幕間1

春の陽光、自分の居場所

 ジョン・F・ケネディ空港は、東京とは異質な喧騒で満たされていた。到着ロビーに出ると、雑踏の片隅に佇むキャペリンハットが目に入る。ドリスにブルーダイヤの強奪を依頼されたのはわずか六週間前だったが、マルティナは彼女の姿に懐かしさを覚えた。それでいて、東京での出来事はすでに遠い昔のことのようにも思える。物の例えではなく、どこか別の世界を覗いてきたような感覚がマルティナにはあった。


 マルティナが近寄ると、ドリスは黙って彼女を抱きしめた。

「エレノアには会えた?」

 宝石を持ち帰ることを望んだはずのドリスは、真っ先にそう尋ねた。

「えぇ、二人っきりで話すこともできた。カラスのおかげでね」

「カラス?」

「日本にはそういう名前のおせっかいな泥棒がいるのよ」

 ドリスは何かを考えているようだったが、ややあってから「それは良かった」と呟いた。


 乗り場に停まっていたタクシーに二人で乗り込む。マルティナが鞄の中からブルーダイヤを取り出し、ドリスに渡した。ドリスはサングラスを外すと、掌の上で紺碧に輝く宝石を見つめた。隠されていた眼差しが見えるようになっても、マルティナにはブルーダイヤを見つめる彼女の気持ちを推し量ることはできなかった。

「これは本物なの?」

「あなたにもわからないのね」

「興味がないのよ」

「残念ながら、違うわ」

「そう」と呟いたドリスは残念そうではなかった。「でも、売れば三万ドルくらいにはなりそうね」

「売らないけど」

 ドリスがブルーダイヤをマルティナに返す。


「これからどうするの?」

「家に帰って寝るわ」

「そうじゃなくて、どうやって生きていくのかという意味」

「何も変わらない」

 そう言うと、マルティナは窓の外に視線を向けた。「必死に生きていくだけよ」


 やがて、マンハッタンへと続く橋に差し掛かる。欄干の遥か先に、摩天楼が春の陽光を受けて煌めいていた。帰ってきたのだ、とマルティナは思った。ニューヨークという街に愛着と呼べそうな感情を抱いたことはなかったが、結局のところ、故郷を捨てたマルティナにとって居場所と言えるのはこの街くらいだった。

 日の光の届かない高層ビルの足元で砂埃の舞う乾いた空気を吸いながら、今日を必死に生きていくしかない。だが、今のマルティナに悲観や卑下する気持ちはなかった。本質的な意味での生き方というのは、環境や場所に左右されるものではないことを彼女は知っていた。


 目を閉じると、エレノアの顔が瞼に浮かんだ。十三年ぶりに見たその瞳の奥には、あの頃にはなかった希望の光が確かにあった。穏やかな日差しの中で、マルティナは優しく微笑んだ。


 唯一の家族である妹が居場所を見つけることができたことに、姉は心の底から安堵した。

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