食べられてたまるか

 あんなのに食べられたら、たまったもんじゃない。


 いっそう悲鳴が大きくなるけれど、いまなら、みんなが叫びたい気持ちがわかる。

 街にあふれた悲鳴の意味は「助けて!」だ。もしくは、「殺される!」「食われる!」「消される!」。


 そりゃ、騒ぐよ。

 竜に噛みつかれた屋根を見れば、一目瞭然だ。噛まれたところだけ、きれいに消えている。

 もしもおれが噛まれたら、あんなふうにきれいさっぱり欠けちゃうってことだろ? 

 例えば頭だけが噛み取られたら――いやだよ、そんなの。竜の歯型を付けたままで過ごす人生なんか。


「おばさん、いこう」


 腕を引いてくれた女の人の腕を引いて、走り出す。


 通りは広かったけれど、なにしろ、大勢が同じ道を使って逃げている。すぐそばに人がいるので、振った肘が隣の人と当たったり、走り込もうとした先に割り込んでくる人がいたりして、全速力では走れないものだ。


 そのうえ、時々は誰かが叫ぶ。


「竜が……こっちにきやがるぞ!」


 そのたび、エエエ?と人がどよめいて、前を走る人が足を止めるもんだから、みんなぶつかって止まる。


「いいから走れよ! 追いつかれるぞ」


 ヤジも飛んで、悲鳴と叫び声が混ざり合って、通りは大混乱だ。


 さらに、前のほうが騒がしくなった。


「どきな、赤門衆だよ、どきな」


 みんなが逃げていく先から、人ごみをかきわけて走ってくる人の集団がいた。


「赤門衆だ、姉御だ」


「やっちまえ、姉御」


 駆けてくる人たちはみんな、揃いの赤い着物を羽織っていた。ほとんどが男の人だったけれど、先頭に一人だけ女の人がいる。その人の顔を見つけて、「あっ」と声が出た。北千住の裏通りで会った、あの女の人だった。


「どきな、みんな下がりな」


「姉御、お凜の姉御!」


 女の人は有名人のようで、みんなから「お凜の姉御」と呼ばれていた。


 手に、大きな飾りを持っている。長い棒にひらひらした紙と布がたくさんついていて、それを振り回し、一緒に駆けてきた男たちに号令をかけた。


「みんな、やっちまいな! あの竜を追っ払うんだよ!」


「へえ!」


 野太い声が揃って、お凜という人が振る飾りの左右を、男たちが駆け抜けていく。走り方も、腕の振り上げ方も、見事に揃っていた。右手の肘を曲げて、手の平を腰のあたりへ――腰に差した刀の柄を握って、刀を抜いた。


 シャキーン! 金音が鳴って、振り上げられた日本刀の刃が、同じ角度で空を向く。刀を抜いた男たちは、空にいる竜に向かって飛び出していった。


 おれは、思った。――この人たちは、あれだ。侍だ。


 うしろ姿しか見えなかったけれど、おびえもせずに戦いを挑んでいく侍たちは、かっこよかった。でも、相手は空に浮く竜だ。刀で戦えるのか――。そんな心配も、あっという間に吹き飛んだ。


 忍者のように素早く走った男たちは、かるがると家の屋根にのぼり、屋根の上を駆けた。そのうえ、飛んだ。アクションスターのように高くジャンプをしては、シャキーン、シャキーンと、空に浮いた竜に斬りかかっていく。


「その調子だ。ひるむな、いけぇ!」


 お凜という人も、侍を追いかけていく。竜の影の内側、竜の口が届きそうなほど近くへいって、飾りの棒を振り、声を出しつづけた。それどころか、戦った。


 お凜は、背中に弓矢を背負っていた。弓は大きくて、女の人には大きすぎるように見えたけれど、ものともしない。肩から背負った筒の形の入れ物にぎっしりと入った矢の中から一本を引き抜くと、身長ほどもある大きな弓につがえて、上空の竜に向かって、ビュンと射た。


