食べられた街
まるで、洗濯機の中に放り込まれたみたいだった。
頭の先から足の先まで、ベッタベタのネッチョネチョ。
気持ち悪いスライムの風呂に無理やり入れられたみたいで、気持ち悪いベトベトの中を、ありったけ引きずり回される。
時々、ストローでシェイクを吸い上げた時みたいに、ズボボボボボっていう水音が、耳もとで響いた。
真っ黒な竜に食べられて、その後がこれってことは――? ストローに吸われるようにして、竜の身体の中を通っている……?
よくわからない。わかるわけないし、想像しただけで気持ち悪い。
だって、口から食われて、奥へ奥へ進んでるってことは、向かう先は胃袋? そして、胃袋の次はウンコ――竜のウンコになるのか、おれは!
その間も、身体は吸い込まれ続ける。ベッタベタのネッチョネチョにもみくちゃにされながら、ズボボボボボ……と、耳が壊れそうになるほどうるさい、水音の騒音地獄。ベッタベタのせいで身体がまったく動かなくて、手もあげられないから、うるさいのに、耳をふさぐこともできない。
うるさい、気持ち悪い、うるさい、助けて――。口も動かせないので、胸の中で喚き続けているうちに、ある時、スポーンとラクになった。
真っ暗なストローの内側みたいな場所から、広い場所に放り出された。身体をもみくちゃにしていたベッタベタのネッチョネチョが消えて、腕のあたりに、ふうっと風を感じる。視界の隅っこに、青空も見えた気がした。
「あいて」
気づいたら、地面に転がっていた。
狭い小道にいて、木の壁の下で尻もちをついている。通路くらいの幅しかない狭い通りで、ボロボロの木造の家が、奥のほうまでぎっしりと並んでいた。
夢――? いや、立ったままで普通は寝ないから、夢も見るわけない。でも、さすがに――やっぱり、夢?
時代劇に出てくるような女の人に出会ったり、自分そっくりの少年が飛んでいくところを見たり、家より大きなサイズの黒い竜に狙われたり、食べられたり――。
こんなことが、現実にあるわけない。あるわけが――。
まあ、夢だとしても変すぎるけれど。
もう夢でいいや。夢ってことにしようよ。かんべんしてよ。もういいよ――と、降参するようにそろそろと顔を上げていくけれど、また、目が見開いた。
夢は、まだ終わっていなかった。
おれが座り込んだ場所は、北千住の街の裏通りで、ボロボロの民家のそば――それは、変わらなかった。でも、街の様子がおかしい。
裏通りの先に、広い通りが覗いていた。さっき曲がってきたはずの賑やかな商店街に似ていたけれど、さっきまでとは様子が違う。
なにが違うって、通りを行き交う人の姿がおかしかった。みんながみんな、時代劇に出てくるような格好になっていた。
時代劇風の着物を着て、男の人の髪はちょんまげ。女の人も、時代劇に出てくる登場人物の髪型をしている。
人だけじゃなかった。街中が、時代劇のセットみたいに変わっている。古くてボロボロと思っていた家は、よく見ればそこまで古くなかった。「木造の家=古い」って思いこんでいただけで、家の壁になった木材には新しいものもあった。
通りそのものの雰囲気がこざっぱりとしていて、隙間を奪い合うように道に張り出していた店舗の看板も、なくなっている。
看板だけじゃなくて、いろんなものが消えていた。路面の黒いアスファルトが消えて、茶色い土の道になっている。路上に点々とあったマンホールのふたも、消えている。古い民家を隠すように建っていた背の高いマンションや、電柱や、電線も、なくなっていた。
つまり、現代の技術が消えていた。
まるで、むかしの時代にタイムスリップしたような。
うそだ――テレビ番組って、ここまでやるの?
夢? 立ったままだと普通は眠れないから、夢なんて突然見られないけど――って、自分に言い聞かせるのも、もう何回目?
