最後の手段は神頼み

 ここ――写真で見たことある。


 おれは、道の真ん中で、呆然と突っ立った。


 「キッチンうえだ」と描かれた看板が出た店は、おじいちゃんとおばあちゃんのお店だ。でも、覚えているよりもずっと新しい。目の前にあるのは、建てたばかりのようなピカピカの状態の店だった。


 思わず、来た方向を振り返る。床屋やラーメン屋が、まだ見えていた。かっこ悪いくらいのレトロな通りだけれど、つじつまが合った気がする。


 つまり――。いま歩いてきた通りは、おれが生まれる前の街なのかも――。現代は現代でも、まだおばあちゃんの頭の中なのかも――と考えたところで、身構えた。


 店の中から、声がきこえたのだ。


「こら、宿題はどうしたの」


 女の人の声だった。とっさに、逃げ出した。


 店の中にいる女の人っていったら、おばあちゃんじゃないか。きっと、若い頃のおばあちゃんだ。それに、おばあちゃんが「宿題はどうしたの」って怒るとしたら――。


(お父さんだ、お父さんがそこに――)


 店の中には、子どものころのお父さんがいるかもしれない。だから、逃げた。


 会いたくないとか、子どもの父さんを見たくないわけじゃなくて、むしろ、すごく見たい。子どもの頃の父さんは、いったいどんな奴だったんだろう? そりゃあ、気になるよ。


 でも、頭が追いつかない。ここで子どもの頃のお父さんまで見ちゃったら、おれの頭の中はハテナの爆撃で木っ端みじんになる。


(もう無理。ここはなんなの? お凜さん、助けて――)


 キッチンうえだからも古くさい商店街からも遠ざかるように、おれは走った。


 タッタッタッタッ――。と、ゴム底がアスファルトを蹴る硬い音が鳴る。


 足音は、時々消えた。ぐにゃっとスポンジを踏んだようにかかとが沈むことがあった。地面に、踏み心地が違う場所があったのだ。


 理由は、だんだんわかっていった。道の上にある時代がバラバラなんだ。そこの電柱から向こうの木までがお父さんが子どもだった時代で、その先がお江戸の世界とか、世界は道の上に点々と散らばっていた。パッチワークみたいに、つぎはぎ状に縫われたみたいだった。


 足がぐにゃっと沈み込んだと思ったのは、アスファルトがなくなって泥を踏んだからだ。砂利を踏む時もあった。


 そのどちらでもない、本当によくわからない部分を踏んだ時もあった。あまりにもぐにゃっと足が沈んで、地の底に沈んでいきそうになるので、ぞっと足元を見ると、きらきら光るゼリー状の地面が見えたこともあった。


 世界と世界のつなぎ目なのかもしれない。接着剤みたいな? よくわからないし、そんな妙なもの、できれば一生知りたくもない。その「接着剤」の秘密を知る時には死んでいそうな気もして、グニャッとした地面を踏むたびについつい悲鳴が出た。


 そのくせ、行き止まりも増えていた。


 道を走っていたら、突然行く手に真っ白な壁があらわれて、Uターンをしなくちゃいけなくなる。そういう行き止まりには竜に噛まれた歯型がしっかり残っていて、その先の世界ががぶりと噛みとられていた。


 間違いない。竜に食べられたせいだ。だから、街が狭くなっているんだ。


 つまり、おばあちゃんの頭の中にあった記憶が減っているんだ。


 それに、ごちゃごちゃになっていた。


 お江戸の世界と、おばあちゃんが若い頃の世界と、たぶんほかにも、いろんな時代の世界が、粘土をペタペタとくっつけたように隣り合っていて、なんというか、おばあちゃんの中に残った記憶が、唯一残った避難場所に逃げてきているような――。


 これは――まずいよ、とんでもないところに来ちゃった。


 ここ、どこ?


 まずい――おれは、迷子になった。お凛のところにいられればまだましだったのに、ハテナしか浮かばないめちゃくちゃな通りにまぎれこんでいた。


(お凜さんのところに戻らなくちゃ)


 走り続けるうちに、だんだんコツがわかってくる。


 危険なのは、グニャッとした地面だ。つまり、世界と世界のつなぎ目の接着剤みたいな部分だ。グニャッとした踏み心地が集まっている方向へ走ると、ごちゃごちゃの街に近づいてしまう。だから、しっかりした硬い踏み心地のところをいけばいいんだ。


 アスファルトの道路も危険だ。どこか妙なところにいってしまうかもしれない。


 お凛のところに戻るには、土の道がいい。お江戸の道だ。


 土の地面を選んで走り続けて、だんだん、周りの景色から、電飾やらアスファルトやらの現代風のものが消えていった。お江戸の街に戻ってきた。


(よかった、ここまでくれば――)


 立ちどまって、はあ、はあ――と息を整えたのは、大きな森の前だった。森は、神社の裏手にある。おれは、神社の前にいた。


 大きな鳥居が立っていて、「氷山神社」と彫りこまれた大きな石が置いてあった。


(この神社って、たしか)


 前にも通った場所だった。


 ――お参りにいこうかなぁ。神頼みっていう手もあるし。


 同じ場所にやってきて、そんなことを思ったことがあった。


 おれの足は、鳥居をくぐっていた。もちろん、神頼みをするためだ。


 もう神頼みしか方法がないよ。降参! そんな気分だった。

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