第2話 そのひとは

 強面でぽかんとするクレイグに、アークライト前男爵未亡人は申し訳なさそうに微笑んだ。

 その表情は儚げで、ますます幼く見えてしまう。

「やはり御存じありませんでしたか。すみません、驚かせましたでしょう」

「あ、いや……貴女が、本当に、その」

「はい。旦那様とは歳が離れておりますが、間違いなく私がサラ・アークライトです。書類をお確かめになります?」

 その場でハンドバッグを開くパチンという金具の音に、クレイグは我に返った。

「いえ、その必要はありません。どうぞ」

 そう言って屋敷の中へ入り、応接室へ案内する。

 自分も向かいのソファーに掛けると、動揺を落ち着けるために使用人が目の前に置いたお茶に手を伸ばした。

 不要と断った書類だが、サラはルイス・シャノーワーからの推薦状とともにテーブルの端に控えめに置き、クレイグの視線に促されて話し始めた。

「当時はそれなりに話題になりましたので、お耳に入っているかと」

 後添えに若い女性を娶ること自体はそう珍しくないが、これほどに離れていれば、人々の間で口さがない噂になったことは想像に難くない。

 男爵家はそこまで財産家でもないが、穿った見方もされたに違いない。

「戦地でも、国内の情報は集めているのですが。聞きませんでしたね」

 もしくは聞いても忘れたのだろう。政情に関係のないゴシップには興味を持つ暇もなかったのだ。

「失礼ですが、」

「十九歳です。結婚したときは十七でした」

 クレイグは飲んだお茶をむせそうになるのをなんとか堪えた。

 落ち着いた所作と雰囲気でもう少し上に感じたが、自分より十以上も下ではないか。故アークライト男爵は、クレイグの父と幾つも変わらなかったはずだ。

「あの、この年齢では子守は任せられないと……?」

 目の前のティーカップには触れず、外した手袋を握る華奢な手は膝の上に置かれたまま。

 サラの質問にクレイグは気を取り直して答える。

「年齢ではなく、まずはあの子と会ってみて、それからですね。不躾な質問をお詫びします」

「いえ、大事な甥御さんに関わることですから、当然のことです」

 ホッとしたようにサラは目を細めた。ようやくカップの持ち手にかかった指には、金色のリングが光っている。

 飾りのないシンプルな指輪は、人伝に聞いた故人の人となりに相応しいものに思えた。

 長く軍にいて、若い女性と一般的な会話などしたことがない。

 この地に戻り爵位を継いでからというもの、あまたある領主業務のなかで、女性との社交は最も苦手な部類でもあった。

 指令と戦術ならばいくらでも出てくるクレイグの口は、今この時に全く役に立たない。

 会話が途切れ、ぎこちない沈黙が降りたちょうどその時、窓に目をやった使用人が助け舟のように主に耳打ちをした。

「アルヴィンが庭に出ているそうです。よければ」

「ええ、お会いしたいです」

「では詳細はその後に」

 クレイグの言葉に頷くと、二人は立ち上がって外套を羽織ったのだった。



 ブレントモアの屋敷の庭はそれなりに広いが、先代領主夫妻はそこまで庭園を重く見なかった。

 一応の体裁が整っているくらいで目を引く花や温室などはない。

 故伯爵夫人が自ら手入れをした小さい花壇と、領内を流れる川の水を引き込んだ中島のある池が見どころだ。

 その二ヶ所、特に池をアルヴィンはよく訪れるのだった。

「義姉が好きだった花を植えていたそうです。この季節ですから、土ばかりですが」

 雑草が抜かれ、落ち葉も掃かれた花のない花壇は、奥にある天使の白い石像だけが華やかだ。その花壇の前を通り、池へと向かう。

 やがて水の気配が近づいてくると間も無く、アルヴィンの姿が見えた。池の淵ぎりぎりに立ったまま、まっすぐを見つめて動かないでいる。

 まだ日は高いとはいえ、日陰には霜柱もあり風は冷たい。

 指先が凍りそうなほどの時間が過ぎても、室内に戻るようにと促す使用人のほうをアルヴィンは見もしない。

 二人は少し離れたところからしばらく見守っていたが、使用人からの困りきった視線にサラが口を開いた。

「私が行っても?」

「……どうぞ」

 無駄だとは思うが、との言葉は口に出さず、クレイグは歩を進めるサラの背を見送った。

 新しい子守りが来ることは伝えてあるが、反応を返さないアルヴィンが理解しているかは定かではない。

 見ていると、アルヴィンのそばまで行ったサラは隣にしゃがんで何やら話しかけている。風向きもあって声は聞こえない。

 相変わらず視線は池の中央にある中島のあたりに固定して動かないアルヴィンだが、しばらくすると弾かれたように顔をサラへと向けた。

 動揺と驚愕が浮かぶ甥の顔に、クレイグは息を呑んだ。

 種類はどうあれ、アルヴィンの感情を見たのは本当に久しぶりだった。

 立ち上がり、差し出したサラの手にアルヴィンのそれが重なるまでは、また少し時間がかかった。

