ニアミス Ⅰ

 江戸時代みたいな昔から、神社って変わらないんだ。


 高層ビルがたくさん建った令和の時代でも、こういう神社だけはなじんでるよね。一か所だけ昔のまま、古いままでも、誰も気にしない。


 お江戸の街と、昭和の街をとおってきた後に見ても、どっちの街にもしっくりなじんでいて、江戸時代の人も、昭和時代の人も、令和時代の人も、ちょんまげの人も、スーツの人も、スマートフォンを持った中学生も、みんなが同じように鳥居をくぐって、境内を歩いて、お賽銭箱が置いてある拝殿に近づいて、祈るんだ。お願いです。願いをかなえてくださいって。


 お賽銭箱には、前にペットボトルのジュースを買った時のおつりを入れた。


 二回お礼をして、パン、パンと拍手をする。その手を胸の前であわせて、祈った。


 どうか、お願いです。どうにかしてください。


 ――いやいや、「どうにかしてください」は、ちょっとテキトー過ぎるかな。


 じゃあ――どうか無事に、もとの世界に戻してください。


 それから――それから……どうか、お願いします。


 おばあちゃんの記憶を戻してあげてください。悲しいです。悲しすぎます。おれも悲しいけど、たぶんお父さんがとても悲しいです。おばあちゃん本人もです。


 だって、お父さんからすれば、自分のお母さんから忘れられちゃったってことでしょ?


 もしもおれだったら……これから無事に帰ったとしても、お母さんに「誰?」っていわれるってことでしょ? 


 「誰?」どころか、このご時世だよ。変な子、怖い子っていう扱いをされて、警察を呼ばれちゃうよ。実のお母さんなのに。小さい頃から面倒を見てもらったお母さんなのに。


 毎日ごはんをつくってもらって、お小遣いももらって、叱られて、怒り返して、喧嘩もして、でも、服が汚れたら洗濯機の前に置いておけば数日後にはきれいに畳まれて戻ってきて、ゲームが欲しいって頼んだら「勉強したらね」って返事が返ってきて、「ええー、またかよ」って文句をいったりして――なんていうか、「お母さん」は日常そのものなんだ。


 そのお母さんに「誰?」っていわれたら、おれの毎日の暮らしがなかったことになるっていうか――なかったことにはならないけど、グラグラしちゃうよね。


 そんなの、いやだよ、悲しいよ。


 手を合わせて祈りながら、想像すると泣けてきた。


 もしもおれが、お母さんから忘れられたら――そんなことを思うと。


 涙はふかなかった。神様の前だ。周りにも、誰もいないのだから、いいやと思った。泣いたのがバレた相手は、神様だけだ。


 お願いをした後は、お辞儀をしなければいけないって、神社に初詣のたびにお父さんやおばあちゃんから口酸っぱくいわれていた。「二礼二拍一礼」がお参りの基本で、そうしないと神様に失礼だって。


 これだけ念入りにお願いをしたのに、きいてもらえなかったら困る。だから、しっかり礼儀正しくしなきゃと、涙をこぼしたまま頭をあげて、深く頭をさげてから、涙をふいた。


 口には出さなくても、お願いをするのに胸のなかで言葉にすると、悲しくなるよね。神頼みするしかないくらい困ったことがあるんだと、しぶしぶ認めていく気分だ。


 はあ――と大きくため息をついた時。なんだか、変な気分になった。視線を感じた。


 ふと見上げると、賽銭箱の上に、人が乗っていた。


 でも、人のかたちをしているけど、人間ではないのだ。


 顔が変だ。目の前に現れた人の顔は、歴史の資料集に載っていた平安時代の絵に似ていた。おしろいを塗ったみたいに顔が真っ白で、眉毛がなくて、ちょんとまるい点が描かれていて、目が、狐の目みたいに細い。つまり、絵に描いたような顔をした人だ。


 驚いて、思い切り後ずさりをしたけど、背後は階段だ。賽銭箱の前のスペースに立つまで、三段ほど登っていた。つまり、足場がない。


「わっ!」


 ひっくり返りそうになるので、悲鳴をあげる。後頭部から落っこちるのはどうにか免れたけど、着地する時にバランスを崩して、思いっきり足を打った。


「いってえ」


 いてえ、いてえよ。けど、それよりも、賽銭箱の上にいた人が気になる。


「誰!」


 叫ぶと、賽銭箱に乗っていた人は、とぼけたように笑った。


「神様ダヨ」


 その人は、やっぱり紙に描かれた絵みたいだった。薄っぺらくて、ちょっとヒラヒラして見える。全身紙のような白一色で、賽銭箱の上に腰かけて足をぶらんぶらんしている。紙に墨で描いたような姿なので、目も鼻も口も首も輪郭も墨一色。線で書かれた着物を着ていて、髪は両耳のそばで輪っかの形に結われていた。


 おれは思った。


 ――なんだこいつ。絶対神様じゃねえ。


 でも、そいつはにこりと笑う。


「ダイジョウブ。神様ダヨ」


 背筋がぞっとした。いまおれ、口に出して言った? 思わず手のひらを唇に当ててみたけど、唇は上も下もしっかり閉じている。


 「神様ダヨ」と名乗った紙人間はニコニコと笑って、踊るように身体を左右に揺らした。


「キミの心ノ声、聞コエルヨ。オ祈リモ聞イタヨ。キミ、タクサン願ッタネ」


 さらにゾッとする。こいつ、心を読むのか?


 そいつはヘラヘラしていて、話し方も仕草もなんとなく子どもっぽくって、悪い奴じゃなさそうなんだけど、とりあえず紙人間なのが怖い。


 でも、そいつは心を読んだ。たしかに、もしも本当に神様がいたなら、神社にお参りにきた人が喋る声を聞いてるわけじゃないし、心の声を聞くのかもしれないよね。だって、みんな、お参りをする時は口を閉じてしずかに祈るもんね。「神様、どうか大金持ちにしてください」とか、お願いごとを声に出してお参りしている奴は、見たことないもん。


「あの――本物の神様?」


 たずねると、賽銭箱の上に腰かけた紙人間は、もともと笑顔に描かれた顔でこくんとうなずいた。


「ウン、神様ダヨ」


 ……と、いわれても。胡散臭い。


 でも、「あなたは詐欺師ですか?」って尋ねたら、本物の詐欺師なら「ううん、違うよ」って言って、認めないよね。


 とはいえ、いい人に見せかけた人に「あなたはいい人ですか?」って尋ねたら、「うん、いい人だよ」っていうだろうし――あれ、おかしいな。


 信じるべきか、どうしようか。


 かくなる上は――もう一度チェックだ。


 この、自称神様は、心が読めるっていってたよね。嘘じゃなくて、本当におれが考えていることが伝わったら、本物の神様かもしれないよね。


 おれは、こわごわとたずねてみた。今度は、目の前にいる自称神様の正体を探るつもりで。


「あの、おれのお願い聞いてたんだよね。叶う?」


 紙人間は、笑顔のままで首を傾げた。


「ウ~ン。最後ノ願イハ、叶ワナイナァ」


「最後のお願いって?」


 ごくりと、喉が鳴る。


 自称神様は、こくんとうなずいた。


「『オバアチャンノ記憶ヲ戻シテ』デショ? ソノ願イハモウ何度モ聞イタケド、無理ナモノハ無理ナンダ」

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