フジヤマ・ダイブ

円堂 豆子

人生最悪のゴールデンウイーク


 生まれてきてから十二年と八か月。

 中学一年生。人生最悪のゴールデンウィークが終わろうとしていた。



 何が最悪って、家が最悪だ。二日前に引っ越したばかりで、家の中は段ボールだらけ。


 自分の部屋もない。あるにはあるけれど、山積みの段ボールと、これからタンスに入るはずの服で埋まっている。おかげで、居場所もない。


「ごめんね。彗の荷物の整理はもうちょっと待ってね。先にリビングを使えるようにするから――」と、お母さん。


 お父さんは、苛立った時の顔をした。


「彗、おまえも手伝えよ。ゲームばっかりして――」


「だって、おれの部屋はまだ使えねえんだろ。後回しなんだろ」


「仕方ないだろ。共有スペースが先だ。父さんは明日から仕事なんだ」


「おれだって明日から学校だよ」


「だから、おまえの部屋が作れるようにって、父さんも母さんも急いでやってるだろう。手伝わないなら外にいってろ。邪魔だ!」


 引っ越しがたいへんなのは、おれだってわかってる。

 たとえば――。


 引っ越したばかりの、足の踏み場もなく散らかった家じゃ、食事もままならない。初日の夕飯は最寄りのスーパーで閉店間際に買った残り物の弁当、翌朝も売れ残ってたおにぎり、昼食は、段ボールの山の中からやっと探し当てた電気ポットでお湯を沸かして作った、カップラーメン。夕飯は、おばあちゃんの病院にお見舞いにいった帰りに寄った牛丼屋。今朝になってやっと、お母さん手作りの味噌汁を食べた。


 引っ越し作業で、大人はたいへんだ。でも、子どももたいへんだ。


 それに、子どもだからって、親の都合のせいで居場所を奪われまくるのは、いかがなものか。


 友達は、それほど多いほうじゃなかった。


 そこそこの数の友達と、どうにか築き上げてきた友情とか、居場所とか、カードゲームが買えるおもちゃ屋とか、行き慣れたコンビニとか、入学したばかりの中学校のクラスで渋々やった自己紹介とか、初めて会ったクラスメイトとの妙な腹の探り合いとか、迷った末に決めた部活とか、「義務教育だからこの学校に通うのは仕方ないし、ここで頑張っていくしかないんだろうなぁ」と、子どもなりに腹をくくったこととか。


 そういうことが、突然引っ越しが決まったせいで、とことん、なにもかも、みんなまとめて消え去った。渋々でもどうにか築き上げてきたものが、根こそぎ無かったことにされた。


「おばあちゃんが病気なの。具合が悪くなっていて――ほら、去年、おじいちゃんが亡くなったでしょう? あれから一気にひどくなってね。そばでお世話をする人が必要でしょう?」


「どうせ引っ越すなら早いほうがいいだろう? 中学校生活は長いんだ。二年目、三年目に引っ越すことになったら受験勉強がたいへんだろう?」


 急な引っ越しの理由も、子どもなりに理解した。

 でも、なら、どうしてあと一か月早く決めなかったんだ?


 そうしたら、入学式に間に合って、「転校生」にならずに済んだのに。





「街を探検してくるー。おれがいても邪魔そうだからー」


「あっ、慧。帰りにごみ袋を買ってきてくれ」


 閉めたドアの向こう側からお父さんの声がきこえた気がしたけれど、おれは知らない。聞いてない。


 バッグの中にはスマホもある。本当に用事があるなら、電話をするはずだよ。

 結局、聞こえないふりをして、家を出た。




 引っ越し先は、東京都足立区。最寄り駅は、北千住っていう大きな駅。


 引っ越す前に住んでいた街よりも人が多くて、店も多くて、にぎやかだ。


 でも、都会はなんでも最先端で新しいと思ってたけど、勘違いだった。北千住の街には古い建物が多くて、ゴミゴミしていた。


 街には、「ここ、通れるの?」とビックリするような細い路地がそこらじゅうにあった。


 幅一メートルくらいしかない狭い隙間のような道もあって、「ほんとに通れるの?」っていう好奇心につられて、角を曲がってみる。


 入りこんだ路地は、組み合わないパズルのピースとピースの隙間みたいにギザギザした狭い道で、通りまではみ出した店の看板や、二階部分のひさしのせいで、空間まで凸凹デコボコしていた。


 狭い道はますます狭く見えて、薄暗い。建っている家も古くて、その通りだけ、何十年も前のまま時がとまったようで、べつの時代にきてしまったようだった。


 狭い道を進んでいくと、大きな商店街の通りに出た。ちょうど、おれと同じくらいの年の子どもが歩いていて、すれ違った。


 四人組で、仲が良さそうに笑いながら歩いていた。ゴールデンウィークの最終日で、友達同士で遊びに出かけたみたいだった。


 ――いいなあ。


『ゴールデンウィークに、みんなで遊びにいく約束してただろ? おれ、いけなくなっちゃったんだ。四月末で転校することになって』


 先月まで通っていた中学校の教室で、新しくできた友達の前でそういった時、みんなは「ふーん」といった。出会ったばかりの奴が別の学校に転校するとなっても、その程度だ。転校するこっちは、全然「その程度」じゃないけど。


 前の街が好きだったわけでもないけれど、いまから思えば普通に「好き」だった。すくなくとも、友達はすこしいた。ゴールデンウィークに遊びにいく計画ができる程度は、いた。いまは知り合いなんか、誰一人いないけど。


「くっそみたいな街」


 古いんだか新しいんだかわからなくて、知り合いもいない――こんな街なんか、大嫌いだ。


 狭い道に続く角を行く手に見つけるなり、曲がった。人が大勢笑い合っている賑やかな大通りにいたくなくて、暗くて、じっとりしていて、胡散臭い場所に、むしょうにいきたかった。


 曲がった小路はかなりの狭さで、人影はゼロ。細い道沿いには、古いアニメに出てきそうなガタガタの家が並んでいた。こんなボロ家、誰が住むんだろ?


「くっそみたいな街」


 口に出すと、ますますイライラ。ちょうど足元に石があったので、蹴った。


 ――憂さ晴らしだ。飛んでいけ!


 どうせ誰もいないと思って蹴ったのに、ちょうど石が飛んだ先で、影が動いた。


「あっ」


 いつのまにか、人影があった。思い切り蹴られた石が、放物線を描いて飛んでいく。飛んでいく。


 まずい、当たる、避けて。ごめんなさい。


 慌てて駆け寄ろうとしたけれど、思わず、足がとまった。


 目の前にいたのは、赤い服を着た女の人だった。でも、ただの赤い服じゃなくて、着物だった。髪も、時代劇に出てくるようなかつらをかぶっている。


 ――あれ? もしかして、人間じゃなくて、絵?


 そんなふうにも思った。でも、女の人は、腿のあたりを押さえて背中をまるめた。その人に、おれが蹴った石が命中したからだ。


「あいた」


 はっと我にかえって、慌てて駆け寄った。

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