ニアミス Ⅲ

  ◆    ◆  


 病院を出ると、夜音子よねこは、夫をつれて氷山神社へ向かった。


『霊媒師? 氷山神社の隣に住んでる人が有名だよ。名前は――児珠こだまさん』


 と、りん子に教わったからだ。


 霊媒師を探していたのは、息子からの手紙にそう書いてあったから。


『警察じゃなくて霊媒師をここに呼んでください』


 どこからが本当で、どこまでがふざけているのか。


 それは夜音子にもわからなかったけれど、手がかりがそれしかないのだから、試してみたかった。


 鳥居をくぐると、ちょうど境内に、竹ぼうきをもった年配の女性がやってきたところだ。女性は長さのある箒を器用に使って、砂利の上のほこりや落ち葉を払っている。穂先で撫でられたところから、砂利の上にある空気ごとが清められて、澄んでいった。


「あの、すみません」


「あら」


 近づいていくと、女性が顔をあげる。女性が笑いかけたのは夜音子ではなく、うしろからついてくる夫、直人だった。


「直くんじゃない、こんにちは。お母さんはお元気?」


「はい、まあ」


 直人は苦笑いを浮かべた。


「知り合い?」


「そりゃあ。おれはこの街で生まれてるからね。それに、この人だよ。きみが会いたがっていた人は」


「え?」


児珠こだまさんだよ。神主さんご一家の方。この神社を管理されている方だ」


「あぁ、そうなんだ!」


 児珠さんという女性は、笑顔のままで首をかしげた。


「会いたがっていたって? 私に? ――直くんの奥様が?」


 それで、夜音子は理由を話すことにした。


 息子が行方不明になったこと。そして、「霊媒師」を探していたこと。この神社へきたのは、りん子に「児珠さん」という人を教えてもらったからということ。


「いやだわ、霊媒師って――おりんさんったら」


 女性は笑って、境内をぐるりと見渡した。最後に向いた先は、本殿。立派な飾り細工がついた屋根の下に賽銭箱が置かれていて、石畳が敷かれ、祈りの場が仕上がっている。


「そうねえ。自分でも霊感は強いほうだと思うけれど――さっきもね、なんとなくだけど、あそこに誰かがいるような気がしたのよ。でも、こういうことってよくあるの。もともと神社には、いろんな方がお参りに見えるでしょう? 人も、人じゃない人も、死んでしまった人も、そのどれでもないものもやってくると思うの。姿が見えないのに『あっ、誰かがいるなぁ』と感じる時は、きっと人の姿をもたない誰かがお参りにきているんじゃないかしらって――変でしょう?」


と、「児珠さん」はふふっと笑った。


 それから、目を閉じた。


「でも、案外、さっきまでそこにいたのは、あなたが探している息子さんだったのかもしれないわね。偶然って、そう起きないものよ。会いたい人同士なら、わざわざその人がいそうな場所に近づいたりして、なんとなく引き合ってしまうものだから。――大丈夫ですよ。あなたの息子さんも、あなたたちのところへ戻ろうと帰り道を探していると思います。案外すぐそばにいらっしゃる気がします。きっと見つかりますよ」


「――そうですか」


 「児珠さん」がいったのは、気休めじみた、なんの根拠もない励ましだ。でも、夜音子はほっとしていた。その人がいった言葉を信じたかった。


 境内の隅には、大きな岩をいくつも積み上げた岩山ができていた。人の背の二倍ほどもある高さの岩山で、夜音子にはあまりなじみのないものだった。


「あの岩山はなんでしょうか」


「富士塚ですよ」と、「児珠さん」は笑った。


「むかし、富士山がいまよりもずっと大事に崇められていた頃、みんなが富士山へ詣でにいきたがったんです。それはもう、海外旅行に行くようにね。でも、いまと違って、車も電車もない時代ですから、富士山へは歩いてしか行けないでしょう? いきたいと思ってもすぐに行ける場所ではなかったので、こんなふうに、神社の境内に富士山に見立てた山をつくって、この上に登れば富士山に登ったのと似たご利益があると、信じられていたんですよ。江戸時代の頃ですね」


 「児珠さん」に続いて、直人もこたえた。


「つまり、コンビニ富士だよ」


「コンビニ富士だなんて、うまいことをいうわね」


 「児珠さん」は、ほうきを持ったままで笑った。


「のぼってみようか」という話になった。


「児珠さん」にお礼をいって別れた後で、夜音子と直人は二人で富士塚をのぼった。


 富士山をまねて三角のかたちに積まれた岩山には、参道をまねた道もつくられていて、そこをのぼり、頂上の拝所で両手を合わせた。


「すぐにでも慧が見つかりますように。無事でいますように」


 二人で頭をさげて、しばらく経ってから目を開けると、直人が、富士塚のふもとを覗いて目を凝らしはじめる。


「なんだ、あれ。レシートみたいな紙が石に押さえられている」


「レシート?」


 レシートといえば、いまの夜音子にとっては特別なものだ。行方不明になった息子からの手紙も、レシートに書かれていたのだから。


 「どれ?」と、直人が指す方向を覗くやいなや、夜音子はぱっと身をひるがえした。たしかにそのレシートは、誰かに見つけてほしそうにそこに置かれていた。見つけるべきは自分、わたしに向けて置かれた合図だと、その手紙に依ったふしぎな力に呼ばれたように、夜音子は岩山を下りた。


 のぼってきた岩の道を跳ねるように駆けおりて、直人が見つけた紙のもとへ。


 それは、拝殿の柱のそばに置かれていた。こぶし大の石に押さえられた、すこし長めのレシートだ。ひゅうっと風が吹くたびに、紙の端がめくれあがって裏面に書かれた文字が覗いた。


「手紙だ。嘘――」


 飛びつくように、重しの石をよかした。


 レシートの裏には、字が書かれていた。しかも、探して続けている息子の筆跡だった。



 お父さん、お母さんへ


 心配かけてごめん。

 いま、帰る方法を探しています。

 おばあちゃんと一緒です。

 不思議なことになっているけど、無事です。

 おばあちゃんを助けてから帰ります。

 待ってて。   

 そっちのおばあちゃんにもよろしく。


           上田慧


 

 レシートを手にしたまま、夜音子はぼろぼろと涙をこぼした。


 息子の言葉にいざなわれてやってきた神社で、本当に手がかりを見つけることになった奇跡にも、どうやら無事でいるようだとほっとした安堵にも、涙があふれてとまらなかった。それに――。


「慧と離れて、何日経ったっけ……」


 追いついてきた直人に、震える手でレシートの手紙を渡しながら、夜音子はとうとう立っていられなくなって、うずくまった。


 離れていた数日間のうちに、息子はきっといろんなことを考えたのだろう。そうでなければ、手紙の書き方も、手がかりの残し方も、こんなに変わってしまうわけがない――と、泣きじゃくった。


「慧は無事よ。探さなくちゃ。あの子は一生懸命帰ろうとしてるんだもの。絶対に見つけにいかなくちゃ」


 レシートに書かれた字を読み終えると、直人もすこし笑顔になった。うずくまった夜音子の肩を抱くのにうずくまって、うなずいた。


「ああ。あいつも頑張ってるんだ。おれたちも頑張らないと。――大丈夫、きっと慧は見つかるよ」

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