 手を繋いでこちらへと戻る二人を、使用人と共に目を丸くして迎えるクレイグに、サラは軽く首を傾げてにこりと微笑む。

「寒くなってきましたわね。中に戻りませんか?」

「あ、ああ、そうだな。アルヴィンも」

 幼いブルーグレーの瞳が上を向く。声も表情もないものの、視線を合わせ小さく頷いた甥に、ますます驚きを隠せないクレイグだった。



 サラが子守としてブレントモア伯爵邸に留まることはその場で本決まりとなった。

 与えられた客間に恐縮しつつも、できれば子ども部屋に近いほうがいい、という本人からの申し出で滞在の部屋は二階へと変わった。

 サラと一緒にキッチンでホットミルクを飲んだアルヴィンは、今はまた自室に閉じこもっている。

 それでも、大きな一歩に違いはなかった。

「来てすぐに、ここまでとは……」

「私は普通に話しかけただけです。今までの子守りの方は、タイミングが悪かったのではないでしょうか?」

 何もしていないと不思議そうに言うサラだが、クレイグや使用人がいくら言っても、動いたためしがなかったのだ。

 事件以来、使用人達とも距離をおくようになったアルヴィンは、それまで仲の良かった使用人達のこともすっかり無視している。

「ではきっと、ちょうどよい頃合いだったのでしょう。それで、アルヴィン様の事情は詳しく伺いましたし、私のこともお話したほうがよろしいでしょうね。ですが、何から話したらいいか分かりませんので、ご質問に答える形にしていただけたらと思います」

 戻った応接室で真っ直ぐとサラに言われて、クレイグは戸惑った。ルイスの紹介である彼女の身上は保証されている。

 その上、アルヴィンが一片なりと心を許したのであれば、どういった人物でも構わないのだ。

 しかし、一応のことは知っておいたほうがいいだろう――監督保護者として。

「では、子どもの扱いはどこで? 領地の修道院に慰問した程度で身についたとは考えにくい」

「私、もともと修道院の出身なのです。小さい子達の面倒はよくみました」

 サラの返事はクレイグにとって予想外だった。今日は驚くことばかりだ。

「私も子どもの頃に母を亡くしました。一応外聞をはばかる話ですので今は家名を伏せますが、義母とは折り合いが悪かったそうで」

「それで修道院に」

「扱いにくい子だったそうです」

「扱いにくい?」

「ええ。泣きも笑いもしなくて、言葉もろくに話さず……あら、今のアルヴィン様と似ていますわね」

 もしかして、だからかしら? と、なぞなぞが当たった時のように表情を明るくする。

 返事の言葉を濁したクレイグを気にせず、サラは話を続ける。

「実の父親でさえ持て余した娘を、義理の母が疎ましく思うのは当然でしょうね。五歳の時に弟が生まれて、それ以来ずっと修道院に。……旦那様は私の実母をご存じで、偶然私のことを知って同情なさったのです」

 先の大礼祭で中央神殿の手伝いをした際に、生母によく似たサラを見かけたのだという。

 入れられていた修道院から還俗するには婚姻を結ぶしか手がなく、最初はそれこそ息子のスタンリーが相手に、という話も出たそうだ。

 隠居を考える年齢の男爵と比べれば、確かにその方がずっと相応しい。

「でも、息子さん達には奥様や婚約者がいました。どなたかを探す、と仰ってくださったのですが、修道院を出るために知らない方と結婚をと突然言われても……それに、旦那様は本当に素晴らしい方で、」

 話しながら染まっていく頬を片手で押さえて、恥ずかしそうに視線を外すサラ。

 憧れと愛しさを滲ませて瞳を潤ませる姿に、クレイグの胸は不覚にもドキリと鳴った。

「し、しかし年齢が」

「ええ。私などでは、何もかも旦那様に不釣り合いなのです」

 そういうことではないと思うが。

 しかし今度は寂し気に瞳を伏せる目の前の女性は、本気でそう信じているらしい。

「気にかけてくださっただけで、どれだけ嬉しかったか。このままお忘れください、と申し上げました。そうしたら旦那様は、自分のところに、と」

「なるほど」

 頷きながら、クレイグは内心ではさっぱり頷いていなかった。

 故アークライト男爵は中央で目立つ働きはないが大きな政敵も持たない、ある種有能な人物だった。

 穏やかだが常に抜け目のない姿勢で臨んでおり、彼や彼の領地と縁を持ちたい者も多い。その気になれば婿候補など、それこそいくらでも探せたろうに。

 それをせず自分の息子を勧め、結局は自分の妻としたのは彼女を気に入ったからに他ならない。

 サラも、年齢の差を超えて男爵を心から――今もなお、慕っているのは傍目にも明らかだ。何度となく指輪へと落とす視線は寂しさを纏わせていてもあくまで柔らかい。

 クレイグは、その事実がなんとなく面白くなかった。

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