8 ジャスト・ア・ゲーム、ライフ・イズ・フォー・リビング
「三國朗です」
白ひげのウェイターは遼の手をきつく握りながら、そう自己紹介した。白髪に白いひげ、目元に刻まれた皺は深いが、肌の血色は良い。彼の年齢を推測したが、当てられそうにないのですぐにやめた。落ち着いた印象とは別に、どこか奥深い計り知れなさを感じさせる風貌だった。部屋の隅から椅子を持ってきて腰掛ける。円卓を囲む三角形が四角形になった。
「どうしてわかったの?」と絵里奈が興味津々な様子で訊いてくる。
「簡単だよ。絵里奈が入口の店員に名前を言った後、その店員は無線に向かって中国語でこう言った。『五階の五番テーブルに二名。四人全員揃った』」
「言ったか?」
「言ったんだ。君は中国語はわからないだろ?」
「あなたはわかるわけ?」
「少しなら。第二外国語で中国語を勉強してたから」
「あなたって本当に勤勉な日本人」
「それから?」と今度はセガールが先を促す。
「部屋に入ったら、スティーブン・セガールが一人で待ってた。一足す二は三にしかならない」
「だが、私が本当の父親だというのは?」と三國が尋ねる。
「そうだ。私が本当の父親ではないというのは?」とセガールが続く。
「腕時計」と遼がセガールの腕にはめられたオメガを指さす。「どう見てもあなたの腕には小さすぎるし、三國さんの手首には腕時計形の日焼けの跡が残っている」
セガールは感心したように頷きながら腕時計を外し、三國に渡した。よほどきつかったらしく、手首に跡がくっきりとできていた。
「何より、三國さんはウェイターには見えないし、セガールは父親には見えませんよ」
「まぁ、確かにそれは言えてるな」とセガールが面白そうに言う。で、あんたは何者なんだ、と喉元まで出かかった質問を遼は飲み込んだ。遼の疑問を察したのか、三國が「彼は私の友人だ」と幾分曖昧で広義な説明をする。
「改めまして、セガールです」と手を差し出し、やはり豪快に笑い飛ばす。どうやら演技をしていたわけではなく、本来の性格のようだ。
「さて」と三國が切り出す。「遅ればせながら席に着かせてもらいたいと思うが、君はどうかね?」
遼はそれを単なる質問ではなく、誘いと受け取った。
「お邪魔じゃなければ、お付き合いさせて頂きます」
三國が大きく頷く。
「セガール、君はもう十分に飲んだようだから、絵里奈を送ってやってくれないか?」
「了解です。お嬢さん、行きましょうか」
そう言って立ち上がったセガールはわずかによろめいた。どうやら見た目以上に酔っているようだ。
「ちょっと、あなたみたいな大男、誰も介抱できないんだからしっかり歩いてよね」
「もっともだ」と言ってまた大笑いする。
二人がいなくなると、高級感あふれる個室は本来の静けさを取り戻した。改めて乾杯をする。三國は残っていた食事をおいしそうに食べていたが、遼はもう腹はすいていなかったのでそんな彼の様子を見守った。
「いや、料理を運びながら君たちが食べているのを見ていると、さすがに腹が減ってきてね。我ながらどうしてこんなことをしているのかと自分を恨んだよ」
「それですよ。どうしてこんなことしたんですか?」
「ただのゲームだよ」と三國は即答した。「ちょうどこの世界みたいにね」
「あまり気の利いた言葉とは思えませんね」
「そうか?」と三國は幾分残念そうな表情を浮かべた。
三國はセガール以上に酒が強かった。こちらが心配になるほどのペースでジョッキを空けていったが、当の本人は至って変わらぬ様子だった。三杯目のジョッキを空にしたところで三國は言った。
「君は、なぜ盗みを始めたんだ?」
「特に理由はありません」と答えながら、遼は盗みを始めたころのことを思い出していた。「きっかけという意味ならありますが。一言で言うなら、憧れです」
「憧れ?」
「えぇ」
遼は少し照れくさそうに笑いながら言った。「僕が小さい頃、ある窃盗団が世間を騒がせたことがありました」
「ちょうど今、カラスがそうであるように?」
「えぇ、そうですね。アカネ……彼らはそう呼ばれていました」
「アカネ? 覚えてないな」
「まぁ、カラスほどメディアによって面白おかしくもて囃されてはいませんでしたから。でも、今考えれば、メディア向けという意味では彼らの方が上でしょうね。変装になりすまし、いざとなれば警察とカーチェイスだってやった。彼らの華やかさは、まさに怪盗と呼ぶに相応しかった」
「ほう」
「でもまぁ、なんだかんだで今も続けているのは、趣味みたいなもんですよ。好きなんでしょうね」
「悪趣味だな」と三國が笑った。「盗みは違法だ」
「もちろん、知ってます」
「それでも『趣味だ』と言うのか」
「好きになったことが偶々違法だった。そうとしか言えない」
「面白いやつだ」
「反対しますか?」
「賛成も反対もあったもんじゃないだろう」
「まぁ、そうですね」
「選挙があるなら、間違いなく『反対』に入れるがな」
「まぁ、そうでしょうね」
そこに本物のウェイターがやってきて、三國は彼に声を掛けた。おそらくはビールを注文しようとしたのだろうが、ウェイターの手にはすでに並々と注がれたジョッキがあった。三國は驚いたように彼の顔を見た。
「なぜわかった?」
「ただ、わかりました」
ウェイターは答えになっていない答えを返す。三國は何かを思案するようにテーブルに置かれたジョッキを見つめた後、「ふん」と子犬のような声を漏らし、それを口に運んだ。ウェイターが音も立てずに出ていく。
「遼君、プロというのはすごいものだ」
「同感です」
「生きるためには、何かのプロじゃなくてはならない。なぜかわかるか?」
そう尋ねたものの、回答を期待しているわけではなさそうだったので、遼は黙って待った。
「中途半端な人生は、生きているうちに入らない。川面を流れる葉っぱが泳いでいないのと同じことだ」
「鮭は一生懸命泳いでる」
「そうだ。やつらは川上りのプロだ。デビューシングルで『俺はロックンローラーだ』と歌うロックバンドも、冬の夜明け前に黙々とペンを握る小説家も、皆プロだ」
「Life is for living」
遼は頭に浮かんだ言葉を言ってみる。三國は黙って頷いた。見た目にはわからないが、やはり三國も酔っているようだった。それからしばらく沈黙が続き、その沈黙が窓の外に漏れ始めたように感じられた頃に、三國が口を開いた。
「君に話しておきたいことがある」
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