 矢は、命中。


 街中から歓声が上がるけれど、お凛は真顔のまま。さらに新しい矢をつがえて、射た。


「あの竜に勝手を許すんじゃないよ。追っ払え!」


 声も、立ち姿も、なんとも勇ましい。なんてかっこいい人なんだ――。


 こんな女の人がいるんだ――と圧倒されて、いつのまにか逃げるのを忘れていた。


 でも、見惚れたのは、おれだけじゃなかった。一緒に足を止めた人が大勢いて、赤い着物を着て真っ黒な竜と戦うお凜たちに、大きな声援を送った。


「がんばれー! お凜さん、竜をやっつけて!」


 竜は、挑みかかってくる小さな人間をうっとうしがるように頭や尻尾を振り回したけれど、日本刀や矢をよけるように、だんだん空の高い場所へ向かってのぼっていく。そして、ついに――。声援が、歓声に変わった。


「やった! 竜が去ったぞ。お凜さん、ばんざい! 赤門衆、ばんざい!」


 青空を隠すようにして空に浮いていた黒い竜が遠ざかっていき、姿が小さくなると、街中の人が拍手をして、戦い手の健闘をたたえた。





「ふう。ひと安心だね」


 笑顔で戻ってきたお凜を出迎えるように、何人もが輪をつくっていた。


「お凜さん、お疲れ様です。これをどうぞ、冷や水です。喉を潤してください」


「気が利くじゃないか。ありがとうね。悪いが、みんなにもふるまってくれるかい。お代はつけといてくれればいいから」


「いいんですよ、お代なんか」


 お凜に駆け寄った男の人は、抱えていた桶からひしゃくで水をすくっている。手にあるのは、竹製のコップ。桶のそばに小さな旗がなびいていて「冷や水」と書いてあった。「水」っていうことは、ミネラルウォーター屋さん、かな?


「あの――」


 おれも、近づいていった。


 たしか出会った時、お凜はこんなことを言った。


『おまえさんに会いにきたんだよ』


 時代劇のセットのような街にいるのは、もしかしたら、この人のせいかもしれない。いったいここがどこで、どうしておれをここに連れてきたのかを問いたださないと。帰り方も聞かなければいけない。


 でも、近づいていくと、お凜は、大きな目をどんどんまるくしていく。面白いものを見るように、笑った。


「おや、おまえさん、妙な恰好をしてるね。どこからきたんだい?」


 「えっ」と声が出そうになったのを、必死でのみ込んだ。おれがどこからきたかを、この人が知らないわけがないのに。きっと、からかわれているのだ。


「北千住ですよ」


「北千住?」


「おれ、小さな路地であなたに会って、それでここへ――」


「あたいに会った? あたいが、おまえさんと?」


 お凜は、はじめて出会った人にするような顔をした。


「あたいにかい? 人違いじゃないかい? あんたみたいに妙な恰好をした子なら、会えば絶対に忘れないと思うけどねえ」


「――おれのこと、覚えてないの?」


「ううんと――わかった。前は今みたいな恰好じゃなかったんだろう。様変わりしちまったから、きっとわからないんだ」


 唸ったあとで、お凜は名案を思い付いたようにいったけれど、おれはかえって暗くなる。


「いまと同じ格好だったよ。会ったのはほんの十分前くらいだもん」


「じゅっぷん?」


「うん、ちょうど十分前だ。たしか、通りで時計を見たから。ちょうど三時だった」


 くせのようにバッグを探して、スマートフォンを取り出そうとファスナーに指をかけるものの、はっと気づいた。


「そっか。時間の呼び方も違うのか」


 ここは、たぶん江戸時代とか、明治時代とか、とにかく、二〇二〇年よりもずっと古い時代に見えた。スマートフォンを見せたところで理解してもらえないかもしれないし、そういえば、時間の呼び方も現代とは違うと、マンガで読んだことがあった。たしか、「子の刻」とか「丑の刻」とか、ナントカの刻っていう呼び方をするはずだ。


 どうしよう。なんて説明をすればいいんだろう。


 無言でいると、お凜は「ははっ」と笑った。


「しょぼくれた顔して。大丈夫だよ、あたいとおまえさんは、いまはじめて会ったかもしれないが、もう会っちまったんだから、知り合いだよ。それに、あたいはおまえさんのことが気に入ったよ。面倒なら見てやるから。そんなに落ち込むな。な?」


 あっけらかんといって、手にしていた竹のコップから水をぐいっと飲み干すと、ちょいちょいと手招きをした。


「ついてきな。寄り合いにいくよ」

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