9 コピーキャット、盗みの伝承
「『呪いの宝石』ね……」と絵里奈が呟く。「いつかは狙いたいわね」
「お好きにどうぞ」
地面に落ちた煙草を、絵里奈の靴が踏む。
「つまり、今回私たちが狙う『ジュエル』の持ち主であるジョン・ジュエルは、スミソニアンに『ホープ』を寄贈したハリー・ウィンストンの弟子である、と」
「いかにも。ウィンストンとの出会いがきっかけで宝石商になることを決意したんだとすれば、ジュエルにとってウィンストンは師匠と言えるだろうね」
「でも、その情報って、ジュエルを盗むうえではあまり意味がないわね」と絵里奈がにべもなく言い放つ。
「だから、予めそう伝えた」
「ところで、私も驚くべきニュースを持ってきたわ」
そう言って、テーブルの上で一枚の紙を滑らせる。一度ひらりと裏返ってから、遼の手元に届いた。
「心配しなくても、君にはいつも驚かされてるよ」
英字新聞のコピーを頭から読み流す。クロアチア人のダイバーが「スタティック・アプネア」と呼ばれる、呼吸を止めて水面に浮かぶ競技で世界記録を更新したという記事だった。
「確かに、二十二分も息を止められるっていうのはすごいな」
「その下よ。わざとやってるでしょ?」
絵里奈が鋭い口調で指摘する。「確かにすごいけど、実生活で役に立つのかしら?」
「船が沈没した時とか、眠り薬を湿らせたハンカチで口をふさがれた時とかに役に立つんじゃないか?」
「つまり、ほとんど役に立たないってことね」
その下の記事は、日本で起きた宝石の盗難事件を伝えていた。都内の有名宝石店から、百二十万円相当の指輪が盗まれたというものだった。だが、絵里奈が「驚くべきニュース」と表現したのは、おそらくその金額ではなく犯行の手法についてだった。
犯人と思われるのは、三十代の外国人女性。その女性はタクシーで来店すると、どれを購入するか迷っているふりをして、店員に十数点の指輪やネックレスをショーケースから出させた。出させただけでなく、片付けさせた。そこがポイントだ。出したりしまったりを繰り返しているうちに、店員も自分が何を出して何を片づけたのか把握できなくなった。
店内の防犯カメラには、この外国人女性がコートのポケットにリングケースのようなものを滑り込ませる様子が映っていたという。彼女が何食わぬ顔で店を去り、表に停めてあったタクシーに乗り込むところも。
遼は思わず絵里奈の顔を見た。絵里奈も遼の言いたいことがわかったらしく、黙って頷いた。
「これって……」
「そう、グランドマザー・シーフ。彼女の手口よ」
「ドリス・ペイン? でも、今頃彼女はアメリカのどこかの刑務所の中じゃ? それに、もうかなり高齢のはずだ」
「私も彼女がやったとは思ってないわ。彼女の手口だ、と言ったのよ」
「
「もっと正統かもしれない」
そう言うと、絵里奈はもう一枚紙を寄越した。これも英文で、驚くべきことに、服役中のドリス・ペイン本人に対して行われたインタビュー記事だった。
Q:今までにどのような場所で盗みを行いましたか?
A:たくさん。世界中の色々な場所。ニューヨーク、パリ、ロンドン、モンテカルロ。一度東京でやったこともある。
Q:今までに盗んだブランドは?
A:時間を節約したいなら、被害にあってないブランドを聞いた方がいいわ。
Q:窃盗の目的は?
A:窃盗そのものが目的。ただ好きなのよ、盗むのが。
Q:あなたは泥棒だが、決して人を傷つけない。拳銃で脅すこともしない。周囲に気づかれることすらなく盗みを働く。「優雅」や「華麗」という言葉で形容する人すらいます。そのことについて、どう思いますか?
A:私は仕事をする上で、自分なりの信念を持っている。誰だってそうでしょう? でも、私の仕事は決して称賛されるべき類のものではない。
Q:あなた自身は、自分のやってきたことを誇りに思いますか?
A:後悔はしていないけど、誇りにもしていない。
Q:あなたは自分の技術を継承したいと思いますか?
A:(数秒考え込んだ後に)それを本当に必要とする人が、もしそんな人がいるのであれば、継承してくれればいいと思う。
彼女の回答が善良な市民にどのように受け入れられるのかは、すでに善良な市民ではない遼にはわかりかねたが、同業者としてみれば非常に真摯な姿勢に思えた。
「それを本当に必要とする人に継承してほしい、か……。盗みの心得ってのは伝承されるものなのか?」
「あなたも子供ができたら世界一の盗人に育てたいって思うかもよ」
「だとしたら、俺は世界一最低な父親だ。そして君の情報も、あまり有益とは言えない」
絵里奈は、ふんと鼻で笑うと立ち上がった。遼が渡した紙の束を無造作にバッグに押し込む。
「父親と言えば」と絵里奈は言った。「私の父親があなたに会いたがってたわ」
「俺に会いたがってた? どうして?」
「さぁ。何を考えてるかよくわからない人だから。また、連絡するわ」
そう言うと絵里奈は席を立った。
絵里奈との別れ際は、いつも彼女が去るかたちで訪れる。遼はふとそんな気がした。
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