食べられたおれ

「すみません。その、人がいると思わなくて――」


「次は、人がいないとこで蹴んな」


 女の人はむっとしていたけれど、「しかたないねえ」と笑った。


 蹴った石が当たったなんて、激怒されて当然だ。警察、もしくは、親を呼ばれてもおかしくなかった。でも、どうやら、許してもらえた。最悪の事態はまぬがれた。


 ほっとしたせいか、その人をじろじろと見てしまう。「見るな」といわれても見るに決まってる。


「あの、撮影――ですか?」


 女優さんかな? なにせ、時代劇の登場人物みたいな格好をしているのだ。


 女の人は笑った。


「いいや? おまえさんに会いにきたの。どうしても、どうしても会いたくて」


 おれ? と、その人を見上げた。


 その人も、じっと見つめてくる。目と目が合うと、ぼんやりした。その人の目がとっても優しかったからだ。


 きれいな女の人だった。テレビに出ていてもおかしくないくらいで、歌番組に出ているアイドルほど若くないけれど、お母さんよりも若く見える。


 ぽかんと見上げた先で、その人はにこりと笑った。けれど、次の瞬間、姿が消えた。赤い着物も、時代劇みたいなかつらも、なんにもなくなった。その人の脚にぶつかったはずの石だけが、路上にぽつんと落ちていた。


「あれ?」


 なんで。どうなった?


 夢?――なわけない。アニメやマンガで、ふしぎな目にあった登場人物がよく「夢?」というけれど、普通、立ったままでは寝ない。百歩譲って、本当に夢を見ていたとしたって、ただでさえしっかりした夢なんてちょくちょく見るもんじゃないのに、これだけリアルな場所を舞台にした夢を見るなんて、都合が良すぎる。夢のはずはない。


 テレビの撮影? 人をだまして驚かせて面白がる番組かな?


 一瞬で隠れられるような仕掛けがどこかにあって、さっきの女の人は、忍者みたいに逃げ込んだ?


 そういえば、現れた時も突然だった。この小道に入った時、たしかに誰もいなかったのに、さっきの女の人は突然目の前にいた。


 もしかして、本当に撮影?――さすがは大都会だ。ひどい街だな。


 それなら、その仕掛けを見破ってやる。


 意気揚々と左右を見回したけれど、またおれは、目を見開いた。誰もいないと思っていた通りに、もう一人、人がいるのを見つけたからだ。


 さっき見つけたのは時代劇に出てくるような女の人だったけれど、今度は、鏡を覗いたかと思った。自分にそっくりな子どもが立っていて、見覚えのある白いパーカーを着て、ジーンズをはいている。


 胸騒ぎがして、そっと自分の格好を見下ろした。白いパーカーと、ジーンズ。目の前に現れた少年が着ていたのは、いまおれが着ている服と、まったく同じだった。


 もう疑いようがない。これはテレビだ。絶対テレビ番組の撮影で、どこかにカメラがあって、おれがビックリしてるところを見てる奴がいるんだ。


 そうか、なら、こいつもテレビ局の人だな。もしくは、驚かせるために大きな鏡が置かれているんだ――と、おれは、目の前に現れた少年を睨みつける。


 つぎの瞬間。また、ふしぎなことが起こる。


 その子の身体が、ふわりと浮いた。


 薄暗くて狭い路地のそらに、白いパーカーとジーンズ姿の少年が、シャボン玉のようにフワッと浮かんでいく。それどころか、スニーカーのつま先で、地面を蹴るように空気を蹴って、さらに高い場所へと飛びあがった。


 二階あたりまで飛びあがるので、目で追ううちに、顎が上がる。すると、さらにとんでもないものを見つけた。真上に、黒い塊があった。しかも、とんでもなくでかい。


 商店街の通り一つ分はあるんじゃないかという化け物じみた大きさで、竜のように身体が長くて、顔がついている。とにかくでかいので、顔の部分などは、建物の屋根一個分くらいあった。竜のようだと思ったけれど、「そうかも」と思えば、竜にしか見えない。顔の形はトカゲのようで、首から下は蛇のように長くて――。


 なんだ、こいつ――。


 テレビカメラを探してやろうとか、仕掛けを見破ってやろうと思っていたけれど、そんな余裕はなくなってしまった。


 竜の形をした黒い塊の頭の部分には、白い目が二つついていた。その白い目がじっとこちらを見ている――それに、気づいたからだ。


 グルグルグル……。唸り声が聞こえる。


 とっさに「狙われた」と怖くなった。唸り声の意味なんか、もちろんわからなかったけれど、竜の目は、獲物を狙っている目だ。


 ――狙われてる――誰が? 

 ――おれだ。おれだよ。

 ――ここにはおれしかいないんだから――おれが、狙われてるんだ。


 胸が、どきどきと高鳴る。緊張して、どんどん怖くなった。


 竜の口が、大きく開いていった。グルグル……と唸りながら、どこもかしこも真っ黒い頬が上がっていくと、白い牙が見える。奥歯まで見えるほど口が開いた時、頬のあたりが、一度波打った。ぶるんと震えると、ウェーブを起こすみたいに、頭のあたりから尻尾のほうへと揺れが伝わっていく。あぁ、揺れてる――動いてる、長い、あんなに遠いところまで身体が続いている――と、気が遠くなるように見ているうちに、ふっと身体が寒くなった。


 真上に、影が落ちていた。黒い竜が、顎を載せていた屋根から首をもたげて、鼻先を突き出し、前のめりになった。おれの真上まで顎を伸ばして、真っ暗な影を、おれに落とした。


 グルグル……唸り声にあわせて、竜の口が、いっそう大きくひらいていく。口の奥にのぞいた竜の喉は、ドロドロした沼の底みたいで、黒くてギラギラしたものがうねっている。


 口を大きく開けたまま、竜がさらに首をもたげる。


 ――なんで?

 そいつが獲物を狙ってるからだ。


 ――誰を?

 その竜が狙っているのは、おれ。

 そうだ。なら、口を開けたのはもちろん、食べるためだ。


 食べるって、誰を? ――うそ。


 それに気づいてしまうと、怖くて、一歩も動けなかった。まったく動けないおれに向かって、竜は大きく開けた口を近づけてきて、白い牙で挟んで、口の中に入れた。


 つまり、おれは、食べられた。

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