第3話 夜の庭は
クレイグは、面白くないと思った自分に驚いた。
言ってしまえば、関係のない他家のこと。しかも過去の婚姻の話。自分の興味から一番遠いもののはずなのだ。
「あの、私からも一つ伺っても? ブレントモア伯爵にはご結婚のご予定は、」
「ない」
被せるような強い返事に、サラは少し怯んだように見えた。
その様子にクレイグは慌てて咳払いをして言葉を重ねる。
「……失礼。退役して継いだばかりで、領地のことで手一杯というか」
「そ、そうですか。奥様がおありとは伺いませんでしたが、決めた方がいらっしゃるのなら、私がこちらに住むことをお気になさるのではと思ったのです。年齢のことをご存じなかったですから」
たしかに、老男爵の未亡人だから年配の女性だと思い込んでいた。子守役とはいえ、若い女性と共に暮らすことを歓迎する婚約者もそう多くないだろう。
「そのような相手はおりません。ルイス――シャノーワー卿とも違って、気の利いたことも言えませんし、女性には好ましい容姿でもないですし」
「そんな」
「貴女は怖くはないのですか?」
きょとんと眼を丸くするサラに、自分の頬に大きく走る傷痕に指を当ててクレイグは尋ねる。
戦場で仲間を庇いこの傷を負ったのはもうずいぶん前だ。
引きつったような痕は残り、そのせいで部分的に動きも硬い。厭う気持ちはないが、これのために、もともと豊かではない表情はますます厳めしく、威圧感がある。
しかし初めて顔を合わせた時も、こうして向かい合って話している今も、サラからはこの傷になんの興味も伺えない。
「修道院では病院にも奉仕に参りましたから」
軽く返すサラはやはり気にしていない様子だ。
見慣れているということか、とクレイグは納得する。
今まで会った「貴婦人」達は平気で噂話にしておきながら、直接相対すると一様にこの傷から目を逸らすか怯えるかだったのに。
「自分は、アルヴィンが成人してブレントモア伯爵家を継ぐまでの繋ぎ役だと決めています」
「そうなのです?」
驚いたサラに、決定事項だともう一度念を押す。それは実家を引き受けると決めた時から揺るがない。
自分はあくまで仮の当主で後見、先の主人はアルヴィンただ一人。
そうするのが筋のようにも、兄夫婦に対する弔いにも感じた。そのつもりで接するように、と周囲の者達にも最初から宣言してある。
それに何より、
「伯爵の椅子は馴染みません。剣と銃しか持ったことがないのです」
「……それをペンとグラスに変えて戦っていらっしゃる。甥御さんのために」
尊敬いたします、と呟く言葉を耳が拾って、さわりと心臓を撫でられた心地になった。
言った当の本人は、ようやく気がかりが無くなったようで、和らいだ様子でカップを手にしている。
「どの程度お役に立てるか分かりませんけれども。アルヴィン様が嫌だと仰らない限りは、お世話して差し上げたいと思います」
「頼みます……気付いたことがあれば、時間を気にせず報告を」
「はい。私にも、なにかありましたらいつでも」
そうして、サラ・アークライト前男爵未亡人のブレントモア伯爵家での生活が始まったのだった。
アルヴィンの問題は、感情を表に出さず、話さなくなったことだけではない。夜間、眠りながらそこらじゅうを歩き回るのだ。
屋内で済めばまだいいが、この冬空の庭にも出る。そしてその間のことは本人は覚えていない。アルヴィンは話さないから確実にそうだとは言えないが、多分覚えていないようだ。
医者によると、子どもにはままあることで、特に心に気にかかることがあるとそういった行動をとるらしい。
眠りながら動いている間は強引に触れたり、強い口調で声をかけたりといった驚かせるような行為はよくないそうで、好きにさせて危なくないように見守るのが一番だという話だった。
その症状が現れるのは寝入ってからの半時から一時あまり。夜間担当の使用人の仕事が一つ増えた算段だ。
「……来なくていいのだが」
「そう言う伯爵も」
サラが伯爵家に来たその晩。
冴え冴えとした月明かりの庭を、アルヴィンは裸足で歩いている。物音に気付いて執務室を出たクレイグが見たのは、表に出る甥と、その少し後ろをそっと歩く子守の姿だった。
ついて来たもう一人の使用人の手によって、アルヴィンには外套が掛けられている。連れ戻そうとすると暴れるし靴は無理だが、防寒の服を羽織らせる程度なら受け入れるらしい。