社会科の資料集で見たような木造の古い家や質素な街並みを、呆然と目で追いかける。
テレビ番組のセットにしちゃ、本気過ぎだ。建っている家も、張りぼてにしては手が込んでいたし、小路の向こうの通りには、同じような木造の家がぎっしりと並んでいる。北千住の街ごと――ううん、東京都ごと変わってしまったようだった。見渡すかぎり、マンションみたいな背の高い建物は一軒たりともなかったし、瓦屋根の彼方には、見慣れた形の山まで見えていた。
――間違いない。あれ、富士山だよね。……嘘だろ?
――これがテレビ番組のセット? 劇のセットみたいな、張りぼて?
彼方に見えている富士山や遠くまで続く街が、幕に描かれた背景画や張りぼての大道具だったら、近くまでいけば、さすがにわかるはずだ。工作みたいに貼り合わせた跡が見えるはず。
とりあえず、近くまでいってみよう――と、立ちあがることにした。
周りの建物をじろじろと見ながら歩いて、広い大通りに出た時。大声を聞いた。
「逃げろ! くるぞ」
男の人の悲鳴だった。すぐに、悲鳴が重なる。
「逃げろぉ、くるよ!」
「あっちへ逃げろ!」
たちまち、通りにいた人がみんな、同じ方向を向いて走りはじめる。バタバタバタ……と、駆け足の音と押し寄せてくる人に驚いて立ちすくんでいると、手を引っ張ってくる女の人がいた。
「あんた、なにしてんだい。さっさと逃げな。くるよ!」
女の人は着物を着ていて、時代劇のかつら風の髪を、手ぬぐいみたいな薄い布で覆っていた。大きな籠を背負っていて、籠からは大根が覗いている。
大根は、偽物のプラスチック製ではなかったし、おばさんが着ている着物も年季が入っていて、たまたま着せられた衣装には見えなかった。籠も、履いている草履も、ところどころ土がついたりしていて、妙にリアル。偽物には見えなかった。
「えっと……あの――」
――偽物に見えないって、どういうこと?
――じゃあ、ここは何? おれはどこにいるの?
もう、偽物のほうがよかった。テレビ番組にだまされていたかった。
まごついていると、おばさんが怒り出した。
「なにしてんだい、さっさと逃げるよ。黒い竜がきてるんだよ!」
「黒い竜?」
通りには、悲鳴が重なっていた。
みんな、恐ろしいものを見るようにうしろを振り返って、同じ方角へと走っていく。
おれが覚えている「一番死に物狂いに走った思い出」は、運動会のクラス対抗リレーのバトンパスの間際だったけれど、周りを走っている人たちは、その時よりも真剣だ。恐怖で顔を引きつらせて、ギャーとか「早く走れ!」とか、喚きながら走っている。
振り返ってみると、街の上に、なにかがいた。
真っ黒い雨雲――にも見えたけれど、形が違う。真っ黒で、蛇のように長くて、海中を泳ぐウミヘビみたいに身体を波打たせながら、瓦屋根の上空を滑っている。青空を巨体で覆い隠すようにいったりきたりしていて、大きな口を開けて、白い牙を見せつけては、通りを逃げる人間を、ぽっかりとあいた穴のような白い両目でじっと見下ろしている。
獲物を狙うようなその目に、覚えがあった。
「あの竜だ」
そうだ。おれはさっき、あの竜に食われたのだ。
――逃げなきゃ。
また食われて、あのグッチャグチャのネッチョネチョに吸い込まれるのはごめんだ。
必死に逃げる人たちと一緒に走り出そうとした、その時。悲鳴がひときわ大きくなった。
「食いやがった! 魚屋がやられた!」
エエッと、人のどよめきが重なる。悲鳴で、街が震えたほどだった。
大勢の頭が、揃って同じ方向を向いた。つられてうしろを振り返ると、竜の口が、建物の屋根に噛みついていた。竜に噛みつかれたところだけ、屋根がごっそり消えている。まるで柔らかいケーキに食らいついたように、竜の口が噛みついたところだけ、噛み跡の歯型どおりに屋根の一部が消えて、なくなっていた。
――まじかよ。
唖然として、しばらく見つめた。
その竜は、建物も食べるのだ。それも、まるでケーキを食べるみたいに。
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