幕間2

仕組まれた再会、最も新しい過去

「東京も雪が降るんだな」とマルティナは窓の外を眺めながら呟いた。


 三月も下旬に差し掛かったというのに、朝から細かな雪が舞っていた。春を待ちわびる人々の気持ちを逆なでするような寒さが、ここ数日は続いている。平日の昼間の喫茶店は、暖を求める人で思いのほか混みあっていた。

「三月に降るのは八年ぶりらしい」と三國は言った。「思えば、君に初めて会ったのも八年前だったな。こうして君と日本で会う日が来るとは、想像もしていなかった」

「日本じゃなくても、あんたともう一度会うことになるとは思ってなかった」

「今のは手厳しい」

 そう言って三國は静かに笑った。マルティナがくゆっくりとコーヒーカップを口に運ぶ。


「どうして日本に来た? やはり、あの宝石が関係しているのか?」

 マルティナは肯定とも否定とも付かない、曖昧な素振りを見せた。

「今更あれを取り返すために、わざわざ来たわけじゃないだろう?」

「あの石に未練もなければ、あの男に恨みもない。取り返すんじゃなくて、ただ盗むだけだ」

「なぜ今更盗む必要がある?」

「頼まれたんだ」

「誰に?」

 マルティナは少し言葉に詰まった。

「私は今の自分の生活にある程度満足してる。私は救われたんだ。あなたがエレノアを救ったように」

「ドリスに、か?」

 マルティナは驚いて、三國の顔を見返した。

「知っていたのか?」

「彼女とは古い知り合いだ」

「どうりで八年前、私のことを探しあてられたわけだ」


 八年前、マルティナがドリスと出会い、盗みで生計を立てるようになって一年が経ったころ、三國がニューヨークのマルティナのもとを訪れた。エレノアが自分のもとにいること、元気にやっていること、昔のことはあまり話さないこと。三國は、そういったマルティナが知らない妹の近況を伝えると、飲んだ酒の代金より少し多い現金を残して、現れた時と同じようにどこへともなく去っていった。


 もしかすると、とマルティナは思案した。そもそもドリスが自分を助けたのも、三國の働きかけがあったからではないのか。自分を助けたドリスと、エレノアを救った三國が偶々旧知の友人だったというのは出来すぎている。エレノアを引き取った三國は彼女の姉のことを心配し、ドリスにマルティナを託した。いや、三國は世間話程度にエレノアとマルティナの話をしただけで、それを聞いたドリスが自分の意思でマルティナを探し出し、接触することを選んだのかもしれない。いずれにせよ、二人の間に何らかのやり取りがあったことを、マルティナはすでに疑っていなかった。


「彼女が、あの宝石を盗むように君に頼んだということか」

 三國の問いとも確認ともつかない言葉に、マルティナは次の可能性に思い当たる。

「エレノアは、今何をしてる?」

「それは、今この時に彼女が何をしているか、という意味ではないんだろうな?」

「もちろん、違う」

 三國は、大きく息を吐くと何かを決心したように、いや、来るべき時が来たということを受け入れるように、口を開いた。

「エレノアは、君と同じことをしている」

「盗み、か」

 三國が頷く。

「あの宝石を盗もうとしている」


 ドリスが「ジュエル」を欲しいと言った時、マルティナは不思議に思った。なぜ、彼女は突然そんなことを言ったのか。それまで、彼女が宝石を所有したいなどと言ったことは一度もなかった。彼女にとっては盗みそのものが目的だった。それによって手に入れた宝石はただの副産物であり、必要な金を手に入れるための道具でしかないはずだった。さらに不可解だったのは、彼女がそれを言ったタイミングだった。


 それまでドリスとマルティナが住むニューヨークにあった「ジュエル」は、その時、日本での一般公開が決まっていた。自ずから、マルティナにとってドリスの依頼は「ジュエル」のことを思い出し、日本に思いを至らせるきっかけになった。それはつまり、日本にいる妹のことを考えることに等しかった。


 二週間前、日本に着いたマルティナは、まず挨拶代りに都内の宝石店から指輪を盗んだ。ニュースを通して、三國に自分が日本にいることを知らせるためだった。三國に会って、エレノアの近況を聞きたかった。今この時、この場所にいるようにとドリスには言われていたが、「ジュエル」に辿り着くための何らかの手がかりを彼女は用意しているのだろうとマルティナは考えていた。だが、実際に来てみると待っていたのは三國だった。辿り着いた先にあったのは、「ジュエル」を盗むための手がかりではなく、エレノアの最も新しい過去だった。


 すべては、三國とドリスによって仕組まれたことだったのだ。自分はその筋書きをなぞっていたにすぎない。思わず、マルティナから笑みが漏れた。

「すべては、あなたたちが望んだとおりってわけ?」

「騙したわけではない」と三國はすまなそうに言った。「これが彼女が考え、私が引き継いだ最も確かな接点だったんだ」

 恐らくそれは三國の本心だろう。だからこそ、あえて彼はドリスの名前を出した。

「エレノアに私のことを話した?」

 マルティナが予想したとおり、三國は首を横に振った。

「なぜ今更?」

 先刻の三國の質問を今度はマルティナが投げかける。なぜ今更私たちを引きあわせるのか。

「君たちの両親が亡くなり、ジュエルが現れ、君たちは離ればなれになった。あれから十三年が経つ。そろそろ終わりにできるんじゃないか。私は……私たちはそう思ったんだ」


 あれから十三年――。マルティナ自身はすでに過去のことだと思っていた。思おうとしていた。だが、三國の言うとおり、終わってはいなかったのだろう。エレノアとは再び言葉を交わす必要があるのかもしれない。その時に交わすべき言葉がわからないとしても。交わした言葉が、語られることのない過去に新たな一ページを付け足すに過ぎないとしても。二人の未来が変わるという確信がないとしても。


 知らず、マルティナの頬を一筋の涙が伝った。雪はいつの間にか、雨に変わっていた。


「君に会わせたい人がいる」

 しばらくして三國が言った。

「……会わせたい人?」

「私の知らないエレノアの一面を知る人物だ」と三國は表現した。「君と二人で話がしたいらしい」

 店の入り口に姿を見せた人物のために、三國は席を立った。財布から千円札を取り出し、テーブルの上に置く。

「最後に聞きたいことがある。コーヒーは口に合ったか?」

 マルティナは質問の意図を汲むことができず、首をかしげる。

「悪くない。ベネズエラのコーヒーには敵わないけど」


 三國と入れ替わりにやってきたその人物は、人懐っこい笑顔をマルティナに向けた。

「はじめまして、高科遼といいます。エレノアの友人です」

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