8 呪いの歴史、仮初めの安息

 世界最大のブルーダイヤ「ホープ」が、単なる鉱物ではなく宝石としての命を得たのは、九世紀頃のインドで農夫の鍬によって畑の中から掘り起こされた時だった。その時の大きさは二百七十カラットを超えていたと伝わる。その後は、インドに攻め込んだペルシャ軍がこれを強奪したとも、そのままインドに留まり、女神シータ像の装飾に使われたとも言われるが、いずれにしても以降八百年の長きに渡り、その所在に関して定かな史料はない。


 次にこのブルーダイヤが歴史の表舞台に登場するのは、十七世紀にフランス人探検家のジャン・バティスト・ダヴェルニエがこれを入手した時である。この時の大きさは、百十二カラットであったとされる。ダヴェルニエは、莫大な金額の褒美と引き換えに、これを時の国王ルイ十四世に献上する。


 インドから持ち帰られたブルーダイヤをひどく気に入ったルイ十四世は、ハート形のカッティングを施し、その大きさを六十七カラット余りとした。国王の所有となったことにより、「フランスの青」、「王冠の青」と呼ばれるようになったブルーダイヤは、次ぐルイ十五世の手を経て、ルイ十六世と王妃マリー・アントワネットのもとへと渡る。その後、マリー・アントワネットがギロチンによってその首を刎ねられるまで、百余年の間、「フランスの青」はフランス王家の秘宝として愛でられる。


 しかし、フランス革命の混乱の最中、持ち主の処刑と時を前後して、「フランスの青」は盗難に遭う。二十年後にアムステルダムで発見された時、盗品であることを隠すために研磨された「フランスの青」の大きさは、現在に伝わる約四十五カラットになっていた。


 この宝石が「ホープ」と呼ばれるようになったのは、十九世紀半ばにロンドンの銀行家ヘンリー・フィリップ・ホープが買い取ったことに由来する。「ホープ」はその後六十年以上に渡りホープ家が代々所有するところとなるが、一族の手を離れた後は、ピエール・カルティエの所有を経て、一九四九年にハリー・ウィンストンが入手するまで、多くの名士のもとを転々とした。


 「希望」という名の宝石が、その呼称とは裏腹に「呪いの宝石」として語り継がれるようになった由縁は、その所有者たちの末路にある。

 あまりにも有名なコンコルド広場でのルイ十六世と王妃マリー・アントワネットの処刑のほか、史実であるかどうかは別として、「ホープ」に関わった人々の多くが経済的破綻や社会的失脚、さらには悲運な最期や不可解な死を遂げたという。「ホープ」を握った手を切り落とされた者、全財産を失った者、餓死した者、射殺された者、落馬して死んだ者、狼に食い殺された者、発狂して自殺した者――。所有者本人だけでなく、その家族や近しい人間までが「ホープ」の呪いの被害者として語り継がれる。


 数々の伝説は、その持ち主とともにスミソニアン博物館で仮初めの安息を得ている。

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