ニアミス Ⅱ
「何度も聞いた? でもおれ、初めてここにきたよ」
自称神様は、ヘラヘラと笑っていた。
「キミノ他ニモ、タクサンノ人ガソノ願イヲ叶エテ欲シイッテ、ココニ来タンダヨ」
「え?」
思わず、境内を見回した。
いまは、誰もいない。境内の中に社が建っていて、年季が入って白っぽくなった柱にはしめ縄がかけられて、葉っぱと和紙を組み合わせた飾りがついている。葉っぱはみずみずしくて、和紙は真っ白、よれてもいない。この神社を管理する人がついさっきもここに訪れて、丁寧に管理をしていた気配があった。――いまは、誰もいないけど。
眉をひそめた。賽銭箱の上に座る紙様……違う、自称神様の紙人間をじっと見上げた。
「ここに、おれ以外の誰かが、おばあちゃんの記憶を戻してくださいってお参りにきたってこと?」
「ウン、ソウ」
神様は筆で描かれた笑顔でこくりとうなずいた。
「何十回モ、何百回モ来タヨ。キミノオバアチャン本人モ来タシ、昨日ハ、キミノオ父サンモ来タヨ。他ニモ、タクサン」
ごくりと息をのんだ。
おばあちゃんのことはともかく、おれは、お父さんのことは一言も口に出していない。この神様がおれの心を読めるのは、どうやら本当なんだ。
でも、ここにお父さんも来たってことは――?
「ここ、どこなの? おばあちゃんの頭の中じゃないの? おばあちゃんもお父さんもお願いに来たってことは、ここって……」
もう一度、境内を見回した。
神社の周りには、神社の森がある。その向こうには、お江戸の街がある。昔っぽい木製の屋根が続いていて、はるか彼方には、真っ白な壁がある。前はその先にも街があったけど、いまは行き止まりになっているところ――竜に食われたところで、壁は壁だけど、歯型がついてデコボコになっていた。
おれがここに来たばかりの頃には、彼方に富士山が見えていたんだけどなぁ――。歯型の壁もなかった。
でも、お父さんもここに来たってことは――。
「あの、この神社は、もとの世界の神社なの?」
神様は「ウ~ン」といった。
「ソウダネ。デモ、ホカノ世界ノ神社デモアルヨ」
そう言って神様は、笑顔に描かれた顔を弾ませるように首をふった。
「ダカラ、最初ノオ願イハ、モウ叶ッテルヨ。キミハ今、モトノ世界ニモイルヨ。タダ、鳥居ヲ抜ケタラ、サッキノ道ニ戻ルヨ」
「は?」
「時間モ空間モ特別ナノハ、囲イノ中ダケダカラ、ココニイルウチハ、イロンナ世界トモ通ジルヨ」
「待って、待って待って、待って」
頭がおかしくなりそうだ。
「つまり、神社の中のエリアは特別だから、どこの時代にあってたとしても、いつも一緒ってこと? それが、おばあちゃんの頭の中だろうが、江戸時代だろうが、昭和の時代だろうが、令和の時代だろうが――」
「ソウダヨ~」
神様の答え方は軽かった。だから、なんとなく信用ならない。
「ほんとかよ」
でも、もしもそうなら。ここに手紙を置けば、ここにもう一度お父さんが寄ったりしたら、おれからの手紙を届けられるんじゃないのか。
世界は違っても、神社の中だけは特別で、ばらばらの世界にいる人間たちが、同じ空間にやってくるとしたら――。
おれは、ボディバッグの中からレシートとペンを出した。
――なんて書こう。
本当に届くかわからないけど、もしも家族に知らせるなら、なんて伝えればいいだろう。
迷いながら、紙の上にペンを走らせると、レシートを賽銭箱のそばに置いて、足元にころがっていた石を重石にした。
もしも、お父さんがまたここに来たら――。
来るかもしれない。おれが踏んできたのと同じ境内の砂の上を歩いて、賽銭箱の前で手を合わせるかもしれない。もしもここに来たら、きっとこの手紙を見つけてくれる。
きっと大丈夫。見つけてくれるよ――信じよう。
「ありがとう、神様。ちょっと心が軽くなった。どうにかなるかもって思っちゃった」
賽銭箱の上で足をぶらぶらとさせながら、神様は子どもみたいに笑っていた。
「ドウイタシマシテ」
「でも、どうしてもおばあちゃんの病気は治せないの? 神様でも無理なの?」
神様は「ウ~ン」と笑顔のままで言った。
「時ハ、誰ニモ戻セナイカラナァ~」
「時?」
「キミノオバアチャンノ病気ハ、時間ヲ戻サナイ限リ治ラナイ、時間ノ病気ダモノ。アノ竜ハモウ生マレチャッタシ、竜ハモウ、キミノオバアチャンノ時間ヲ食ベチャッタ」
「――よくわからないけど、無理なんだね」
神様はもう一度「ウ~ン」と言った。
「時間ハ戻セナイケド、コレカラ竜ヲ倒スコトハデキルカモシレナイシ、残ッタ時間ヲ守ルコトハ、デキルハズダヨ。消エタモノヲ嘆クヨリモ、残ッタ大事ナモノヲ守ルホウガ、イインジャナイカナ~」
神様は喋り方も表情も「お気楽」だった。でも、なんとなくいいことを言っている気がする。
「残った大事なものを守る――」
そうだ。本当にもしも、竜に食べられたものがもう二度と戻ってこないとしたら、考え方を変えなくちゃいけないんだ。
取り戻すことができないなら、これ以上食べられないように竜を倒すべきだ。
ううん。それなら、おばあちゃんが自分で――おばあちゃんっていうお凜さんが精一杯やって、毎日竜と戦ってるよ。それでも竜は、倒せないんだ。
それなら――。
おれは、手の中をじっと見つめた。
手の中にはいま、レシートに手紙を書いたばかりのペンがあった。
「そうだよ。書けばいいんだ」
名案を思いついた気がして、パッと神様を見上げた。
「神様、ありがとう。おれ、いいことを思いついた。そうだよ、書けばいいんだ。お凛さんに教えてくる!」
足が、鳥居へ向かって走り出そうとしてうずうずしてる。いますぐにでもお凛のもとへ向かおうと――。
神様は賽銭箱の上に腰かけて「サヨナラ~」と手を振った。
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