昼間も訪れた池の前でアルヴィンは止まった。
敷地の庭にある池は大きさがあり、夏には小型の船を浮かべて水遊びもできるほど。
今立っているところは水辺からは多少距離があるが、夜中に冷たい水に落ちては危険だ。クレイグは注意を払いつつ静かに距離を詰めていく。
おりしもの満月、水面に映る月明かりは冷たい風で微かに揺れている。
見えているのかどうか、池の中央にある小さな島をまっすぐ向くアルヴィンの瞳は、温度のない月の光を淡く反射していた。
大人びたその顔は、亡くなった兄によく似ている。
家のことを任せきりで自分は戦地を飛び回って、ここ数年は手紙でばかりの交流だった。しかし、そこに兄弟の情は確かにあった。
――兄が遺した子ども一人救えない。
いくら戦場で頼もしかろうが、何の意味もない。
クレイグは己の無力さを苦く思った。
「……アルヴィン」
ゆっくりと声を掛けるクレイグにも反応はない。そっと肩に触るとそのまま、くたりと膝から折れた。
危なげなく抱きとめられ、横抱きにされたアルヴィンにサラは持ってきたブランケットを掛ける。
クレイグのがっしりとした腕の中で、子どもは穏やかに眠っていた。
「戻ろう」
クレイグの言葉にサラと使用人は黙って頷いて、月の輝く池を後にしたのだった。
汚れ、冷えて赤くなった足を清め暖めてからアルヴィンは寝床に入れられた。
暖炉の細い火と常夜灯が薄く照らす子どもの顔を、クレイグとサラはしげしげと眺め、声を潜める。
「毎晩なのですか?」
「ああ、ほとんどな。外に出るのは週に二、三度だが」
もうぐっすり眠っているのを確認して、サラはアルヴィンの前髪をそっとよけた。
その手つきは子守というより姉か母のように優し気で、寝息のリズムも変わらない。
「だから、夜まで君が付き合う必要はない。日中見てくれればそれで……っと、失礼。まだ慣れていなくてですね、」
うっかり普段のぞんざいな口調で話していることに気づいて、クレイグは慌てて社交用の言葉に戻す。
「構いません。私も修道院育ちで、一般的な『ご令嬢』ではありませんからお気遣いなく」
「ですが」
「それに、自分より年上の方にそのように畏まられると、身の置き所がなく感じます」
義理の息子達とも、サラは妹というにもまだ歳が離れている。スタンリー達にも気安く話してくれるように頼んで、そうしてもらっているのだと言う。
「それでは私――いや、俺のことも『伯爵』ではなくクレイグと。軍の階級ではなく称号で呼ばれるのは、何とも座りが悪い」
「はい、クレイグ様」
困ったような仏頂面で髪を掻き上げるクレイグに、くすりとサラは微笑む。「伯爵」と呼びかけるたびに居心地の悪そうな顔をしていたと思ったが、その通りだったのだ。
「でも毎晩ですと、アルヴィン様のお体が心配です。雪も降りだす時節ですし」
「かといって止める手立てもない。原因を取り除く必要があると言われたが」
両親の死がきっかけならば、時間が一番の薬だろう。長引いているのかどうかは分からない。
しかし、扱い方も、かける言葉も分からないクレイグはこうして見守るしかできなかった。
「明日から気をつけて見てみます。何か手がかりが分かるかもしれません」
「そうだな、頼む」
「とりあえず、私達も部屋へ戻りましょうか」
「そうだな」
「クレイグ様はまだお仕事を?」
「そうだな」
「クレイグ様、さっきからそればっかり」
「そうだ……いや」
代わりばえしない返事にとうとうサラは声を抑えて笑いだす。
面白くなさそうに眉を寄せるクレイグは、サラの視線から顔を背けて独り言のように文句を言った。
「……会話は苦手だ」
「そうだと思いました。旦那様も、家では口数が多くなくて……」
そう言ってサラは視線を落とし、何とも言えない沈黙が落ちた。薄闇の中で鈍く光る金色の指輪を触るのは無意識だろう。
自分も黙り込んでしまったことに気付いたサラが、はっと顔を上げて寂しげな笑顔を作る。
「失礼しました。参りましょう」
そうしてクレイグは、再度促されてアルヴィンの部屋を出てサラと別れたのだった。
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