ここは宿場町、大千住

 お凜と一緒に歩くことになった通りには、店がたくさん並んでいた。通行人も多くて、にぎやかな商店街なんだろうな。


 店は、全部木造。通りの地面は土がむき出しの状態。コンクリートの建物は一軒もなかったし、背の高いビルもないし、アスファルトの道路も、マンホールもない。


 店を通り過ぎるたびに建物の中をのぞきこんでみたけれど、少なくとも、建物はではなさそうだ。昔からここに建っているような、年季の入った柱や屋根が見えた。


 ――なら、なんだよ。まさか、本当にタイムスリップだとでもいうわけ?


「あの、お凜さん。今って、何年?」


 いまは、二〇二十年。いまいるここが万が一、本当にもしも江戸時代だったとしたら――。


 たしか、徳川家康が豊臣軍と戦った関ヶ原の戦いが一六〇〇年で、江戸幕府を開いたのが一六〇三年のはず。江戸時代が終わった年は、ええと……覚えてないけど、そのあと明治時代がはじまって、ええと…とにかく、江戸時代だったら一六〇〇年代とか、一七〇〇年代とか、とにかく、二〇二十年とは千の位の数字が違うはずだ。


 お凜は、きょとんとした。


「何年?」


「わからないのかな。だよなぁ、わかってる。お約束ってやつだよなぁ」


 こういうやり取りは、見たことがあった。漫画とかアニメとかで、「テレビってなに?」みたいな、現代の言葉とその世界の言葉が違っていて、うまく通じないってやつだ。


「じゃあ――」


 手がかりを探して、通りに並ぶ店を見渡してみる。ずらっと連なった軒先のほとんどには、木製の看板やのれんがかかっていた。


 〇千住宿 海苔屋

 〇千住本宿 いせや


 ざっと見渡しただけでも、「千住」と書かれた看板があちこちに見える。わざわざ看板に「千住」って書くってことは、つまり――?


「ねえ、お凜さん。ここって、北千住?」


 ここが北千住なら、時代だけが変わってしまっているのかもしれない――信じられないけど。というより、信じたくないけど。


 歩きながら、お凜は「北千住?」と首を傾げた。


「北――というか、千住宿せんじゅしゅくだよ」


「千住シュク? 北千住じゃないの?」


「北側だが、本宿ほんじゅくだよ」


「ホンジュク?」


「ああ、ここが本宿ほんじゅく、もう少し先が新宿しんじゅく、荒川をはさんで、お江戸側が南宿みなみじゅく、ぜんぶあわせて千住八か町、つまり、大千住だいせんじゅさ。このあたりの本宿は北側だから、まあ、北側の千住といえないこともないだろうけどねえ」


 もう少し先が新宿しんじゅく、荒川をはさんでお江戸の街側が南宿みなみじゅく、北側が本宿ほんじゅくで、あわせて千住八か町――大千住だいせんじゅ


 荒川って、川の名前だよね? そもそも、荒川っていう名前のその川が、どこを流れるどんな川かも、おれは知らないのだ。近くに大きな川が流れていたのを見た覚えはあるけど、なにしろ来たばかりで、川が街のどっち側を流れているのかも知らない。


 歩いていくと、やがて、真っ赤な門が見えてくる。


 どっしりとした門柱に、門柱と同じ朱色に塗られた扉と、細かい飾りがたくさんついた豪華な屋根。門とはいえ、屋根がついていて、とても立派な姿をしている。瓦屋根の向こう側には、鐘撞堂も見えた。


 ――赤門寺あかもんでらだ――。


 知っているお寺だった。


 真っ赤な山門が目立つそのお寺だけは、覚えていたのだ。おばあちゃんの家に来るたびにこのお寺の前を通ったので、おれにとっても道しるべのようなお寺だった。


 赤門寺あかもんでらの周りには人がいて、「お凛さん」と、近づいてくる。お凛の周りにはあっという間に二十人くらいの人の輪ができた。


「お凜さん、やったなぁ。どこも食われずに竜を追い払ったじゃないか」


 がははは、と笑ったおじさんは、右手に壺を持っていた。壺には、でかでかと「酒」の一文字。ってことはつまり、中に入っているのはお酒かな?


「そこの町会所まちかいしょに宴席を用意したから、みんなで祝おうじゃないか。酒もたんまり用意したぞ。いやぁ、めでたい!」


 おじさんは気分が良さそうだ。完全に酔っ払いだな。まだ昼間なのに。


「めでたいもんか! うちの屋根がやられちまったってのによ」


 泣きそうな顔をしたおじさんが喚いている。おじさんの着物には大きく一字、「魚」。こっちは、魚屋さん? 


 ――あっ、と気づいた。さっき、竜に屋根を食べられた店が一軒だけあって、街の人たちが「魚屋がやられた!」って騒いでいたっけ。


 つまり、この人が屋根が食べられちゃったお店の主人ってこと? それは、かわいそうに。このおじさんのお店だけが被害にあったってことだ。


 魚屋のおじさんは、集まったおじさんたちから「まあまあ」と慰められていた。


「屋根くらい、造り直せばいいだろうが。魚売りも大工も無事なんだからよ」


「そうだ。大工さえいれば、もう一度建てられるさ」


 さあさ、宴だ。飲もう、騒ごう! と、いつのまにか、赤門寺の前は大賑わいだ。祭りの縁日みたいに、大人も子どもも大勢が集まってきた。


 いつのまにか、楽団も到着していた。笛と太鼓のお祭りのお囃子のようなメロディーにあわせて、気分よさそうに踊る人もいる。


 にぎやかだなぁと、きょろきょろしていると、腕を引かれる。赤い羽織を着た和服姿の女の人、お凜だった。


「迷子になっちまうよ。こっちにおいで」


 お凜に手を引かれて進みはじめた途端のことだ。ざざっと、人が避けた。歩行者天国みたいに、路上で飲み食いしていた人たちが、揃って道の端に寄った。お凜のために道をあけたのだ。あと、お凛と一緒にいたおれのために。――ちょっと、いい気分だ。まあ、おれは完全にオマケだけど。


「お凜さん、その子だあれ?」


「不思議な着物ね。姐さんの知り合い?」


 道端のあちこちから集まる視線と、声。お凜はぐるっと見渡して、みんなに言った。


「さっき、ちょっとね。迷子だから、私の預かりにしたんだよ」


 お凜は、まるで芸能人のようだった。歩けば人はお凛のために道を空けるし、お凛を向く目も、みんなうっとりして見える。


 たしかにおれも、この人は男顔負けにかっこいいと思う。背中に大きな弓矢を背負って、軽々と扱って、そもそも、この祭りがひらかれたのも、お凛とお凛の仲間が黒い竜を追い払ったからだ。


「それで、坊主、あんたの名前は?」


けい――です」


 答えると、お凛は、にこりと笑った。


「彗? そう、彗」


 目が合ったその瞬間、気が遠くなった。


 お凜はもともと、テレビに出ている女優さんと比べてもひけをとらないくらい、きれいな人だ。でもいま、おれは、お凛の笑顔にべつの人を重ねた気がした。


 とても懐かしい人だ。前にどこかで会って、優しい笑顔を向けられたような――。


『彗――彗くん。こっちにおいで』


 そんなふうに、笑顔のこの人から名前を呼ばれた気がした。何度も、何度も。

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