11 「かけら」の由来、盗みの動機
「これはすべて、エレノアの父親の日記に書かれていることだ。彼がどうやってそのことを知ったのかはわからない。あるいはそれが事実なのかも。だが、仮に彼の日記を信じれば、『ジュエル』の由来はこうだ」
三國は頭の中を整理するように、遼の後ろの壁の、さらにその先のどこか一点を見つめた。
「一六六〇年代後半、ルイ十四世によって『ホープ』はハート型にカッティングされた。その時に削り取られた『かけら』は、その瞬間に『ホープ』とは別の宝石として生を受けることになる。『かけら』はその後しばらくフランス王室に寵されるが、一八世紀半ばに盗難に遭う」
「盗難? 王室から盗まれたんですか?」
「いかにも。ルイ・マンドランという男によって『かけら』は盗まれた」
「ルイ・マンドラン……」
「三百人を抱える密輸団の頭領だったマンドランは、裕福な地主からの強奪を繰り返していた。そんななか、革命の足音が迫っていた一七五五年、ルイ十五世は数百人の正規軍を用いて、彼を捕捉、処刑する。マンドランは、一般市民を殺めていながら、生前にはすでに義賊として広く民衆に知られていた。その彼を、反体制者として王室が処刑したとしても不思議はない。しかしながら、直接の要因は他ならぬ『かけら』の強奪だったわけだ」
「でも、貴族相手に盗みを働いていた窃盗団がついに王室を、というのなら話はわかる気がするけれども、地主から強奪を繰り返していた密輸団が突然王室から宝石を盗み出すというのはしっくり来ないですね。そもそも王室に忍び込むなんてことが可能なんですか?」
「はは、何も忍び込むだけが盗みの手口とは限らんだろう? おびき出す、待ち伏せる、騙す、押し入る。君が一番知っているはずだ」
そう言って三國は久しぶりに笑顔を見せた。「だが、その疑問は一理あるだろうな。さっきも言ったが、この話が真実だという証拠はどこにもないのだよ。そのことを忘れないでくれ」
「わかりました」と遼は言った。
「いずれにしても、マンドランが殺された時、彼は『かけら』を持っていなかった。彼が持っていたのは、『かけら』をスペインの同業者に売って得た大量のペセタだった」
「その後の『かけら』の行方は?」
「その後『かけら』はスペインの密輸船に積まれ、北大西洋を渡った。行き着いた先は南米ベネズエラだったという」
「ベネズエラ……」
「しかしその後しばらくの間、『かけら』の行方はわからなくなる。その頃スペインからの独立戦争の真只中だったベネズエラは、時を同じくして首都カラカスの三分の二を消失する大地震に見舞われている。時代の混乱の中に埋没したわけだ」
そこで三國は紹興酒を口に運び、咳払いを一つした。
「マラカイボの灯台というのを知っているか?」
「いえ」
「ベネズエラ北西部に、マラカイボ湖という南米最大の湖がある。その湖の周辺では音のない雷が発生することが確認されている」
「音のない雷?」
「あぁ。メカニズムは現在でも解明されていないようだが、かなり古くから記録が残っていて、大航海時代の船乗りたちはその雷を道標にしたという」
「それで、灯台と呼ばれるわけですか」
「ある夜、一人の男がマラカイボ湖畔を歩いていると、目の前に凄まじい閃光が走った。直後、巨大な湖を二つに引き裂くかのような地鳴りに男は思わず尻もちをつく。一歩間違えば即座に命を落としていた程の近距離でありながら、雷自体は沈黙のうちに大地に達したという。地響きが止み、目の眩みが収まったところで、男は戦慄に震える足を抱えながら何とか歩み始める。そして、地上に赤く光るものがあることに気づく」
「赤、ですか?」
「ブルーダイヤに限らず、ダイヤモンドの中には紫外線を当てると発光するものがあるのだよ」
話の少し先に回った遼の質問に、三國が答える。「『ホープ』は赤色に、しかも数分に渡って発光が続くことが確認されている。これはいずれも、他のダイヤモンドにはほとんど見られない。つまり、彼が湖畔で拾い上げたそのブルーダイヤが放った光は、その宝石が『ホープ』と同一の物体から切り出されたものである可能性が高いことを示しているわけだ」
「なるほど」
「だが、その男はやがて一脚の椅子と引き換えに『かけら』を手放す。エレノアの父親が作った椅子だ。『かけら』の価値を知らなかったわけではない。仮にその価値を知識として知らなくとも、一度目にすれば誰しもがそれを感じざるを得ない。それくらい圧倒的な美しさが『かけら』にはある」
「まるで見てきたみたいな言い方ですね?」
三國は、声を上げて笑った。
「歳を取ると、話が大仰になって困る」
「それにしても、エレノアの父親の家具とは、それほどの価値があるものなんですか?」
「価値なんていうものは、所詮主観でしか測れないものだからな。自分が命をかける価値があると思えば、それがその人にとってのその物の価値なのだよ」
エレノアの父親が作った椅子は、その男にとっては貴重なほうれん草だったわけだ。
「どうかね? 私の話は、少しは君たちの役に立ちそうか?」
「えぇ、おかげさまで『かけら』が本物かどうかを見極める方法がわかりました」
「なるほど。ブラックライトの照射、か」
遼は頷く。
「それに、ジュエルに会った時に話題に困る心配もなくなりましたしね」
「それはよかった」
三國はそう言うと、ナプキンをテーブルに置いた。「では、そろそろ行こうか」
「一つ、立ち入ったことを伺ってもいいですか?」
エレベーターを待っている間に、遼はそう切り出した。
「何かな?」
「あなたは、どうして絵里奈を引き取ったんですか?」
「……あの子が私の、いや、私自身に似ていたからだ」
「似ていた?」
「あぁ。ちょうど絵里奈が両親を亡くしたころに、私も娘を事故で亡くしていてね。初めは、あの子に娘の面影が重なった。だが、そのうち気がついたんだ。絵里奈を私自身に重ねていることに」
店の前で三國と別れると、遼は駅に向かって歩き出した。その思考は一つの結論に至っていた。すなわち、絵里奈はやはり単なる好奇心で「かけら」を狙っているわけではない。絵里奈の目的は、おそらく「かけら」の奪還にある。ジュエルがどのようにして、絵里奈たちから「かけら」を手に入れたかはわからないが、察するに人道的な方法ではなかったのだろう。強奪、あるいは詐欺。だからこそ、絵里奈は「かけら」を奪い返そうとしている。
今回の盗みの原動が、絵里奈の個人的な負の感情にあることが自分の決意にどう影響を与えるのか、遼はまだ測りきれずにいた。
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