6 十三年分の話、希望のカケラ
「なんで中華なのよ」と絵里奈は文句を言った。
文句を言っている割には、運ばれてくる食事の過半を絵里奈が取り、残りを遼に回すというルーティンが確立されつつあった。
「発言と行動が合ってないよ」
「昨日はガチョウを食べそびれたから」
「君は食べてたじゃないか」
「でも、『飲みにいこう』って言うから、てっきりバーで飲むんだと思ってた」
「中華から始まった作戦だ。勝利の晩餐も中華がいいと思ってね」
「勝利……したのかしら?」
「ジュエルを出し抜いたんだ。それに偽物だとしても数千万の価値はある。大勝利だ」
「こんなものが数千万円もするなんて」
絵里奈はポケットから無造作に取り出した青い石を、顔の前でくるくると回した。「物の価値って何なのかしら」
「お姉さんとは、どんな話をしたんだ?」
絵里奈の食べ残しを平らげながら、遼が尋ねた。絵里奈はその問いが聞こえていないみたいに相変わらず石を眺めていたが、やがて「何の話をしたのかしら」と呟いた。
「十三年ぶりに会ったからって、十三年分の話があるわけじゃないのね。たぶんお姉ちゃんがいなくなった三日後でも、同じ話をしたわ。十三年経った分、冷静に話せただけ」
「十三年間の話もあるだろう?」
「意外とないのよ」
「そういうものか?」
「そういうものみたい。一年ずつ振り返ればそれなりに長い話になるけど、十年も経てば振り返るほどの話でもないのよ。伝えるべき話が一つずつ増えていくんじゃなくて、伝えるべき話が伝えなくてもいい話になっていくだけ。そもそも十年前の事なんて覚えてないわ」
「まぁ、ローリング・ストーンズだって、ベスト盤をCD十枚組にするわけにはいかないからね」
絵理奈は少し考えた後に、「それって、正しい例えなのかしら?」と言った。
「どうかな」と言って遼は、空になった小さなグラスを赤いテーブルの上に置いた。「紹興酒の良さは未だにわからない」
「珍しいわね」
「祝杯だからね。強めのお酒を飲みたい気分なんだ」
絵里奈が瓶から遼のグラスに注ぐ。絵里奈は、ウーロン茶を紹興酒みたいにゆっくり飲んでいた。
「お姉ちゃん、謝ってた」と絵里奈が唐突に言う。
「謝ってた?」
「私を残してアメリカに行ったこと。でも、私は何とも思ってないのよ。少なくとも今はね。お姉ちゃんはアメリカに行くチャンスがあって、行った。同じように、私は日本に来た。それだけ。それよりも、どちらかと言うと、私は嘘をついてたことが納得いかないんだけどね」
「嘘?」
「そう。あの日、お姉ちゃんは、ジュエルからもらったお金は半分ずつ分けたって言った。でも、本当は全部私にくれてたのよ。昨日ジュエルが言ってたでしょ? 三万ドルであの石を買ったって」
「言ってた。お姉さんは何て?」
「覚えてないって。それも嘘」
「そっか」
「嫌ね、泥棒って。平気で嘘つくから」
盗んだダイヤを見ながら、絵里奈はいつものように真顔で冗談を言った。
遼は、ブルーダイヤを見つめる絵里奈の視線を見つめながら思った。絵里奈は、父親が作った台座のことを知っているのだろうか。彼が台座の裏に刻んだ文字のことを。そこに込められた想いを。
――Hereafter Owned Permanently by Eleanor.
これ以降、永遠にエレノアの所有である
彼が台座のことを言ったのか、あるいはその上に飾られていた「かけら」のことを言ったのかは判然としなかったが、おそらくそれはどちらでも同じことだった。彼がエレノアに託した物、それは「
「今度こそ、軽く飲みに行かないか?」
外に出ると遼は言った。
「あなたはもう十分飲んだように見えるけど?」
「だから、軽くと言った」
絵里奈は自分の靴の先を見つめながら、首を横に振った。
「今日はもう帰るわ」
「そうか」
二人の間を、わずかな空白と微かに春の気配を含んだ夜風が通り過ぎる。長かった冬が終わろうとしていた。
「久々にあなたと仕事ができて楽しかった」
そう言って差し出した絵里奈の手を、遼が軽く叩いた。絵里奈が不敵な笑みを浮かべた。
「またすぐに会えるんだろう?」
「あなたが望むなら」
「できれば、今度は仕事の話抜きで会いたい」
「そうね」と絵里奈は、拾った小石を優しく放るように言った。「考えておくわ」
絵里奈が再び差し出した手を、遼は今度はしっかりと握りしめた。
絵里奈の背中が見えなくなると、遼は空を見上げた。ビルの狭間に覗く夜空はほのかに明るかった。多くはないが、それでもいくつかの星が輝いていた。
横浜の夜空を見上げながら、遼は絵里奈がベネズエラで見上げた星空のことを思った。きっと今よりも多くの星々が輝いていたに違いない。彼女はこの十三年間で、いくつかの希望を失ったかもしれない。それでも、新しい希望のカケラを手に入れることができただろうか。自分は、その助けとなれただろうか。
遼はアルコールの残った頭の片隅で、絵里奈が自分のもとを去るのが、これが最後ではないことを願った。
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