食べられた痕

 うすっぺらい布団の中で、目が覚めた。


 朝、目が覚めても、おれはまだお江戸の世界にいた。


「夢じゃ、ないのかぁ」


 炊き立てのごはんとお味噌汁で朝ごはんを済ませると、お凜と別れて、街を歩くことにした。


「あのさ、昨日の夜に竜に食べられた病院があっただろ? ああいう建物って、あそこのほかにないの?」


 出かける前にお凜に聞いてみたけれど、お凜は首をかしげてばかりだ。


「竜に食べられたビョウイン?」


「昨日、竜退治をした場所だよ。居酒屋の前の道をまっすぐいってさ――白い大きな四角いビルでさ、自動販売機があって――おれ、あそこの病院の郵便受けに手紙を入れたんだよ。あれと似たようなビルがどこかにないかなって――」


「悪いね。さっぱりわからないよ」


「もう忘れたの? 昨日のことだろ? だって、お凛さんたちがいた居酒屋からだって近いんだよ?」


 本当に忘れたのか、それとも、あの病院のビルのことをはじめから知らないのか、お凜はあまり頼りにならない。


 だから、自分で調べにいくことにした。


 竜に食べられたあのビルが、復活していないかな――そうじゃなくても、似たようなビルを見つけたら、今度こそまともな手紙を書こう。レシートや、財布の中に入りっぱなしだったチラシの枚数も数えてある。ペンも、もちろんもってきた。


 昨日と同じ道順で居酒屋の前をとおって、行ったはずの場所へと小走りで向かうけれど、たどり着いてみて、おれは愕然とした。


 そこに、病院のビルはなかった。


 でも、たしかに病院のビルがあって、竜に食べられたせいで消えてしまったんだな――と思い知らせるものが残っていた。


 そこは、真っ白になっていた。


 データをダウンロードしたものの、なにかのエラーが出てうまく表示されなかった時みたいに、街の一角だけが、ぽっかりと真っ白に染まっていた。


 台風や工事で無理やり崩されて地面の土までえぐれている……というふうでもなくて、「そこだけデータが読み取れなくてからっぽになっています」といわんばかりのおかしさで、居酒屋の向こう側にある一画だけが、まるごと真っ白になっていた。しかも、異様に真っ白な区域の周囲は、ギザギザにえぐれている。そのギザギザの形がなにを意味するのか、ぴーんと来た。


(竜の歯形だ)


 この一角だけが、本当に竜に食べられてしまったんだ。


 竜に食べられるとこうなるのか――と、うすら寒い思いもする。


 怖くなって、引き返すことにした。


(手がかりだと思ったのに――。でも、もしかしたら、他にも現代の街が残っている部分があるかもしれない。ペットボトルのジュースが買える自動販売機だってあったんだ。現代とつながっていたかもしれないよ。とにかく、もとの世界に帰るヒントだ)


 もとの世界へ戻る手がかりは残っていないかと、お江戸の街を探し回った。


 居酒屋の前にある通りを端までいって、戻って、角を見つけたら曲がって、道なりに進んで、横道に入ってはまた戻って――。


 通りを行き来しているうちに、昼になる。


 太陽が真上にのぼったのを見上げてしょんぼりしていると、すれ違ったおばさんが声をかけてくれた。


「あぁ、彗ちゃん。お凜さんが探してたよ。そろそろ昼飯にしようって」


「そうですか、はい」


 お礼をいって、凛の家に戻るころには、さんざん走り回ったせいで、千住の街がすっかりなじみのあるものになっていた。自分の足で歩くと、道がどれだけ複雑でも、身体で覚えるものなんだな。


 千住というその街は、人が多くて、まあまあ広かったけれど、端から端までは歩いて行き来ができるくらいだ。


 あっちには野菜の市場、こっちには魚の市場、そっちには船着き場、この通りをいけば床屋さんが並んでいて、馬小屋があって、宿屋さんが並んでいて、そっちは人が多いけど、こっちのほうはそこまで賑やかでもない――と、街の様子も、だいたい覚えた。


 でも、昨日竜に食べられてしまった病院のような現代的なビルは、どこにも見当たらなかった。


 困ったなぁ。――そうだ。困った時は警察に相談だ。


「あの、警察ってどこですか」


 街ゆく人に訊いてみたけれど、まず「警察」が通じない。


「ケイサツ? なんだそりゃ」


「えっと、悪い奴を捕まえたり、困ってる人を助けたりしてくれる人がいるところで……」


「番屋かな? 喧嘩の仲裁をやってくれる奴がいる場所なら、街の端だよ」


 「そうだ、おまえさんは迷子だってお凜さんが言ってたもんなぁ」と、話しかけたおじさんは気前よく「番屋」まで案内してくれた。


 けれど、たどり着いたそこは、「警察」とは全然違う場所だ。


 千住の街の端っこには、街の中に続く道を閉ざす大きな門がある。おじさんに案内されたのは、その門のそばにある小さな建物で、「番屋」という、この世界でいう交番らしい。


 でも――。番屋の軒先には、ろうそくや、油や、紙風船など、いろんな雑貨が並んでいる。交番というよりはコンビニだった。


「ごめん、おれが探していたところは、ここじゃなさそうだ」


 結局、家に帰るヒントは見つからなかった。手紙を入れた病院の謎も残ったままだ。


 手がかりが一切つかめない状態は変わらないけれど、この世界に警察署がないことくらい、もとから想像はついたんだ。「見つからなかった。諦めて次にいこう」と、気分転換をするにはちょうどよかった。


 わかってたよ、一応探してみたかっただけだよ――と、自分で自分を慰めながら、お凜がいるときいた居酒屋まで、道を戻ってみる。


 大丈夫かな。おれ、ほんとにもとの世界に帰れるのかな。

 お父さんとお母さん、心配してるだろうなぁ――。

 いっそのこと本当に全部夢だったらいいのに。


 あぁ、もう、どうしよう――と、歩きながらもんもんとした。


「はあ、どうやったら帰れるんだろう」


 とぼとぼ歩きながら、ふっと目がとまった場所があった。千住の街には家が密集して建っていたけれど、一か所だけ、森のような場所がある。森の内側には立派な屋根が見えていて、森の入口には、大きな赤い門があった。鳥居だった。


「神社か――」


 そっか。江戸時代みたいな昔から、神社って変わらないんだな。


 交番の代わりが「番屋」だったり、電灯の代わりがろうそくだったりと、この街とおれが知ってる現代の街じゃ、違いがたくさんあったけれど、神社だけは、まったく同じだ。おれが知っている姿とまるっきり同じ姿で建っている神社に、すこし胸がほっとした。


 そういえば、お寺もそうか。お凛の家の近くにある赤門寺あかもんでらも、おれの記憶にあるお寺とまあ似ていた。


 神社のこんもりとした森を、通りに並ぶ長屋の屋根越しに眺めながら、思った。


 ――お参りにいこうかなぁ。神頼みっていう手もあるし。


 でも、足を向かわせようとまでは思わなかった。なんとなくいまはそんな気分じゃなくて、通り過ぎた。

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