」


 「海苔」と大きく描かれた法被の背中を見せながら、おじさんは赤門寺の方角へと駆けていく。おじさんの姿がすこし遠ざかったところで、またドオン――! と轟音が鳴って、足をもつれさせたけれど。


 おれも、耳をふさいでいた。手のひらで耳の穴をまるごと覆っても、轟音はそんなに遮られなかった。なにより、振動だ。地面をビリビリと伝う音の正体が、スニーカーを伝って膝や胴まで駆けのぼる。


『みんな、知ってるかい? 音の正体は、実は振動なんだ!』という、いつかどこかで読んだはずの科学マンガの一コマを突然思い出す――ああそうだ、その通り、音の正体は振動だよ。まったくだな!


 そろそろと耳から手のひらを外しても、ゴオオオン……という低い音が、お江戸の街の屋根や壁に跳ね返されて、街中にまだ淀んでいる。


 おれは、走り出した。海苔屋のおじさんとは逆の方角へ。


 走っているうちに、またドオン――!と轟音が鳴る。耳をふさごうと手のひらが浮いたけれど、もっと速く走れと、手を振るほうを選んだ。耳をふさがなくても、なんとなく耐えられる気がした。慣れのスピードって、すごい。


 ゴオオオン……という余韻の波をかき分けるようにして、音の渦の中心へ向かっていくと、お凛や、トレードマークの真っ赤な羽織をなびかせて刀を構える赤門衆のうしろ姿を見つけた。


 まといっていう、大きな飾り棒をそばに置いて、お凜は真っ黒い大きな筒のそばに立っていた。筒は人の身体よりも大きくて、長い。まるで、戦車が敵を攻撃する時に使う大砲のような形をしていた。――いや、大砲だ。お凜は、大砲のそばにいた。


 大砲のうしろにいた赤門衆が、長い柄のついた道具で点火の準備をしている。


「姉御、準備が整いました」


「ようし、わかった。撃てぇ!」


 ――撃て?


 お凛のそばに大砲があって、準備をする人がいて、「撃てぇ!」と叫んでいるっていうことは――。


 赤門衆の男が両耳を押さえて、姿勢を低くする。俺も、とっさに両耳を押さえた。いくら慣れてきたとはいえ、さっきの轟音の正体がこの大砲なら、こんな至近距離で食らったらさすがにまずい。耳が壊れる!


 大砲が震えて、まわりの空気がきしむ。


 ドオオン! と、弾丸が発射。砲弾が向かった先は、空だった。


 そこには黒い竜がいて、街を食べてやろうと、舌なめずりをしている。白煙をあげて飛びあがった砲弾が宙を飛び、竜にぶつかっていく。命中すると、黒い竜は空中で苦しそうに身をよじった。


 ――やったぞ、効いてる! もっと苦しめ!

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