9 「ジュエル」の安否、質問でも忠告でもない

 二十二時。ジュエルはまだ朦朧とする頭を抱えていた。遼たちを追っていた二人から、見失ったとの連絡があった。ジュエルは一喝した後に帰投を命じた。直後、再び電話がなる。


「何だ!」

「あら、随分ご機嫌斜めだこと」

「……誰だ?」

「あなたの宝物はご無事?」

 業務報告だと思い電話に出たジュエルだったが、聞こえてきたのは聞き覚えのない女の声だった。

「何のことだ?」

「偽物は盗まれちゃったみたいだけど、本物は本当に無事?」

「お前は誰だ?」

 言いながら、ジュエルは目の前のパソコンの画面を確認した。ランドマークホール内を映す暗視カメラの映像に異変はない。

「質問をしてるのは私なんだけど、まぁいいわ、答えてあげる。私はカラス。光る石が大好き」

「何のつもりかは知らないが、心配には及ばない。本物の『ジュエル』はここにある」

 少しの沈黙の後、電話の向こうから噛み殺したような笑い声が聞こえてきた。

「やっぱり、あっちは偽物だったのね」

 しまったと思った時には、すでに遅かった。カマをかけられた。舌打ちが出そうになるのを、ジュエルは寸でのところで堪えた。

「それは誰にもわからないことだ。私以外にはね」

「残念だけど、あなたが生み出した沈黙はあなたの言葉以上に雄弁よ。いい? 『ジュエル』はすでにあなたの監視下にはない」

 そこで唐突に電話が切れた。ジュエルは呆然とし、女の言った言葉の意味を考え、それから慌てて着信履歴を調べた。非通知だった。


 ジュエルは苛立ち、そして迷っていた。自分の携帯番号が知られている時点で、単なるいたずらと切り捨てるわけにはいかなかった。しかも電話の相手は、偽物が盗まれたことを知っていた。エレノアたちの仲間か? 本物の「ジュエル」は本当に安全なのか?

 暗視カメラの映像に依然として変化はない。


「どうかしましたか?」

 傍らにいたエージェントが恐る恐るといった様子で尋ねてきた。先刻、遼によって便宜的にジェリーと名付けられた若い男は、日本人とアメリカ人のハーフで今回の日本での公開のために通訳兼ボディーガードとして一時的にジュエルに雇われた男だ。

「『Raven』は日本語で何という?」

「え? あ、えっと、『カラス』です」

「カラス……」

 ジュエルは初めて聞いた日本語を繰り返す。「カラスには他にどんな意味がある?」

「意味? えっと、物事をすぐ忘れてしまう人のことをカラスと言ったりもします」

「他には?」

「いや……あ、日本にはそういう名前の窃盗団がいるらしいです」

「窃盗団?」

 ジュエルの視線が鋭さを増した。「どんなやつらだ?」

「さ、さぁ、詳しくは……」

「私も聞いたことがあります」

 そう言ったのは、遼が名付けたところのトムだった。本名をヤニスというこの男は、十代のころにジュエルに拾われ、それから二十年近く側近を務めていた。

「現金ではなく美術品を狙う窃盗団で、これまでに数十点を盗み、失敗はゼロ。誰もその正体を知らないとか」

「まるでアニメの世界だな」

 ジュエルから皮肉めいた笑みが漏れる。少しずつ冷静を取り戻していた。頭の芯が痺れたような感覚もだいぶ収まってきた。まずは「ジュエル」が無事か確かめる必要がある。


「何があったんです? カラスと何か関係が?」

「『ジュエル』を見に行く。すぐに警備の責任者に連絡をして、会場を開けさせろ」

「罠ではないんですか?」

「何?」

「『ジュエル』を盗んだ。電話の相手はカラスを名乗り、そう言ったんですね? だが、展示会場は厳重な警備システムによって守られている。暗視カメラも『ジュエル』が無事であることを示している。今ここで我々が警備システムを解除することは、自ら相手にチャンスを与える行為ではないですか?」

「それは単なる質問か? それとも忠告か?」

「私は……懇願しているのです」

 ジュエルを見つめるヤニスの目を、ジュエルは見返した。その目に感情はなかった。

「すぐに警備システムを解除させろ」


 ジュエルは既にヤニスを見ていなかった。ヤニスは唇を噛み締めながら、携帯電話のボタンを押した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る